昔に書いた「おめでたき日々」


冬が好き


 昨年の夏頃から街路樹が気になりだした。中でも冬、葉の落ちたケヤキの樹形をとても美しいと観じた。あの枝の張りかた、幹の力強さは、オリオン座にも勝る冬の名物だと思った。
 冬といえば高村光太郎である。「冬が来る/寒い、鋭い、強い、透明な/冬が来る」(「冬が来る」)というイメージがあるからだろうか。それとも戦後岩手の山中にこもったことの印象が強いからだろうか。岩手の山中と言っても別に冬だけ過ごしていたわけでもないのだが、粗末な山小屋で冬を越すと想像しただけで、とても真似できないと思ったからだろうか。
 先日村田喜代子氏が、智恵子が冬を愛していたというのを知って、女性には寒がりが多いのに変った人だと思ったと書いていた(「寒がり日記」日経新聞、1998年1月24日)。智恵子の名誉のために弁ずるならば、智恵子は福島・二本松の出身だから、寒いのが好きなのは別に特別なことではない。私も東北育ちだが、寒さで苦労はしたがその分だけ冬は懐かしいものである。東京で暮らしているとそう思う。その心情を北九州生まれで「無類の寒がりで、冬は大嫌い」(上掲紙)の村田氏に「変った人」などとは言ってもらいたくないものだ。
 冬は空気が澄んでいて、星や遠くの山がよく見える。寒気の厳しさは人に何か覚悟を問うているようだ。そんな冬と光太郎、厳しさと自己凝視を結びつけるのは父のなつかしさかもしれない。
(1999年2月20日:記)



宇野重吉を忘れない


 宇野重吉の最後の公演を記した、日色ともゑの『宇野重吉一座 最後の旅日記』が出ている(小学館文庫)。宇野重吉といえば私の世代にとっては、やさしいおじいさんであり、TVアニメ「家なき子」のナレーターであり、寺尾聰の父親であり、どこが武者組と関係があるのかと思われる向きもあるかもしれない。
 彼は病をおしての公演旅行の中で、武者小路の「馬鹿一の夢」をとりあげ、馬鹿一を演じている。「馬鹿一の夢」は実篤晩年の「山谷五兵衛もの」と呼ばれる連作の一つで、このシリーズはその仙人めいた側面に注目されがちだが、宇野は芸術家・馬鹿一に焦点を当てて、この作品を演じている。はじめはなぜこの作品をとりあげたのかのみこめなかったのだが、どうにかして自分の芸術を完成させたいという馬鹿一の願いに、宇野は自分の残り少ない人生を重ねあわせていたのだった。
 前掲の日色さんの本は最後の公演(「三年寝太郎」ともう1作)についてだけしか書かれていないので「馬鹿一の夢」は出てこないが、彼の壮絶な公演(幕間に酸素吸入をしながら演じ続ける姿をNHKのドキュメンタリーで見た)を思い出した。実篤旧邸の和室には、そのときの舞台装置の模型(実際にセットをつくる前に試しにつくってみる模型だそうだ)が展示されている。宇野重吉という役者は好きだったし、その思い出は大事にしていきたいと思うとともに、私にとって実篤作品を演じた(現時点で)最後の役者として胸に留めておきたいと思う。

蛇足:
 高田博厚が『もう一つの眼』で宇野重吉を同郷の後輩としてあたたかい眼で見て書いていたが、これも何かの縁だろう。

(1998年8月2日:記)
(1999年2月21日:補記)



視野 あるいは視野に入れるべきもの − 高村光太郎と『青鞜』

●最近『智恵子抄』と関連書を2冊読んだ。高村光太郎は私の中でずっと気になっている存在で、いずれじっくり読まなければと思っている。今回、白樺派特に武者小路と光太郎の思想的な近さについて改めて認識したが、『青鞜』との関係もより注意していかなければと思った。そんなとき書店に入ると、『日録 20世紀』は1911年の号、『青鞜』創刊で平塚らいてうが表紙だった。
●「高村光太郎 智恵子展」が、長野県安曇群穂高町にある碌山美術館で開かれるようだ。光太郎の彫刻と智恵子の紙絵を中心に、7月25日から8月31日まで。
(1998年7月19日:記)


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