新・闘わないプログラマ No.22

ネットワーク社会は特殊な社会か?


「ネチケット」という言葉がありますよね。「ネットワーク」+「エチケット」でネチケット。私はこの言葉が大嫌いです。「ねちねち」っとした(^^;)その語感も嫌いですけど、そんなことより、そういう特別な言葉を作り出して、論じなければいけない考え方そのものが嫌いなんです。
どこの世界でも、根本となる考え方自体は同じだと思うんですよね。電子メールだからと言って、普通の手紙とそう違うわけではありませんし。「電子メールだからこうしなければいけない」というのは、エチケットの問題というよりは、表面的な、純粋に技術的な制約からくる事柄なわけです。

ネットワーク社会を特殊な社会化しようとしている(意識的にしろ、無意識にしろ)のは、その方が都合がいいと思っている一部の人たちの仕業と言ってもいいのでは無いかと私は思います。
例を挙げると、自分たちにしか分からない隠語、例えばパソコン通信時代によく見られた「みかか」とか「カキコ」とか、最近だと「ほめぱげ」とか、を駆使して優越感に浸ろうとする。特に、WebやNetNewsなどは、読者層が限定されませんから、いかなる人の目に触れる事もありうるわけで、ある一部のコミュニティでしか通用しそうに無い言葉(隠語)を、さも嬉しそうに使う人物の見識を、私は疑います。
あと、匿名性があることをいいことに、「便所の落書き」的な表現をする人物。しかも、こういう人物は往々にして「サイレントマジョリティ」を勝手に設定して、正義は我にあり、的な言い方をしたりします。私は、匿名性が必ずしも悪いとは思わないですけど、こういう匿名性を悪用したとも言えるようなやり方には賛成する事が出来ません。
とにかく、こういう人たちが増えてくると、特殊な社会になって行ってしまう危険性が増えるわけです。

私は、自分のWebページを作るにあたって、いくつかの方針をたてました。
Webは、その仕組みから言って、読者層を限定する事が出来ないのであるから、内輪受けになるような話題や表現は排除する。もちろん、内容によっては、ある特定の分野の人にしか理解できない話題もあるでしょうけど、ここではそういう事を言っているわけではありません。
また、掲示板のような仕組みは作らない。これも、極力内輪受けを避けるためです。掲示板のあるWebサイトは多いですが、あれって結局、常連の人しか書かなくなってしまって、サイト全体が閉鎖的な印象を私は受けてしまいます。
まぁ、このページ自体そんなに読まれているわけではありませんし、私なんかがこんなところで頑張ったところで大勢に影響は無いわけですけど・・・。

最近マスコミ、特に新聞では、ネットワーク社会の特殊性とか危険性とかをしきりに訴えています。これも見方によっては、古いメディアによる、ネットワークという新しいメディアに対するひがみや危機感の現れともいえるのではないか、と思います。
もちろん、匿名性による危険や、情報に対する信頼性の無さ、といった問題も挙げる事が可能ですが、そんなのは、いつの時代のどのメディアでもありうる事で、単たる程度問題に帰結できる種類の事項です。
情報には必ずバイアスがかかるものであって、相対的に信頼できると思われている新聞に書かれている情報だからといって100%信頼できるものでないことは明らかなわけです。日本の新聞には、太平洋戦争時の大本営発表の報道という大きな前科もありますし、戦後だって幾多の「事件」を起こしています。TVになればもっと信頼性は落ちますし、書籍に至っては、信用する方がどうかしているといっても過言ではないでしょう。
ネットワーク社会における情報の不確かさは、逆説的に言えば、正確な情報というものはありえないのだ、何が真実なのかは自分で判断するしか無いのだ、ということを人々に再認識させてくれる、という効能があるとも言えるでしょう。

最近、ネットワーク社会の危険性みたいなものが世間で、私から見れば針小棒大に、言われているのを見て、ちょっと言いたくなったので、こんな文章を書いてみました。ちょっとこのコーナーに書く内容としてはそぐわない点もあったと思いますが、あえてここに載せました。 ただ、私自身まだ整理が付いていないというか、かなり論旨の不明確な文章になってしまい、まだ不満足な出来です。そのうちリライトしたいと思っておりますので、今の文章はベータ版ということでお許し下さい。

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