「装幀の世界」


 実篤の文芸作品を「装幀」という側面から見ようという展示。実篤と美術の関係は、実篤のゴッホ紹介や美術評論など、「実篤から美術へ」という方向ではよくふれられているが、今回は実篤作品じしんの美術化という観点でありなかなか新鮮だ。

 初めての出版「荒野」は、ただタイトルを書いただけの表紙なので、紙を選ぶぐらいしか装幀らしいことはしていないが、「お目出たき人」では有島生馬に表紙を描いてもらっている。鳳凰の羽根のように見えるのだが、ほんとうは何なのだろう(新潮文庫版でも復刻されているので、ご参照を)。口絵を入れたりと、少し本らしくなってくる。続く「世間知らず」は清宮彬の装幀だった。清宮というと草土社関連でもう少しあとの友人かと思っていたが、意外と早くからの知り合いのようだ。

 「白樺」の装幀は、有名な創刊号は児島喜久雄、そしてロダン号は南薫造。後の世から見るとこの2人のイメージが強い。またよく見ると「白樺」の題字のデザインもまちまちだ。統一したロゴというものではなくて、表紙の一部としてデザインされている。
 歴代の表紙の中では岸田劉生のがんばりが目立つ。今回もかなりの数展示されている。100号記念も劉生によるものだ。

 次のコーナーは劉生による実篤作品の装幀。大正6年から昭和4年まで70点あまり手がけたという。作品も「友情」「幸福者」「土地」といった“熱い”時代だ。大正9年1月14日の実篤宛書簡に「君の出す本は皆僕がさせてもらへバ光栄」と書いたように、劉生もまた熱い思いで実篤作品の装幀にのぞんでいた。
 装幀だけを見ると、実篤の作品というよりは劉生の世界のように見える。絵のモチーフもテイストも「麗子」時代のおどろおどろしい感じで、作品名を聞かなければ実篤作品とは思わないだろう。かと言って中味まで劉生の力が侵食しているかというと当然そのようなことはなく、中味は実篤の力強い文章がこれまた力いっぱいこめられている。お互いに負けていない。二人の強い個性がぶつかりあって、うまく融合していないように見える。

 次のコーナーは実篤による自装本。劉生急死の後、実篤はみずから装幀を行うようになる。その最初は昭和5年の『棘まで美し』(日向堂)。その後、人生論、美術書、山谷五兵衛ものと続いていく。自装本は戦後の双書・新書・文庫でも見慣れたものだ。かなり強くこんにちの実篤のイメージをかたちづくっている。文庫本の題字も、そのために実篤が短冊に書いていたもので、今回展示されていた。当たり前だが、愛蔵していた新潮文庫の題字と同じでちょっとびっくりした。

 劉生以外では、中川一政(大正15年〜。「幸福な家族」の挿絵など。小学館版実篤全集の装幀もてがける。)や河野通勢(「井原西鶴」挿絵など。昭和10年代半ばまで。)が多く仕事をしている。しかし装幀側の印象が弱く、物足りないものを感じる。
 椿貞雄と梅原龍三郎はそれぞれ2冊。梅原の「一人の男」は彼らしい作品だ。ちなみにその装幀原画は、東京都近代文学博物館に寄贈されていたが、閉館にともないこのたび実篤記念館に移管されたもの。
 安田靫彦、前田青邨、小林古径といった大家も、実篤作品の装幀をしていたのは驚きだが、それぞれみな美しい本で、その人の作品と言っていい。しかし美しすぎて、実篤のものには見えない。(参考までに、それぞれ順番に『牟礼随筆』『楠木正成』『孔子』を装幀。)

 会場を一回りしてみると、やはり劉生の装幀がいちばんだと思った。劉生個人の色が強く出過ぎて、違和感をもたらしているのではないかとも思ったが、個性のぶつかり合いが吉と出ているのか、お互いが負けずに主張しあっていることで、かえって独特の力を持っていると感じた。これが実篤の言っていた個性の「合奏」なのだろうか。
 次は実篤じしんによる自装本が良いと思った。晩年多くの画家がシンプルな装幀にしているが、それも自装本の雰囲気にひっぱられているのではないかと思う。
 大正時代、中でも「新しき村」創設前後は傑作が多く、その同時代に最盛期を迎えていた岸田劉生の装幀を得た「作品」は、今見ても魅力的である。また、晩年の文章とみずからによる装幀は、実篤の到達したひとつの安定した世界を表していて、これもまた忘れがたい「作品」となっている。

 今回の展示に向けて本をつくる講座が開かれていて、その成果も展示されていた。文庫本の改装(表紙だけを変える)や、見開き製本(16ページもの)、平とじ製本(和綴じ)などを行ったそうだ。

 実篤公園は、こずえに新緑が芽吹いていて、明るい緑色に包まれていた。山吹も咲いていて、ヤマザクラが八重の花をたくさんつけている。ソメイヨシノは見られなかったが、ヤマザクラは私を待っていてくれたと思えるくらいうれしかった。今年は春が来るのも早かったが、木々が芽吹くのも早い。

(2002年4月10日見学)

(2002年4月29日:記)


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