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■身体で感じる不安■


書きたいことはたくさんあるのに、なかなかうまくまとまらない感じがして、更新がずいぶん滞ってしまいました。今回からは、将来、もう少しきちんとした形にまとめるためのメモのような気持ちで、意識の変化のプロセスの中で体験してきたエピソードを思い出すままに書いていこうと思います。

孤独感や不安感が大きかったときの気分はどんなものだったのですか、と聞かれることがよくあります。

前にも書いたように、当時のわたしはその感覚を「孤独」や「不安」という言葉では認識していませんでした。というよりも、認識できていませんでした。それから4、5年がすぎ、現在の妻と出会って「あなたは寂しくないの?」と聞かれても、その「寂しい」という言葉の意味がわからなかったくらいですから。

その当時感じていた孤独や不安は、「感情」というよりも、圧倒的な身体の感覚でした。まず、胸のあたりが締め付けられるような息苦しい感覚。これは特に、夜暗い部屋で一人になっている時にやってくることが多い感覚でした。天井が遠くなって、急に息が苦しくなってくる。そんなときは布団にしがみついて、その感覚が去っていくのをただ待つだけでした。

道を歩いていたり、外に出ているときに突然おそってくる、身体が崩れていくような感覚もありました。急に胸がざわざわし始めるのが、その感覚がやってくる兆候でした。特に階段を降りていくときには、何かに吸い込まれるような感覚とともにそんな感覚がやってくることが多かったです。外でこんな感覚に襲われるのはとても怖かったので、外に出ること自体に不安を感じていたこともあったと思うのですが、そんな感覚がやってくると、とにかく何かにつかまって、場合によってはしゃがみこんで、じっとその感覚が去るのを待つだけでした。壊れて宇宙の中にばらばらに消えていきそうなこの身体を誰でもいいから抱き締めてほしい、と思ったこともあります。

「なーんだ、そうだったの?」で書いた体験の直後には、こんな感覚が毎日のようにやってきていました。それから数年たって会社勤めをするようになってからも、夜になると同じような感覚がやってくることがときたまあったように思います。

最初のうちは、その感覚そのものを恐れていたのですが、そのうちあることに気がつきました。その感覚が通りすぎると、少し身体が軽くなり、世界が明るく見えるようになっているのです。その感覚が起こっているときというのは、自分の内面で大きな変化が起こっているときなのだ、ということがわかってきたのです。

そうなってくると、もちろんその感覚に襲われている瞬間はつらいのですが、自分が癒されていくプロセスの一つとして、その感覚が起こってくることを期待するような、楽しみにするような感覚も生まれてきました。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2005/10/26