「未完の世紀 20世紀美術がのこすもの」


 東京国立近代美術館のリニューアルを記念して、「未完の世紀 20世紀美術がのこすもの」が開かれた。日本における近代洋画のはじまりから現代美術まで、幅広く展示されている。白樺を中心としたコーナーもあり、岸田劉生の「切通之写生」も展示されているので、ぜひ行きたいと思っていた。
 2月15日(金)にはイブニングギャラリー「柳宗悦:白樺と民藝をつなぐもの」が企画されていたので、それに合わせて見学に行った。仕事を切り上げて、18時少し前に竹橋にある美術館に入った。講師は美術史家の土田真紀氏で、1997年に企画された「柳宗悦とその時代」展(三重県立美術館)が評価され、翌年第10回倫雅美術奨励賞を受賞されている。

 集合時間の18時には4階エレベータホールには30人弱の人々が集まっていた。土田氏は長髪を後ろで束ねたすらっとした女性で、4階展示室入って右手の「『白樺』とその周辺」と題したコーナーで解説が始まった。
 今回の展観は様式やテーマごとにコーナーに分かれているが、この「白樺」のコーナーだけは他とは違う展示になっている。絵画や彫刻、陶器、書簡や資料類といろいろなものが展示されているが、そのキーパーソンが柳宗悦であるということから話が始まった。

 初めに今回の話のテーマと結論が示されたのだが、古いものを否定して自分たちの個性・感性に合うものを選び取る、その後の若者の原型となった白樺派が、後に民藝運動など日本回帰という大転換を果たしている。そこに何があったのか、そしてその中で変わらなかったものは何か、一貫しているものはなにかというのがテーマであった。
 それに対して土田氏は、柳宗悦の第一著作「科学と人生」(1911年)を示して、万有神論、汎神論、すべてのものに真理が含まれている、すべては宇宙の一部という考え方、そしてそこから導かれる「肯定の思想」が変わらなかったものではないかと話された。

 バーナード・リーチ(1909年来日)との出会いと交流。現存する書簡から見てもリーチとの関係は重要で、その議論から「肯定の思想」が生まれたのではないかと土田氏は指摘する。リーチから柳はブレイクを教わり、教会中心・制度としてのキリスト教ではなく、神との直接対話、幻想体験からキリスト教にアプローチする。リーチは柳の分身であり、思想家哲学者ではあっても物をつくる芸術家ではない柳は、リーチと体験を共有し、リーチの展開が即柳の展開であった。また、リーチとの交流の中で、西洋へのあこがれとコンプレックス克服を同時に満たしていった。
 そのリーチが富本憲吉と楽焼を始めたことが、後に柳が陶芸に目覚めていく遠因になる。

 また、ロダンから贈られた彫刻を見に、我孫子にあった柳の家を訪ねて来た浅川伯教の手土産のひとつが、李朝芸術と柳の出会いであった。今回このロダンの彫刻3点と李朝の焼き物が、同じガラスケースで展示されている。
 さらにリーチを訪ねていった中国旅行(1916年)が柳に東洋への関心を呼び起こし、朝鮮民族美術館設立運動が一段落して日本を見たとき、そこに「民藝」を見いだすなど、必然的な偶然が柳の美の世界を展開させていった。それらは接したときにすぐ目覚めるのではなく、時間をおいて柳の中で発酵させてから表に現れてきたものである。

 感覚や眼は、年齢に応じて見えるものが変わってきたが、それらは柳の中でゆっくりとかたちづくられてきたものである。そしてそれらの背後で変わらなかったものは「肯定の思想」。そういう補助線を引くことで、多岐にわたる柳宗悦の活動を通して見ることができるということを土田氏は示された。

 ここからは私の理解だが、白樺派全体の特長のひとつとして「肯定の思想」を挙げることができると思う。柳もそうであるなら、実篤も志賀直哉も里見とん^も皆そうである。自らを信じそれを励まし伸ばそうという基本姿勢は「肯定」のなせる業である。絶対にこうでなければいけないという窮屈な考え方を捨てて、否定をせず最後までしぶとく生き抜くという思想に、私は最近注目している。

 皆熱心に聞いていて、18時45分頃に質疑応答まで終了した。柳についてよく理解できた楽しいお話だった。

 展示は20時まで観覧可能ということで、それから会場を回り始めた。

 岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」は、土の盛り上がる感じが迫力があった。また、「麗子肖像(麗子五歳之像)」や「壷の上に林檎が載って在る」(いずれも劉生)の写生の凄まじさ。河野通勢の「好子像」も並んでいたが、とても美しかった。
 今回初めて野島康三の写真を見たが、まるで絵のような静物の写真だった。「題名不詳」や「仏手柑」といった晩柑類を2つ3つ並べて単色で収めた写真は、カタログをみるとプロムオイル・プリントという手法のようだが、現在よく見るモノクロ写真とも違って絵画的な美しさがあった。
 フェルディナンド・ホドラーの「樵夫」は、構図と力強さが素敵だった(帰りに絵葉書を買ってしまった)。たしか実篤が好きだった画家のひとりだ。ルドン「若き仏陀」やムンク「骸骨の腕のある自画像」「宇宙での出逢い」も今見てもじゅうぶんおもしろく、かっこいいと思った。
 明治初期の風景画や青木繁の作品はすごいと思ったし、1920〜30年代の日本画もじっくり見ると良いものだと思った。梅原龍三郎の「竹窓裸婦」や「北京秋天」には彼にしか描けない美しさを確認したし、今回初めて見た「戦争記録画」にも圧倒された。
 会場は1階から4階まで使っていて、4階から順次見ていくようになっているが、時代が下るにしたがってどうしても興味関心が薄くなっていく。私には明治・大正あたりが合っているのだろう。

 会場を行きつ戻りつして、お目当ての作品はすべて見ることができた。また今回初めて出会った作品の中にも収穫がいくつかあったように思う。これらは私の中で「発酵」して、やがて新たな可能性を開いてくれるものになってくれればと思う。それぐらいいろいろな分野のいろいろな作品を見ることができた展覧会であった。

(2002年2月15日見学)
(2002年2月19日:記)

「未完の世紀 20世紀美術がのこすもの」
2002年1月16日(水)〜3月10日(日)
東京国立近代美術館


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