2008年9月28日(日)
深夜の歯医者

忙しいけれど、これだけは書きとどめておこう。休日や夜間に医療機関を探すには、03(5272)0303東京都医療機関紹介システムひまわり。もちろんインターネットも利用できるが、電話がよい!!
この電話番号にかける→音声の指示にしたがって診療科目を言って、自分の住まいの郵便番号をプッシュ…夜間であってもやっている医療機関の名称と住所、電話番号を、近いところからアナウンスしてくれる。
これを教えてくれた病院に感謝! 

ということで、歯の痛みと腫れで他人のようになった息子とともに行った先は、新宿は歌舞伎町。ネオン瞬くビルの一角、午後10時半。いやぁ、待合室では並ぶは、予約の電話はかかってくるは。「これからの予約ですと12時半になりますが、、」てな具合。
地域のニーズに合った仕事の形態ですね。表示診療時間が11時〜5時(日曜日も)とあるので、深夜診療となっても平日の診療報酬。財布も安心でした。
深夜の歌舞伎町で社会勉強!

2008年9月14日(日)
病気の子どもの教育

病弱教育研究会でお母さんの話を聞いた。テレビなどで取り上げられることもあるが、現実はドラマではない。
通常学校の教育と障害児教育に谷間などあってはならない。でも、子どもと保護者の思いはなかなか届かない。病気の子どもたちの教育について勉強しなければいけないと、切に思った研究会だった。

2008年9月10日(水)
田中裕子に涙…

夏休みに映画の一つもみたいものだと思いつついたが、秋の気配…。新聞のテレビ欄お薦めのままに録画しておいた「歓喜の歌」を観た。蕎麦を1本1本口に運びながら主人公の田中裕子が言う、「あなた、ママさんコーラス、馬鹿にしてるでしょ」「これカツラなの…」などなどの場面と台詞がなぜか心に残った。そういえば、8月、広島の原爆忌にあわせて放送された、「帽子」も田中裕子だった。どちらも、病を得てなお生を信じてけなげに生きるふつうの女性を演じる彼女の存在感が、涙をさそった。映画には行けなかったけど、よい作品に出会えたと思う。

2008年9月6日(土)
差別、人権、平和をまなぶ
多磨全生園ハンセン病資料館の正門

濃い一日だった。今年3月に卒業した学生と誘い合わせて、多磨全生園に。初めてハンセン病資料館を見学した。40分ほどに編集された歴史の映像を見て、展示室へ。写真と解説、実物展示とともに、証言をふくめた映像など、リアルに伝えようと整備された資料館だ。「先生、このこと、大学で教えてほしかったよ」と言われ、うなだれた…
午後は、「人権と平和を考えるつどい」で、もと患者の方、被爆者の方などのお話をきいた。自分自身、なんとなくわかっている気がして、大学のなかで若者とともに学ぶ努力をしてこなかったこと、そのためにはきちんと勉強しなければいけないこと、等々痛感した一日だった。最後に、国立であるこの「資料館」の展示内容に、厚生労働省はイロイロ注文をつけていると聞いた。真実を知る、知らせることも「たたかい」なのかもしれない。

2008年9月3日(水)
日本一小さなテレビ局
御代田駅前の郵便ポスト

9月1日〜2日、4年生のゼミ合宿で、大学の研修施設に。一晩だったけど、10人全員がそれぞれの課題で発表。休憩のたびに、障害者問題って、深い! いやぁ、ホントにいろんなこと、知らないことがあるんだね、頭の中がいっぱいになったと感想を出し合った。そして深夜まで、これからの仕事のこと、恋愛や結婚のことなど、語り合った(といってもほとんど聞き役だったが)。
そんななかで、ちょっとおもしろかったのが、「レイ」の話。これはもちろん「霊」と書く。「先生はいると思いますか」って真顔で聞かれると、ちょっと引いてしまう。真剣になる若者がいるという現実を受けとめたい(T_T)
研修所のあるしなの鉄道「御代田」の駅には、<日本一小さなテレビ局>と銘打った、地域放送がある。ここの仕事について、いつか聞いてみたいと思いながら、待合室で局内を眺めていた。

