「ロダンと日本」展


 名古屋に出張が入り、その日が金曜日で幸い美術館は夜8時まで開いていることがわかったので、夕方から「ロダンと日本」展を見に行った。静岡、名古屋となかなか行けそうにない美術館での巡回展だったため、行けないものとあきらめていたが、これは「ぜひ見ておくように」という天の配剤かと思い、チャンスを最大限生かすことにした。

 愛知県美術館は地下鉄栄駅のすぐそば。郊外の環境の良いところに美術館を置くケースが多いが、繁華街の近くにあるのはアクセスもわかりやすいし時間もかからなくて、たいへんありがたかった。日は長くなったが5時半過ぎ、それでも観覧者はまばらではあるが入っていた。女性が多いが、背広姿の男性も少し見かける。

 第一室は「花子」に関係する作品。ロダンがモデルにした日本人女性「花子」は愛知県の出身らしく、それも今回開催した理由のひとつかもしれない。花子は女優で、死の場面の熱演をロダンが見てモデルに選んだというが、その話のとおり、苦しげな、かわいくない顔の像が並ぶ。かなりこわい。しかしその迫真の表情から、見たこともない「花子」のイメージが湧いてくる。ロダンの彫刻とデッサンの後に、花子本人の写真が展示されているが、作品ほど醜くないまでも同じ人物だと安心して見られるくらい、「花子」像は本物を映していたと思う。
 それから花子の全身像のデッサンを見る。これまでデッサンとは下書き、準備としかとらえられずに、その価値を見いだせずにいた。セザンヌのデッサンなども「良い」と言われながらも実物を見てもそうは思えなかったが、今回初めてデッサンのおもしろさを知った。
 ロダンのデッサンは流れる線でひじょうにラフに描かれているが、描きたいポイントは明確に描かれていて、とても感じが出ていた。ポイントとはふくらはぎだったり、腕の曲線だったりするのだが、それ以外はあっさりと省略して、それでも全体の感じを損ねないように描かれている。ロダンはモデルの動きをじっと見つめておもしろいかたちを逃さずデッサンしたそうだが、まさに瞬間をとらえた「写真」のようだ。

 第二室はロダンの日本美術コレクション。展示説明によると、ロダンは古代ギリシャやローマ、エジプト、中国、日本の美術品を、愛好家としてではなく芸術家として、自分の創作に刺激や励ましを与えてくれる品々を選び取った、とあった。それらを身の回りに置いていた写真もあったが、その考え方と接し方は実篤晩年のそれとまったく同じだったのでびっくりした。実篤も晩年は愛蔵品に日々接して創作の糧としていたが、ロダンを意識していたことはないと思う。芸術家というのは自ずと同じようなことをしているのかもしれない。

 白樺同人がロダンに送った浮世絵30点のうち、特定できる20点が初めて公開されていた。その良さは私にはわからないが、ロダンのために同人が探して集めたものだ。ロダンに送るときの手紙(有島壬生馬が書いた。1911年7月)も展示されていて、細川以下総勢11人の名前が書かれている。ロダンは日本を「優れた素描家たちが多くいる国」と呼んで、そのあらわれを浮世絵に見ていたようだが、そのあたりの意味(何を指して、どう評価していたのか)がわからないので、これから気に掛けて少しずつ追っていきたい。
 ロダンから送られた3つのブロンズ像も展示されている。これらを前に白樺同人が大興奮したものだ。現在では大原美術館に寄託されている。「ある小さき影」(1885)、「巴里ゴロツキの首」(1885)、「ロダン夫人の胸像」(1990-91)がそれだが、本展示の図録解説によると、全身像、男、女とロダン作品の特徴がわかるように配慮して選ばれたものだと書いてあった。これらを当時田中雨村邸の庭で撮った写真(撮影者不祥)も展示されていたが、中でも「ロダン夫人の胸像」を写したものは高貴な感じが出ていて、とてもよいと思った。今回の展示の方が、残念ながら照明の関係か、私にはその写真よりは良く見えなかった。
 実篤のコレクションとしてよく実篤記念館で見ている「小さき女スフィンクス」(東京都現代美術館蔵)も出品していて、それを描いた実篤のスケッチ帖も展示されていた。ともに何回も見たことがあるものだけに、遠くの地で旧知の友人に会ったような感じがした。

 ロダンと日本の関係を紹介した後は、いよいよ彫刻作品の展示だ。ロダンの作品と、彼に影響を受けた日本人の作品がいっしょに展示されていて、それらが林立する様は迫力がある。荻原守衛の「女」や中原悌二郎、戸張孤雁、朝倉文夫などの作品が出品されていたが、似たモチーフのロダンの作品と並べられると、残念ながら日本人のそれはかすんでしまう気がした。ロダンの作品はひときわ激しいし、不適切な表現かもしれないが、「いやらしい」。女性の描き方が生々しく、女性の観覧者と同じ作品を見つめるのがはばかられるぐらい、生きた感じがする。中学生の頃ならまだしも、この歳になってそんな感覚を呼び覚まされるとは思いもしなかった(ロダンおそるべし)。高村光太郎は「手」2点と裸婦座像が展示されていたが、ロダンにも「大きな左手」があり光太郎がそれを意識したかはわからないが、ちょっと意地の悪い展示方法になっていたかもしれない。

 小さな彫刻とデッサンで始まり、「白樺」で盛り上がって最後は彫刻群と、どんどん調子が強くなる展示だった。デッサンの良さも、また彫刻とデッサンに共通の「集中と省略」を知ることができて、収穫の多い展観だった。また会場では作品に集中できて、背広を着ていることも忘れて、仕事帰りであることも帰りの新幹線の予約をまだしていないことも忘れて、学生の頃のように作品の間を歩き回った。実は会場に向かうときもウキウキしていたのだが、今このレポートを書いているときも、そのときの楽しさを思い出してキーボードを打つ手が弾んでいる。思っている以上に楽しい展覧会だったのかもしれない。

(2001年8月3日見学)
(2001年8月4日:記)

「ロダンと日本」 ロダンが愛した日本 日本が憧れたロダン
2001年6月22日(金)〜8月19日(日)
愛知県美術館


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