Top>「なーんだ、そうだったの?」〜実践ガイド>交通事故

■交通事故■


これまでの40年あまりの人生の中で、一度だけ交通事故にあったことがあります。事故の大きさとしては大したものではありませんが、わたしにとってはいろんな意味で大きな体験でした。

大学院を修了する1年少し前、例の「再誕生」の体験から1年くらいは過ぎていたと思います。当時は月に1回くらい関西方面へセラピーを受けに行っていたのですが、その費用をねん出するのに貧乏学生だったわたしはいろいろと苦労していました。

そのとき、数年前に洋服を買ったときにわけのわからないままに作らされたクレジットカード(学生カード)があることに気づいたわたしは、作ったとき以来まったく使っていなかったクレジットカードで切符を買ってみました。現金がないのに買物ができるなんて、当時のわたしにとってはものすごい驚きでした。(^_^)

それ以来、セラピーを受けに行くときにはカードで買物をするようになったのですが、毎月の引き落としまでにお金を準備するのが、またいつもぎりぎりになっていたのです。引き落としのまさにその日の朝に銀行へかけつけて、口座に入金する、というようなことを毎月のようにやっていました。

その日もカードの引き落とし日でした。あまり体調がよくなかったのですが、カードが使えなくなると困ると思っていたので、午前中早くにアパートから20分くらいかかる銀行まで自転車でえっちらおっちら向かっていました。

両側に歩道のある2車線道路でした。わたしは左側の歩道を自転車で走っていました。そのとき、道路よりも少し低くなっている左側の細い道から軽トラックが飛び出してきました。トラックの前面ともろにぶつかったわたしは、自転車に乗ったまま車道に倒れ込みました。もしそのときに後ろから車が来ていたら、あなたは今この文章を読んでいないでしょう。

その車の運転手に病院に連れていってもらい、治療を受けて、その日は帰宅したように思います。銀行にも連れていってもらったのでしょうか。そのあたりはもうよく覚えていません。初めは車にぶつかった左手が痛かったのに、その日の夜になると倒れたときに打った右手が耐えられないほど痛んで2、3日は夜も眠れなかったことを覚えています。

骨折はなく、打撲ということでした。右手が半月くらいは自由に使えなかったので、かなり不自由でしたが、痛みがひけば身体の傷は大したことはありませんでした。

その痛みが堪え難かった頃、心理的にはとても不思議な感覚がありました。だれかに甘えたくてしょうがないのです。それもだれかのひざに上に抱かれて、あるいはひざまくらをしてもらって甘えたいような感覚です。以前、誰でもいいから抱き締めてほしい、と思ったときの感覚とはまた違って、とてもリアルで生々しい感覚を思い出します。

今なら、そんな感覚が起こったとしても、素直に受け止めることができるし「ああ、疲れているんだな」「少し寂しいんだな」という気持ちを感じることもできます。そのときは、自分の中にそんな感情があるということ自体がすごく不思議で新鮮だったのです。

病気と同じように事故も、切り離されている自分の感情が目に見える形になって現実の世界に現れているものだと言われます。無視されてきた感情のエネルギーが自分に向かって反乱を起こしているわけです。何度も事故にあうような方は、どんな感情を閉じ込めてしまっているのか、意識的に内面を探ってみる必要があるでしょう。

わたしの場合は事故というには軽い事故でしたが、身体が痛んでいるときは心の成長のチャンスだ、という言葉を実感した体験になりました。でも、できれば、身体を傷めなくても意識的に成長できたほうがいいですね。

<前へ 次へ(続きはブログへリンクしています>

Top>「なーんだ、そうだったの?」〜実践ガイド>交通事故
Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2010/12/21