「東京文学散歩」


 東京都近代文学博物館は、都政の合理化の中で閉館することになった。正確には、東京都教育委員会が閉館の決定をし、平成14年度第1回定例都議会で承認されることになっている。最後の展覧会「東京文学散歩」は、同館が週末に都内で主催している文学旧跡の見学会の資料を並べただけかとも思ったが、行ってみるとどうしてどうして、東京の持つ豊かな文学遺産を再認識させる展観であった。

 展示は銀座、本郷、浅草など地名ごとに分かれていて、そこに明治から昭和平成までのその地にゆかりのある文学が紹介されている。初出誌、新聞の切り抜き、初版本、原稿、書簡、挿し絵、舞台装置の模型、そして現存する文学碑の写真と、「これでもか」とばかりに盛りだくさんの展示がされている。新旧さまざまな文学者のいろいろな作品を見ると、それらを引き寄せた東京という磁場の力を改めて感じた。また、地域から縦割りに新旧作品を並べて見るというおもしろい経験にもなった。

 もともと同館の展示は、明治初期と昭和に厚く、私の好きな大正には弱いという印象があって、あまり親しくは見ていなかったが、今回改めて見ると昭和4年の「新東京百景」という版画のシリーズなどもおもしろいと思った。
 「白樺」関連では漱石の一連の作品に、木村荘八の「ぼく東綺譚」の挿し絵「お雪」、同じく荘八の「たけくらべ絵巻」(退色がはげしい)「田端雀」(田端文士村の小杉放庵について)、志賀直哉の「灰色の月」(初出誌「世界」創刊号)は丸の内のコーナーで見ることができる。
 各コーナーには実際の「文学散歩」で使われたパンフレットが置いてあり、これらを手にそれらの場所を回ることができる。たとえば「渋谷・青山」の回では志賀直哉旧宅の解説と現住所が書いてあるので、実際に訪ねてみることもできるだろう。

 2階展示室を出ると、これまでの展示のポスターが貼ってある。1994年1月15日〜4月10日に開かれた「武者小路実篤文庫」展のポスターもあった(併設「漱石火山脈」展)。実篤没後、実篤旧蔵の文学資料はここに寄贈され、それが後に調布の実篤記念館に移されたのだった。そういうゆかりのある博物館がなくなるというのはさびしいかぎりだ。

 なおこの建物じたいは、「旧前田公爵邸洋館」として本年4月以降も土曜日曜祝日には無料公開される(9時〜16時)。資料は両国にある江戸東京博物館に移される予定と聞いている。しかしながら、全国の文学館等から寄贈された資料の一部が1階展示室入り口で無償頒布されているように、資料の散逸も明らかに始まっている。ここに来ると全国の文学館博物館のポスターを見ることができたが、その核の1つがなくなってしまう損失は、ひじょうに大きいものに思えてならない。

 閉園の放送に追い立てられるように駒場公園を出る。じんわりとさびしさとくやしさがあふれてきた。

東京都近代文学博物館外観
(2002年2月27日見学)
(2002年3月3日:記)

「東京文学散歩」
2001年12月11日(火)〜2002年3月17日(日)
東京都近代文学博物館(昭和42年4月開館)



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