風景画展


 実篤の絵というと、野菜讃などの静物画というのが一般的な見方だが、そんな彼が風景画を描いていたのですよという展示。いつ頃描いていたのかと言うと、
・伊豆長岡・大仁で(昭和5年から20年代前半まで、「愛と死」「幸福な家族」などを書くかたわら)
・昭和11年の欧米旅行
・新しき村にて(村外会員になってから、村を訪れた際に)
・昭和20〜30年の講演旅行先にて
 いずれの場合も時間をかけず、旅の合間などに描いているようだ。

 画題としては山が多く、好きな山として別府・由布山、盛岡・岩手山、弘前・岩木山などを挙げている。山というのはじっとしているし、そういう点では馬鈴薯や南瓜、あるいは馬鹿一の石などと共通点があるかもしれない。「山と眺めっこしたい。一心にかけたら画家になれる」という実篤の文章と、「由布山を描く実篤」という写真パネル(山道のかたわらにイーゼルを立て、どっかりと腰を据えて由布山と向き合っている実篤の姿)が紹介されていたが、ものをじっと見てそれを見たままに表現するという、実篤の基本的な姿勢がよくあらわれていると思った。

 実篤の風景画が十数枚展示されていたが、中でも「伊豆長岡より見た富士」(1930年油彩)と、「蔵王山」(1950年代紙本墨画淡彩)がいいと思った。とりたててどこがどうとは言えないのだが、じっくり描かれている感じがした。逆に「この道」(山に向かって道が伸びていく)のような観念的な絵は、たぶん実際の風景を見ながらではなく空想で描かれたのではないかと思うのだが、構図が一定で何らおもしろみがない。『武者小路実篤 画集と画論』という本にも何枚か富士山の絵があるが、画想は平凡でありきたりの絵になってしまっている。

 最後のコーナーには季節に合わせて筍や木蓮の絵が掛けられていたが、「筍図」は1938年4月20日に椿貞雄の新築祝いに行った際に、その場で描いたものだそうだ。画家へのお祝いに即興で絵を描くとは彼らしいこだわらなさだなと思った。また、『心』(昭和47年4月)に掲載された「人間が好きだよ」という詩の原稿も展示されており、死の前々年に書かれた「僕は人間が好きだよ」という直筆は胸に迫るものがあった。

 公園はユキヤナギ、馬酔木、山吹、ヒイラギナンテンなどの花が咲き、すっかり春らしくなっていた。あずまやの屋根もきれいに葺き替えられ、池の中の島ではスミレがかわいい花をつけていた。アジサイの葉も出始まり、木々も芽吹いて季節が進んでいることを感じさせる。旧邸へのトンネルの手前では桜が満開でとてもきれいだった。
 見学前に記念館の受付で、友の会の会員登録を更新した。


(1998年4月4日見学)

(1998年5月2日:記)


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