前号の「意識の目覚め」を読んで下さった読者の方から多くのご感想をいただきました。何回かにわけて、その中のいくつかを取り上げながら、前号の内容を補足していきたいと思います。質問などがありましたら、またお送り下さい。目覚めを表す言葉には一見矛盾するような多くの表現があるけれど、それが実は一つの同じ体験を表している、ということにはとても納得した。悟り、ありのまま、などが違うレベルと思って、それぞれを追い求めている事に気づいた。目覚めの体験、悟りの体験というのは、本来は言葉で表現できません。沈黙の中でその体験が伝えられる、ということもたしかにあるのですが、それは、その沈黙の教えを受け取る準備が出来ているときだけしか起こらないことかもしれません。
通常は、その「言葉で表現できない体験」をさまざまな言葉を使って「指し示す」ということが行われます。つまり、その言葉自体は真実ではなく、真実が存在する方向を示しているだけなのです。
ところが、マインド(思考する理性的な心)は言葉と言葉が指し示す内容を同じものだと考えてしまう傾向があります。すると、言葉が違うのだから言っていることも違うのではないか、という誤解が生まれてしまい、そこから混乱が生じるのでしょう。
目覚めるということは、マインドが作り出した幻想から目覚めていく、という意味でもあります。マインド=考える心はこの世界を発展させ、私たちの生活を便利にしていく上ではとても大切な道具ですが、マインドだけではこの世界の真実を知ることはできません。
現代の社会は思考の働きを発達させることに重きを置き過ぎているがゆえに、多くの人が正しい意図を持って献身的に努力をしているにもかかわらず、一向に解決することのできない問題がこれほどあふれているのではないでしょうか。思考は便利な道具ですが、その道具に使われてしまっているのです。
思考は、もともと何もないところに問題を作り出し、その問題を解決するためにさらにさまざまな思考を生み出します。そして、それがうまくいかないとわかると、そのことでまた悩み、苦しみます。
思考との関わり方はもっと詳しく書きたいテーマの一つですが、日常生活で役に立つ心の姿勢の一つとして「頭の中のおしゃべりを気にしない」ということをあげておきます。
ほとんどの人の頭の中は、自分でもまったく意識していない思考のおしゃべりで埋め尽くされています。今目の前に起こっていることを実況中継したり、過去のことを悔やんだり、将来のことを心配したり、自分や誰かを責めたり批判したり、、、。
そんな頭の中の声がいつものように聞こえているな、と気づいたとき、その声に反論したり、納得したりしないで、ただ聞き流すように気をつけてみましょう。「あ、またいつもの声が聞こえているな」と気づくだけにして、その声についてさらに考えたりしないようにしてみるのです。その声は過去の環境の中で、あなた自身も気づかないうちに取り込んで来た条件付けによるもので、本当のあなた自身とは関係ないのです。この気づきがマインドの幻想から抜け出していく第一歩になります。
また、「ありのままでいい」というのも、マインドのレベル、思考のレベルではまったく意味がわからないか、誤解されてしまう表現かもしれません。そもそも思考というのは、今この瞬間に起こっていることに抵抗していることのあらわれです。これではだめだ、と考えていたり、たとえ肯定的にみえる思考であったとしても、何か条件が付けられたりしています。思考はその本性からして「ありのまま」を否定しているとも言えます。
「ありのまま」という言葉の本当の意味を深いレベルで理解することは、上に書いたような「頭の中の思考を自分だと思わなくなる」プロセスと深くつながっています。「自分」と「頭の中の思考」が別のものだと感じられるようになったとき、思考を超えたより大きな自分、思考がその中で生まれては消えていく大きな空間、を感じるようになります。
この感覚が深まってきたとき「起こることすべてはありのままで大丈夫」「自分が大きなものとつながっている」という安心感がわいてきます。あなたの中で、これまで意識したこともなかったまったく新しい存在の次元が開かれていくのです。(【まほろば通信】vol.135掲載2009/12/07)