思ツタコト No.11

文章を書くということ


子供の頃から文章を書くのが大嫌いで、学校で「作文」とかあると本当に苦痛でした。
本を読むこと自体はそんなに嫌いじゃなかったのですが、「読書をしたら必ず読書感想文を書きましょう」みたいな、変に使命感に燃えた、はた迷惑な教師がいて、それ以来、読書もほとんどしなくなってしまいました。なんたって、読書しなければ読書感想文なんて面倒なもの書かなくていいんですから。
読書の方は大学時代に死ぬほど本を読んでそれなりに挽回しましたが、作文の方は、ずっと下手で苦手なままです。

こういう文章を書いていて、つくづく思うのは「本当に自分は文章が下手だなぁ」ということです。だれか、上手くなる秘訣があったら教えてください・・・って、んなもん無いですよね(^^;) ←まず、このフェイスマークを使うのをやめることかも知んない(^^;;;;;;)
インターネットの恐いところ(=いいところ)は、こんな下手糞な文章でも、何の制約も無く、世界に情報を発信!!(しかし、恥ずかしい言葉だ)できてしまうところですね。しかし、世の中、上には上(下には下?)がいるもので、私などまだまだ修行が足りませんです。どこをどう読んでも全く意味が取れない文章とか、訳の分からない小説や詩とか、そんなのがいっぱい見つかります。
「全く意味の取れない文章」の例として、私が最近注目している(^^;)のが、NetNewsになりますが、fj.soc.lawで活躍?中の某氏です。大学の先生だそうですが、なにやら、周りの人たちの陰謀で人生をめちゃくちゃにされらたしく(意味の取れない日本語らしきものを必死に解読した結果)、そのことを必死に訴えているようです。読みたいという奇特な人は、「最高裁判所」とか「検察庁」とかをキーワードにして探してください。(^^;)
「訳の分からない小説や詩」については、キースさんの雑文がお勧めです。あ、キースさんの文章が「訳が分からない」わけではありません、誤解無きよう。ここに出てくる「馬鹿ポエム」という言葉には大笑いしてしまいました。

私は幸い(?)にして、小説とか詩とかを書いてみたいと思った事は一度も無いのですが、「馬鹿ポエム」かぁ、いいなあ、一度書いてみようかなあ・・・。

女心のせつなさに 今日も一人で泣いてます

いかんいかん、演歌になってしまった。

君のいないこの街で ぼくは今日も暮らしている
街はもう春の気配 なのに僕の心は冬のまま
君はもう忘れただろうか あの春の日のときめきを
僕は決して忘れない あの日あの瞬間を

う〜ん、書いていて恥ずかしくなってきたぞ。こんなもんでいいのかな、でもなんか違うな(^^;) やっぱり、才能が無いんだなぁ、しくしく (←おいおい、こんなんもう死語じゃないか)

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