江ノ島と実篤


 関東地方が遅い梅雨明けを宣言した日、江ノ島へ一泊旅行に行ってきた(2003年8月2日〜3日)。時間があれば鵠沼や鎌倉にも足を伸ばし、劉生はじめ白樺同人の跡をしのぶ旅にしたかったが、同行人の意向もあり「龍神と大仏」にフォーカスした行程となった。その中から実篤に関係しそうなところだけを無理やり取り出してご紹介しよう。

江ノ島遊泳

 実篤記念館の今年春の特別展「自伝『或る男』の青春」のパンフレットによると、学習院では毎年夏に江ノ島で合宿をしていたそうで、当時の地図も載っている。それによると今の江ノ島東浜海水浴場から鎌倉まで2里(実篤は自己流の犬かきで稲村ガ崎まで1里半)泳いだそうだ。

 そのときの様子が『或る男』第55章〜57章に出ている。

 彼は四つから海には親しんでゐたが不器用で、融通がきかないので、自己流の犬かきから小堀流の蛙泳ぎにかはることが出来ずに、いつも犬かきがおたまぢやくしの尻尾のやうにくつついてゐて蛙にはなり切れずに、おくれがちだつた。しかしともかく皆についてゆけた。(中略)彼は自己流の泳ぎ方で江ノ島を周游し、又江ノ島鎌倉の間をおよいだ。彼は稲村ケ崎をこして暫くいつた処で、舟に上つた。(中略)しかし彼が犬かきで卒業したと云ふことは或る人々をおどろかした。彼の友はよくあとでそのことを云つて、彼の痩我慢の強いのを笑つた。

 江ノ島遊泳は昭和50年ごろまでは赤ふんどしで行われていたと、武者小路実昭『メイド・イン・学習院』(主婦の友社、1991)にあった。ちなみに著者の大叔父が実篤だそうだ。

混雑する江ノ島海水浴場 お昼頃の江ノ島東浜海水浴場
よくテレビに映る「芋の子を洗うような状態」で、水もきれいではないので早々に海水浴を断念する。
江ノ島の海 江ノ島(中津宮)から見た東浜方面。
100年ほど前、ここを実篤が泳いでいたのだ。
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片瀬まんじゅう

 当時の学習院にも「○○ができたら何級」というようなものがあったらしく、級が上がるとなぜかまんじゅうをまわりにおごるという風習があったそうだ。実篤はそれを知らずに級が上がってもおごらないで不興を買ったとある(『或る男』55章)。それがこの「片瀬まんじゅう」らしい。

まんじゅう屋さんの看板 これは小田急片瀬江ノ島駅近くの於菟屋。
「片瀬まんじゅう」は何軒かあるらしく、インターネットで検索したら、上州屋(龍口寺近く)の評判がいい。場所から言ってもそちらが実篤ゆかりの店かもしれない(未確認)。

龍口寺

 学習院の生徒たちは江ノ島の龍口寺や常立寺などに分宿したそうだ。龍口寺は日蓮上人の龍の口の法難の地だったり、山をはさんで反対側の常立寺には、元寇のきっかけとなった元の使いの墓があったりと、思わぬところに歴史が満載だ。

 『或る男』をよく読むと、「彼と同じ家に泊まつてゐた、一人の人も青になつた。」(第55章)とあるので、寺ではなく近くの民家に泊まったようだ。文中「青」とあるのは泳ぎの級のこと。

龍口寺の看板 龍口寺の門。
江ノ電が鎌倉方面から江ノ島駅に到着する直前に車中から撮影。

その他の写真

 せっかくなので江ノ島や長谷の写真も何枚か紹介しておく。

トビの群れ マリンランドのショー風景 今年公開の江ノ島タワー
すぐそこにいる猛禽類・トビ。
カラス並みに飛んでいるのでちょっとびっくり。
江ノ島水族館マリンランドは8月31日まで。 新しくなった江ノ島タワー
日陰のネコ 鎌倉大仏 久米正雄の像。志村喬に似ている。
たくさん見かけた江ノ島のネコ やっぱり大きい鎌倉大仏 長谷寺の久米正雄像。
いいお顔。

■ 今回の旅行で参考にしたサイト

■ 謝辞

 今回の旅行にあたっては二人のIさんに江ノ島・鎌倉についていろいろと教えていただきました。その成果を生かすことができずに申し訳ありませんでしたが、ここに記して謝意を表します。ありがとうございました。次回の「本格的」踏査ではもう少しちゃんとしたレポートができるようにがんばります。

(2003年8月13日:記)

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