2008年8月26日(火)
さざれ石

新装なった文部科学省に初めて足を踏み入れました。虎ノ門交差点から見る外装を保存して内部は新品、隣に新ビルを増設。そしてやっぱり中庭にあったのが「さざれ石」。改築中のとき、あの丸の内の狭いビルに居候しているときだって、ビルの入口ドアを入ってすぐに鎮座在していた「さざれくん」。また引っ越してきたんだね。学名を「石灰質礫岩」といい、その生成過程が「君が代」に歌われるにふさわしいのだそうです。文科省のアイデンティティとして大切にされているのでしょうね。
なぜ、文部科学省に行ったかというと、障害者権利条約にかかわった日本障害フォーラム(JDF)と文科省との話し合いに参加するためだったのです。権利条約の教育に関する条項についての議論は始まったばかり。おおいに議論をする必要がありそうです。

2008年8月23日(土)
猫に癒される?!
長崎の老猫・チャピー。1日の大半を外で過ごしています。

世の中、こんな商売も成り立つんだ、と驚いた一件。ネコ好きの同僚と都内での仕事の帰り、癒しの猫部屋喫茶の看板に足を止めた。一人では無理でも二人なら勇気百倍!! ものは試し、入ってみようと…
驚きましたね(*_*) まだ成猫に達していないネコたちがあちこちに丸くなっていたのです。中には元気に飛び回るネコもいたけれど、みんな人見知りをすることもなく、おとなしい。私が撫でたネコは、ひざにのってきてスリスリ…
別の部屋でお茶を飲んで、ネコと遊んだり写真を撮って、これが商売に。でもこのネコたちが大きくなったらどうするんだろう。「身売り」されるんだろうか。ネコたちの幸せと行く末を案じた私でした。ネコは外で元気に遊ばせたいね。
※お友だちの日記を参照

2008年8月22日(金)
高校における特別支援教育

夏休み、学校の先生の研修で話をする機会が与えられた。テーマは高校における特別支援教育。特別支援教育は小・中学校だけの課題ではないので、文部科学省も力を入れようとしている。今年の5月に、<さいたま教育文化研究所>でつづけてきたこの問題での研究会の成果を、「どうする?! 高校における特別支援教育」という冊子にまとめたこともあって、一般高校の先生の前で話すのは2回目。「特別支援教育とは何か」という疑問に答えられただろうか…
講演のあとは分科会にもおじゃました。高校の教師と障害児学校の教師が一緒に話し合う。同じ県立校どうしなので、両方の種類の学校を経験している先生もいて、子どもの見方や学校のあり方について意見を交換。「高等養護学校を受験して不合格になり普通高校に入学」「定時制高校はゆっくり学ぶ場でもあったのに統廃合(廃校)に」「発達障害を知ることだけで子どもを「理解」したことになってはいけない」。<6.3%>の困難をもつ子どもは小・中学校と同じように高校で学んでいる。しかし、青年期、社会への出口にかかる時期の課題は小・中学校のそれとはおのずと異なる。
こうした場がもっと、もっと必要だ。

2008年8月19日(火)
教室がない! 先生が足りない(>_<)
きょうは、障害者の生活と権利を守る埼玉県民連絡協議会(障埼連)などが毎年開催している、埼玉県との話し合い(交渉)に参加。年に1度のこの場は、私にとって、<障害児教育のいま>を知るための大切な場だ。
特別支援教育の時代になって、障害児の教育は以前よりメジャーになったかな、と思わないこともないけれど、やっぱり「何とかしてくれ!」と言いつづけないと、低い水準の教育に甘んじる結果になると思う。この日も、お母さんや先生方の話は、どれもリアルで切実だった。高等部から養護学校に入って初めての授業参観に行ってびっくり。図書室を「改装」した陽の当たらない教室で課題別学習をしていた。トイレが足りないのでポータブルトイレで対応したけれどここにも行列が…。医療的ケアを必要とする子どもはろう学校でも勉強している、だから看護師さんがほしい…
いやはや、普通の小・中学校や高校でこんなことがつづいたら、知事の「寿命」が危なくなるほどの社会問題だろうに…。どこかに、障害児のことが軽んじられる空気がある。
特別なケアは、生きるため、学ぶため、発達するための権利だ。特別なケアが保障されてこそ、ほんとうの平等が実現する。権利条約の意義を考えた3時間だった。
2008年8月16日(土)
from HANEDA Airport to SHINJUKU

