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■ブレスワーク体験記4〜ゆだねる■


1991年に大学の修士課程を修了し大阪で会社勤めを始めました。それから数年間は少しセラピーから離れていた時期があります。日常生活そのものがセラピーになっていたのかもしれません。3年後に東京に転勤してから、大阪よりもセラピーに関する情報が多かったということもあるかもしれませんが、またブレスワークや箱庭療法などのセラピーを受けるようになったのです。

今考えるとよくそんなことをやっていたな、と思うのですが、週に1回、平日の夜にブレスワークを受けに行っていたことがあります。セラピーのときに着るための着替えをスポーツバックに詰めて駅のコインロッカーに入れ、会社帰りにそれを取り出しては、スーツ姿のまま行ったりしていました。自分の苦しさ、生きづらさ(息づらさ?)をなんとかしたい、という気持ちがそんな行動をするエネルギーになっていたのかもしれません。

東京で勤めていた2年間に10回前後はブレスワークを受けたと思うのですが、その最後のときのことがとても印象に残っています。

呼吸を続けていると、それまで体験したことのないような激しさで、両手と両足が震えてきました。ジーンとしびれる感覚や、軽く震えるような感覚はよくあったのですが、ブルブルとものすごく激しく震え始めたのです。亀が甲羅を背にひっくり返ったまま、手足を震わせているような姿を想像して下さったらいいと思います。

そのときのわたしは、それまで体験したことのない出来事に恐怖を感じていました。セラピストに思わず「怖い!」と言ったりしました。そのときのセラピストの返事は「エネルギーだから大丈夫」というようなものだったと思います。今論理的に考えると、いったいエネルギーって何なのか、エネルギーだからなぜ大丈夫なのかわからなくて、わたしが思わず発した「怖い!」という言葉の返事には全然なっていない気がするのですが、そのときのわたしはその言葉を聞いたことをきっかけに安心し、その体験の中に深く入っていけたように思います。

手足の指の先まで、体中を巡っている大きなエネルギーの動きを実感していました。

今考えてみると、そのときのセラピストの言葉は、人間とは一つの大きなエネルギーが目に見える形をとって現れているだけ、あるいは、そのエネルギーの動き、プロセスにすぎないから、その動きに身をまかせていれば大丈夫、ということを言いたかったのではないかと思います。

そのセラピーのあと、わたしの中で何かが終わった、という感覚がありました。そのときを最後に、ブレスワークを通したわたし自身の内的探究は終わりました。その後もセラピスト養成のコースでブレスワークを受けたり、個人的に受けたりすることもありましたが、このシリーズで書いてきたような新たな発見は、セラピーの中では起こっていません。それよりもむしろ、毎日の日常生活の中で新たな気づきを得ることが増えてきました。

この体験をしたのは、会社を辞めて新しい生活に入る数カ月前のことで、ホームページでもご紹介している13回シリーズの最後の箱庭を作ったときとほぼ同じ頃だったと思います。わたしの中で何かが終わり、次のステップに移行し始めたときでした。

わたしのブレスワーク体験記は一応ここまでです。これを書いている間にもいろんなことを思い出したので、次回からはまたセラピーとは直接関係のないところで起こってきた出来事や気づきを綴っていきます。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2006/01/22