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その他 
ふるさとの街、長崎の風景写真。神社の鳥居とお寺の山門、教会の屋根が一緒に一度に見える

   ☆ こんなことがありました(^_^;)
<2007年>
○5月20日(日)、大分市に行き、障害者関係団体のみなさんが企画した「障害者権利条約」の学習会でお話をしました。地元紙が報道!!

○6月2日(土)、日本障害者協議会主催で「障害者権利条約」についてのシンポジウムがあり、シンポジストを務めました。

○6月30日(土)、高知県の障害者団体が主催する「知事と語る集い」に招かれ、障害者権利条約について話しました。懇親会では橋本知事と並んで、アイマスクをしてのリンゴの皮むきに挑戦! 知事は視覚障害者のバンド「パステルブルー」のをバックに熱唱♪

○7月1日(日) 国連に障害児の声を届けよう全国集会! 障害者自立支援法によって障害児の発達の場が切り崩されている、という発言があいつぎました。

○9月15日(土) 岡山で全国肢体障害者団体連絡協議会交流集会があり、光栄にも記念講演をさせていただきました。ホテルは車いすの対応にせいいっぱい配慮をしてくれました。交流会では、お国ことばで「桃太郎」が披露されました。

○9月30日(日)またまた国連に障害児の声を届けよう全国集会! 第3回目、大阪でした。雨模様にもかかわらず100人を超える方が集まりました。

○10月30日、私たち抜きに私たちのことを決めないで! 今こそ変えよう「障害者自立支援法」10.30全国大フォーラムが日比谷野外音楽堂で開催されました。

○11月23日(金・祝日)NPOくまがやのみなさんと立正大学が一緒になって開催した、街なかフォーラムに参加しました。大学に行くのに熊谷駅を利用していないので、じつはあまりこの街のことを知らない私は、準備のプロセスでいろいろ勉強になりました。『まちづくりす人(と)』というNPO大集合の冊子、ためになりますよ。

○12月8日(土)、川越市の「障害者週間」の取り組みの一環で、「障害者権利条約」についてお話ししました。旧知の方が作業所の所長をやっていて、お土産をいただきました。障害の重い人たちの働く場をつくってきた川越いもの子作業所が、工賃を上げるために開発した「おせんべい」。商品価値を高める努力の結晶です! オイシイ

<2008年>
○1月の連休、岡山で障害児教育の実践交流の研究会があり参加しました。大学時代の友人とン十年ぶりに再会。親の介護のこと、一段落した子育てのことなど語ったりして… ここでの仕事は、自立支援法や権利条約などを学校の先生方に話したり、一緒に討論すること。自立支援法の影響を直接的に受ける入所施設の子どもたちのこと、寄宿舎入舎児からみえる生活の危機など、学校教育段階の子どもたちが育つ暮らしが脅かされている、といった事実が出され、発言する人も聞く人も、思わずハンカチを出しました。

○2月、連続して「権利条約行脚」に。9日(土)は、雪の神戸。転ばないように会場にたどりつきました。足下が悪い中、集まってくださったみなさんに感謝! この日は、堀木訴訟や玉木訴訟で障害者の権利を守るために奮闘されてきた藤原精吾弁護士と対談。かなり上がってしまったような…わたしでした。16日(土)は、名古屋にある地域療育センターの職員研修。みなさん、ばっちり「予習」されていて、私も勉強になりました。

○2月19日、川崎市に行ってきました(武蔵小杉の駅でまたしても迷った!)。地域療育センターの民営化が提案されているそうです。「ニーズに応じた柔軟な運営や費用対効果等を考慮し民間法人による運営とする」という文言を見たとき思いました。障害児療育って、費用対効果で計算したら儲かるもんじゃないだろうからこそ、自治体でやってきた部分が大きかったんじゃないかな。そんなものを民間に押しつけたらどこかで値切られるだろうな…って。

○3月1日、「小学校での特別支援教育をどうすすめるか」というテーマのシンポジウムを運営しました。通常学級、通級指導学級(東京都は「教室」ではない)、特別支援学級、そして養護学校のコーディネーターのみなさんのひと言ひと言にうなずいてばかりいました。特別支援教育は「特殊教育」に取って代わったものと考えているならば大間違い!通常学校(学級)のあり様の変革を迫らない限りダメなんだと大声で叫びたい!!

○3月9日、長野県飯田市で、飯田養護学校のルーツをたずねて、という集まりに参加しました。養護学校義務制実施から6年後の1985年に開校した学校です。さかのぼること17年前に親御さんたちの要求ではじまった療育の場が市の無認可通園施設となり、知恵を出しあった学校教育がはじまる。そこに集まった親たちは夜を徹して子どもの教育について話し合い、運動を展開していったそうです。当時の親御さん、先生らのお話には力がこもっていました。運動はしたけれどわが子は行くことができなかった、遠くの寄宿舎のある学校に汽車を乗り継いで連れて行った…などなど、涙腺の弱い私はつい…

○3月14日、二つの小学校の統合をはなしあっている統合委員会という会合を初めて傍聴したときのこと。新しい学校の校歌をどうするかが議題に。A先生「校歌というものは、構成員が決まったところで、新しい学校の教育目標などを話し合ったり校風を取り入れてつくってもおそくない」。B先生「教育目標は時代によってどんどん変わる。どんな教育をするかということと校歌は別。先につくるべき」。う〜む、学校の教育目標は教職員が話し合って決めるというより、時の要請で決まるのか、ということが印象に残った発言でした。