長崎最終便は、羽田空港混雑のため35分遅れで出発。そのままの遅れで羽田に着陸。
首都高の混み具合を確認して、22時少し前のバスに乗った。
長崎から戻った夜はこれに限る。いきなりの山手線外回りの人混みには、不適応を起こしてしまうのだ。トウキョウに慣れるには、少しだけ時間がいる。レインボーブリッジが見えてきた。そして東京タワー。きょうはてっぺんに少し雲がかかっている。子どものころ、学校の遠足でよく行った稲佐山と同じ高さなんだよなぁ、東京タワーって。赤坂見附のホテル、トンネル…いつの間にか信濃町。各駅停車の電車と並行して走る。新宿の高層ビル街はすくそこだ…
22時30分。眠りを知らない街、新宿に降り立った。

2008年8月15日(金)
精霊流し

盂蘭盆会のころに長崎にいることはあまりない。とくに、精霊流しの15日は、むしろ帰省を避けてきた。しかし、今年はちがった。叔父の初盆。叔父、すなわち「父の弟」の船を送るために、長崎にいた。
1945年8月9日、11時2分、長崎。20歳の叔父は、市役所の仕事に精を出していたために、「一人」生き残った。出征していたために命をつないだ父にとって、「最後の家族」だった。
足腰の弱った87歳の父はもちろん、船を担ぐことも押すこともできない。従兄弟やその子どもたちが打ち鳴らす鉦や爆竹のなか、ただ見送った。

2008年8月12日(火)
体操競技の採点

私はスポーツを観るのが好きだ。ここまで書けばおわかりでしょう。そう、家にいたきのう、きょうは、やるべきことを先送りして、テレビの前に。高校野球はいくつになっても故郷の代表を応援する。慶應高校の選手が丸刈りでないことに感心したり…
オリンピックは、生まれて初めて、バドミントンの試合を観た。<スエマエ>をライブで観ていたら、北島の<金の瞬間>を見逃してしまった(-_-;) 反省しきょうは男子体操の団体を観た。でも俄観戦者には採点がよくわからない。あの<10点!><9.9>ではなかったのだ。う〜む、でも得点は高い方がいいんだよね、それでいいのだ。

2008年8月11日(月)
1000人以上の人の前で

8日、9日、和歌山市で、全国障害者問題研究会の第42回全国大会が開催された。私はこの集会にたずさわって30年とちょっとになる。若い頃は、短パンTシャツ、年を経ても短パンが少しずつ長くなったくらいで、いつも裏方で走り回ってきた。記念講演なんてあとでテープで聞いたり、編集で初めて知ったり…。
でも今年は違った。壇上に上がって、大会基調報告を報告することに。疲れもあったが緊張で食事が入らない日もあった。本番、右手と右足が動くロボット歩行をしていたのではないかと思う。25分間、聞いている人の顔を見ることもできなかったけれど、とにかく終わった(ホッ)…と思ったとたん、1段台の上にいる自分をすっかり忘れていた。あやうく、ずっこけるところだった。

2日目には、権利条約についての分科会を担当。期待が高まっている。過去最高の30人近い人が参加してくれた。権利条約を地域に生かすためにはどうしたらいいのか、真剣に話し合った。しばしば、日本の政治を変えなければということに話はいった。そうなんだよね、条約はお飾りじゃなく、憲法と同じように、私たちの手にあってこそ力になるんですね。玉村公二彦さん(奈良教育大学)と一緒に、『障害者権利条約と教育』というブックレット的な本を出しました。みんな読んでくれるといいな…

2008年8月3日(日)
オープンキャンパス

日記と言いつつ、まったく日記にならない。なにが「ある日の私」だ!
と反省しつつ、夏休みに入ったので日記再開。熊谷校舎でオープンキャンパスが開催された。ことしの夏は、10日をのぞいて毎週この仕事をする。暑かった。けれど、たくさんの若者と話すことができた。今の若者は何を感じ、何を「期待」して社会福祉学部を受験しようと思うのだろうか。今ひとつ、読めないところだが、若者と話すのは楽しい♪ まだ部活動をつづけるという子もいた。そんな子には、ついつい励ましてしまう。だって、今しかできないことに、最後まで挑戦させたいじゃないか。だれが、いつから夏休み前に「引退」なんて決めたんだ。輝け青春!! と叫びたいところだが、そうはいかない世の中ですね。

2008年4月22日(火)
特別支援学校の数?

