「細川護立と白樺派の人々」


 細川護立(もりたつ、1883〜1970)は、細川幽斎藤孝に源を発する肥後熊本細川家の第16代当主であり、細川護煕元首相の祖父にあたる。彼は学習院で武者小路実篤、志賀直哉、木下利玄らの同期生であり、「白樺」の活動を資金面から支えた人物である。今回の展示では護立と「白樺」同人たちの交流の様子が示されていた。なぜかわからないが、見終わったとき楽しい気持ちになっていた。

 永青文庫は細川家の屋敷跡に建てられた小さな博物館で、細川家に伝わる歴史資料や美術品を保管・公開している。陶磁器や日本画、書跡や工芸品が中心で、今回のようなテーマは珍しい。それだけに行かなければとずっと思っていた。
 展示は護立宛ての書簡と美術品が中心だった。解説も入った展示目録があるので、それをもとにふり返ってみたい。全体を見渡してみると、実篤と梅原龍三郎のものが多かったように思う。実篤は「富士」(1944、淡彩)も良かったが、「鶴見嶽」(1939頃、油彩)がよく描けていた。手前の山がやや平板に見えるが、主峰の影の表現など感じがよく出ていた。別府市西部の山だそうだが、少ない実篤の風景画の中でも最良の部類に入るのではないかと思う。

 じつは実篤は護立にいろいろなかたちで資金を出してもらっている。今回もそれにまつわる書簡が出ていたが、一つはロダンの「小さきスフィンクス」を手ばなさざるをえなくなったが細川が買ってくれないだろうかというものだ。「前略 用事だけ書く。実は相変らず貧乏神がとりついてゐるので云々」という書き出しだが、昭和初期金策に苦心している様子がうかがえる。この像は実篤の死後遺族から東京都美術館に寄贈されたので、売らないですんだか後日買い戻すことができたのだろう。もう一つは封筒の表書きに「白樺復活」と書かれた「白樺」復刊計画である。昭和8年頃のものと推定されていたが、部数や定価、口絵の枚数、執筆者と表紙など考えを示して、焼き捨てようとしている絵があったら寄付してくれないかと書いている。現実とはならなかったが、実篤の書いた「白樺復活」という文字に少し胸がドキドキした。復活している平行宇宙(パラレルワールド)があってもいいかもしれない。

 実篤は昭和11年の欧米旅行の前に不慮の事故に備えて遺言状を書いている。その中で「(二千円、五百円等と借金を列記した後)他には園池、細川があるが、之はゆるしてもらってゐると思ふ」とあったが、許してくれていたかどうかは別として、かなりの援助を受けていたことは確かである。この辺は実篤について考えるにあたって避けられないことだが、持てる者が持たざる者に与えることについては実篤はあまり気にしていなかったように思う。実際援助を頼むときはいろいろと気をつかって丁寧に頼んでいるし(今回の手紙にもそれは表われている)、決してぞんざいとか無頓着ということではないが、自らの収入を「新しき村」に一種無造作に渡していたのと同様に、援助を受けることを絶対的な恥としていたわけではない。このあたりは感覚の問題で私には到底まねできないが、実篤は彼なりの収支感覚で処していたのだと思う。たしかにその融通のおかげで実篤は多くの良い作品を残すことができたのだし、細川が白樺同人のために購入したセザンヌやマティスの作品を現在日本で見ることができるのだ。

 その他志賀直哉、児島喜久雄、バーナード・リーチ、富本憲吉、梅原龍三郎、斎藤与里、藤島武二、正宗得三郎、山下新太郎の作品や書簡、セザンヌの「登り道」などが展示されたが、中でもリーチの「鼠釉茶碗」と梅原のメイランファン像が良かった。展示室の入口には学習院高等科(明治39年)と昭和43年の写真があったが、老年になっても細川は志賀よりも長身で少し細身だった。60年にわたる変わらぬ交流の姿が、見終わった後の「楽しさ」につながったのだろう。改めて目録を見ると護立宛ての書簡はあっても、護立が書いたものは一つもない。あるのは2枚の写真と彼が将来した西洋絵画だけだが、周囲の人々からの書簡と寄贈の作品で構成された展示は、「白樺」の活動を影から支えた護立にふさわしい方法だったかもしれない。「ありがとう」「早く病気が治るように」といった友人たちの言葉が護立に向かって放射する。一見バラバラにも見える個々の作品が、それらが向き合っている中心点を暗示する。それが観覧後の幸福感につながったのではないかと思う。

 建物の周りは武蔵野の林が深く、木々は天を指して伸びている。その中で武蔵野には自生しないはずの白樺が一本、クスノキなどに交じっていっしょに大きくなっている。永青文庫の敷地に入ってすぐの右手にこの白樺を見つけたとき、少しうれしかった。そんな第一印象が展観全体をあたたかく包んでくれたのだろう。見に行ってほんとうに良かったと思う。

(2001年9月15日見学)
(2001年9月15日:記)

「細川護立と白樺派の人々」
2001年7月17日(火)〜9月22日(土)
永青文庫(東京都文京区)

補記:
 文中でふれた資料は、「全集」第18巻の以下のページで読むことができる。

 その他に、書簡554(171ページ)、560(175ページ)、564(176ページ)、565(177ページ)などが展示されていた。


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