「中川一政コレクション」オークション下見会


 生れて初めてオークションの下見会なるものへ行った。もちろん購入するアテなどない。純粋な見学だ。会場のアートミュージアム・ギンザはJR新橋駅から歩いて少し。途中、吉井画廊や民藝たくみがあり、これらも見るのは初めてなので、わぁ濱田庄司の湯呑みを売っているなどと、やや舞い上がり気味。

 外堀通り沿いの会場は入るとすぐに梅原龍三郎の裸婦とマジョリカの壷。記帳も何もなくてずんずん入れる。狭い会場には思ったより多くの人。展示品にはすべてナンバーが打たれ、カラーのカタログも販売されていた。
 美術館と違うのは静かではないこと。関係者が有望そうな来場者に品物の説明をしている。携帯電話で商談?している人もいる。来場者もふつうの声のトーンで品物について話をしている。それからさわれること。むやみにさわってはいけないが、どういうものか確かめるために手にとって裏側を見たりしている人もある。物によっては手袋をして丁寧に扱うものもあるが、基本的にはさわってもいいようだ。総じて品物は汚いままだったりする。ほこりも払わずに並べられている。これも美術館とは違う。蓋つきで展示されているものもあるが、多くは蓋ははずして、箱からは出してと、物をすべて見せるような展示になっている。そんな美術館との違いに驚いたり感心したりしながら会場を回る。

 会場は1階と地階。1階の目玉はゴッホの「婦人像」。テレビカメラが取材に来ていた。当初作者不詳としていたが、オランダのゴッホ美術館の鑑定の結果、加筆はあるが1884〜5年制作のオリジナルだそうだ。暗いバックに農婦の顔を描いた、今にもじゃがいもを食べそうないかにもゴッホらしい作品。予想落札価格は300万円以上。鑑定結果の手紙をよく読むと、ほとんど修復で失われていてゴッホの真筆はうかがえないので、落札者は絵を修復するのをすすめるとある。
 マジョリカの壷や水差し。全部に予想落札価格がついているわけではなく、むしろ大半にはついていない。実篤も持っていたが北魏などの「俑」。武人、牛車、鶏、牛、犬、猪、馬、犀(背中にトゲがたくさんあり、龍のよう)など、ひとつ欲しいなぁと思ったりする。仏像、青九谷、李朝の壷に河井寛次郎の壷。墨と硯もたくさん出ている。良い墨についての文章を昔読んだことがある。使いかけのものもあり、ななめに磨り減ったりしている。エヂプトの木像、石像。それから墨蹟と水墨画。池大雅、芭蕉、伊達政宗、定家。八大山人、一休、金冬心、石涛と実篤記念館で見かけた名前もある。みんな同じようなものを見ていたのだなと思う。大きく「菴」と書いた軸を見て、「あ、実篤が持っていたのと同じだ」と声が出た。崇裕の作とあったが、実篤のは絶海中津。いいなあと思ってみると、100〜200万円とある。隣の「喝山」という字(可庵知朗)もいいなと思うと200〜400万円。
 地階の中央にはピカソのリトグラフ(100〜150万円)とルオーのドライポイント(400〜500万円)がある。手袋をして一枚一枚めくって見ている人がいた。鉄斎、李朝のたんす。ルオーの油絵「魔王はしばしば身を隠して神を罵り、人知れずさらにあざ笑う」はいいなと思った(200〜300万円)。他にシャガール(意外だった)、ブールデルの水彩とブロンズ(これもいい)。アントニ・クラーベとアンドレ・ドランが2点ずつ。初めて見たが、後者はちょっとおもしろいと思った。

 もっと居心地が悪いかと思ったが、いろいろな人が来ていて気軽に見て回ることができた。すべてが何百万円ということもなく、2〜4万円とか手が届きそうなものもある。ドアが開くと外の音が入ってくるラフな空間で、いろいろなものが見られたのは楽しい経験だった。
 来るまでは中川一政の遺品が売りに出されるというネガティブな印象があった。しかし、どこかでまとめて管理・展示される方が良いに決まっているが、こうやって人手に渡る機会を得るということもそう悪いものではないと思えるようになった。エジプトの石像などもどこからか一政の手に渡り、それがまた違う人の手に渡るだけなのだ。これらの品々は一政が作品を生み出すための糧であり、作品が残ったことをもって良しとすべきなのだろう。

(2003年2月7日夕方見学)

関連サイト:「中川一政コレクション」オークション(シンワアートオークション)

 帰ってからインターネットをのぞいてみると、ゴッホの絵のことが新聞各紙で一斉に取り上げられている。

明日のオークションはまた注目されそうだ。

(2003年2月7日:記)

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