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森高大好き!! (2)
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 森高千里.いいですね.
 自分では,”歌は下手だし,楽器だっていろいろやるけどソコソコだし”,なんて言っているけど,やっぱりいいですよね.

 さて,彼女のプロファイルを,STEP by STEP(1996年9月30日発行)から彼女自身の言葉で紹介しましょう.:−
森高千里は,高校時代,ポチャポチャしていたというか,はっきり言って太っていた.(頬っぺたなんかもうパンパンで,腕もこう,ドーンと太かった)(p.27)
森高千里は,間違ったことは大嫌いである.(p.31)
森高千里は,小学生の時,学級委員をやっていた.(p.31)
森高千里は,ケンカはかなり強かった.(p.31)
森高千里は,負けず嫌いである.(p.32)
森高千里は,上京10年経ってもナマっている.(p.37)
森高千里は,先生についてちゃんと標準語の勉強をしたことがある.(p.38)
森高千里は,本当は方言ってすごく好き.(p.39)
森高千里は,小学生の頃は「幼稚園の先生になる」と言っていた.(p.41)
森高千里は,とにかく子供が好きで,それだけでなく世話好きでもある.(p.41)
森高千里は,中学に入る頃になると,どうやらあんまり勉強が好きじゃない,ってことに気がついた.(p.41)
森高千里は,もっとちっちゃい頃(小学生以前?)は,「ピンポンパン」のお姉さんになりたかった.(p.42)
森高千里は,先生の次には「ピアノの先生になる」と言っていた.(p.43)
森高千里は,楽しくないのに笑えない.(p.51)
森高千里は,目がつり上がっているので,普通にしていても,怒ってるように見えてしまう.(p.53)
森高千里は,ちいさな頃,ピンクレディがなんといっても好きだった.(p.56)
森高千里は,いまでもピンクレディの振り付けを覚えている.(p.56)
森高千里は,小学校高学年の時には,たのきんトリオのマッチのファンだった.(p.58)
森高千里は,中学時代には,デュランデュランが好きで,下敷きに写真を入れていた.とくに好きだったのはドラムのロジャー・テイラーだった.(p.59)

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森高千里は,中学時代に好きだった男の子がデュランデュランを好きだときいて,デュランデュランを聞いたのがファンになるきっかけだった.(p.60)
森高千里は,高校1年生の時に初めてバンドを組んだ.バンドの名前は,「ル・パラディ」で,ドラムを担当した.(p.63)
森高千里は,レベッカの「LOVE IS CASH」を,バンド「ル・パラディ」で,初めて練習した.(p.63)
森高千里は,最初ドラムをお兄ちゃんに教えてもらった.(p.64)
森高千里は,熊本のペパーランドっていうスタジオで,「ル・パラディ」のライブをした.(p.65)
森高千里は,「NEW SEASON」で,1987年レコードデビューをしたけど,もう,あきれるくらいヘタクソだった.(p.71)
森高千里は,ポカリスエット・ムービーキャラバンの優勝者が主演する映画『あいつに恋して』で初めて演技をした.(p.72)
森高千里は,テレビドラマの『学園情報部ヒップ』で,ちょっと不良っぽい女子生徒の役をした.(p.73)
森高千里は,NHK(!)のドラマ『まんが道』にも出た.(p.73)
森高千里は,『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で,うさぎさんとかパンダさんとかのカブリモノを着て出ていた.これは,今見られると結構恥ずかしい.(p.73)
森高千里は,テレビドラマに関しては,見るのが専門になって,この頃は専門家並に詳しい.(p.75)
森高千里は,自分で食事を作るとき,わからなくなるとお母さんに電話で聞く.(p.77)
森高千里は,大根のみそ汁が大好きだ.その他には,ナス,カボチャ,サトイモ.(p.77)
森高千里は,小学生の頃までは好き嫌いが多くて,給食は友達に食べて貰ったこともあった.(pp.78-79)
森高千里は,自動車免許取立ての頃は,高速道路が怖くて「きゃーきゃー」言っていたが,今はもうスイスイである.(pp.79-80)
森高千里は,一人暮らしをはじめて,親って大変なんだなとわかるようになった.(p.80)
森高千里は,「森高らしさ」を目指している.(p.83)
森高千里は,デビュー当時には,与えられた仕事は一生懸命やろうという気持ちで,何でもやったけど,その分全然ポリシーがなかった.(p.85)
森高千里は,ストレスからの「急性腸炎」になって,年に2回も入院した.(p.86)
森高千里は,「急性腸炎」で入院した体験を基に,「ストレス」を作詞した.(p.87)
森高千里は,転んでもタダでは起きない(p.88)
森高千里は,高校時代にスーパーの中にある食べ物やさんでアルバイトをした.(p.91)
森高千里は,バイト代をバンドの衣装とスタジオ代に注ぎ込んだ.(p.93)
森高千里は,シングルの「ミーハー」から作詞をするようになった.(p.96)
森高千里は,作詞に結構苦労している.題材は,自分の体験が主だけど,友人やスタッフとの世間話,全くの作り話もある.(p.99)
森高千里は,「渡良瀬橋」など,歌の場所を見に行ってくれたり,「私がオバさんになっても」を結婚式の披露宴で歌ってくれたりすると,かなり感激する.(p.99,p.101)
森高千里は,1989年1月24日,渋谷公会堂のコンサートで,歌手・森高千里が,本当の意味で誕生したように思っている.(p.106)
森高千里は,『見て』というタイトルで全国を回ったコンサートツァーで,森高らしさを積極的に表現できるようになった.(p.107)
森高千里は,コンサートツァー『見て』の最後は,東京・汐留PITだった.この時はチケットが即日ソールドアウトだった.生まれて初めてだった.(p.108)
森高千里は,タイトル『見て』というコンサートツァーで,フリフリのミニスカートを着て歌った南沙織さんのカバー曲「17才」がシングル盤で発売され,たくさんの方に私を知ってもらえるようになったと思う.(p.108)
森高千里は,デビューしたての時は,ほ頬っぺたパンパンで丸々と太った女の子だった.(pp.109-110)
森高千里は,高校の時は一生懸命こいで片道30分の自転車通学をしていた.(p.111)
森高千里は,ちょっと前まで『森高のイメージ』となっていた『ミニスカート,ハイヒール,ロングヘア』を否定したくないので,「今後,一切ミニスカートをはきません」って宣言することは絶対によそうと思っている.(pp.120-122)
森高千里は,・・・(p.) まだまだ続けたいのですが・・・・,


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