文部科学省の学校基本調査2007年版が公表されています。特別支援学校は同標記sれているのかな、と思ってのぞいてみました。視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱の5種類の障害の掛け合わせで、全部で31種類の統計欄ができていました。もちろん、初年度ですから、ほとんどがゼロで、知的障害と肢体不自由の組み合わせの学校数が突出しています。障害種別をこえた学校」がテーマとなったときに、肢体不自由養護学校は重複障害の子どもの割合が4分の3であることなどが理由としてあげられていましたが、こうした実態と、実際に「肢体不自由と知的障害」を看板に掲げた場合に就学してくる知的障害を主とした子どもの像は明らかに違います。これからさまざまな新しい問題が生じることでしょう。授業の内容を考えなければいけないな…

2008年4月20日(日)
「ふるさとをください」

和歌山に実在する障害者施設「麦の郷(さと)」を舞台にした映画「ふるさとをください」を観た(脚本・ジェームス三木)
横に空席をつくるべきだった。隣に座った人、ごめんなさい。涙とハナミズでズルズル状態の私でした。精神障害者問題を正面から取り上げた劇映画ってどうなるんだろうって思っていたところがあったけれど、現実離れせずしかし「劇」、「お話」になっているから、笑ったり、泣いたり…。
もちろん字幕付き。エンディングには、各地でがんばる、あの人、この人の名前もあって、たくさんお人の力でできあがったんだなと、またしみじみ涙。すべての街で、たくさんの人が見てくれることを願う。

2008年4月19日(土)
青梅の夜は更ける

18日(金)、6軒目の講義を終え、8時過ぎに森林公園駅から電車に乗った。八高線などを使って、10時過ぎには青梅に着く予定だった。午後から行われている、日本障害者協議会(JD)の合宿に参加することになっていた。だが、だが…あわてん坊の私が飛び乗った八高線は、無惨にも「下り」だった。かくして私は暗闇の小川駅に放り出されてしまった(>_<)
11じをはるかに回ってたどりついた部屋で待っていたのは、笑いと「どうやってきたの?」という質問だった。

2008年4月15日(火)
「はらぺこあおむし」

肢体不自由養護学校(特別支援学校)を見学させていただきました。新年度、高等部新1年生への作業班説明会を子どもたちがやっていました。陶芸や紙工芸、キャンドル、、、期待がふくらみます。「はらぺこあおむし」を題材にした授業には魅せられました。先生の腕カバーがあおむしになっていて、あ〜ら不思議、子どもたちがトウモロコシやにんじんを手に持ってあおむしにあげると、パクパクと食べる。子どもたちは真剣に見つめます。「授業をつくる」仕事をもっと実感したいと思いました。

2008年4月13日(日)
編集委員会

私は大学の職に就く前、ずーっと「障害者問題研究」という雑誌の編集の仕事をしていました。いまは、編集委員として編集に参加しています。この会議は、実に刺激的です。自閉症の特集をするとなれば、だれかが最新の研究動向を集めて企画をする。提案すると8割方、責任をもって編集することになるかな?!! 心理学の研究、医学・医療のこと、ナンデモ好奇心をもつことが参加の心構えのように思います。

2008年3月21日(金)
歌わせたい男たち

この欄では初めて、観劇の話。「歌わせたい男たち」(永井愛、作・演出)は、学校での「君が代」の扱いをめぐる一連の問題を素材にしたお話。というと、何か固くて暗いお話かと思う人もいるかもしれないが、これが喜劇。主人公の音楽教師役が戸田恵子ときけば、彼女のテンポいい台詞を思い浮かべる人もいるだろう。もちろん、台詞のひと言ひと言は重い。あるときは目頭を押さえ、しかし大笑いする。終わって思った。思わず笑ってしまうようなオカシナことがつづく学校の現実と、それに慣らされている社会って、ホントはどこかおかしいんだと。

 

★過去の「ある日…」へ