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新年によせて〜2008


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

まほろば通信の読者のみなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。スペースまほろばの中野です。みなさんはどんなお正月を過ごされたのでしょうか。わたしは、昨年は年末ぎりぎりまで大阪でセッションを行っていたので、年始はほとんど寝正月となりました。

さて、昨年最初のメールマガジンを読み返してみると、「今年のキーワードは目覚め」というようなことが書かれていました。それを書いたときには、それほど深く考えていたわけではなかったのですが、今、昨年を振り返ってみると、「目覚め」というキーワードはとてもふさわしいものだったような感じがしています。

昨年は「スペースまほろば」としての活動を初めてから10年目のはずだったのですが、いったい何日が10年目の区切りの日になるのか、記憶も記録も曖昧ではっきりわからないままでいました。ところが、年末に部屋を片付けていると、10年前の日誌が出てきて、それをみると1997年の9月4日に初めて料金をいただいて個人セッションを行っていることがわかりました。つまり、「スペースまほろば」の10周年はわたし自身も気づかないうちに過ぎていたことになります。

また、今年は平成20年です。わたしがホームページにも書いている、初めての「目覚め」の体験をしたのは、昭和が終わる約1ヶ月前の1988年12月でした。そこから数えると、今年は20年目に入ることになります。

そんな、わたしにとっていろんな意味での区切りの年になって、最近特に強く感じていることは、「スピリチュアルな目覚め」「意識の覚醒」「悟り」などなど、表現に使う言葉はなんでもいいのですが、普段、ほとんどの人はそれを忘れてしまっているより深い現実というものが確かに存在していて、特別な修行を積んだり、特殊な能力を持っていなくても、誰でもがその力にアクセスできるのだ、ということです。

そして、その力というのは、何かオカルト的なものや超能力をもたらすようなものではなくて、人間が本来持っている自然の姿、つまり、平和と幸福と喜びの中で生きていく感覚を回復させるものなのです。さらに言えば、それを思い出すことが、人間が身体を持ってこの世界に生まれてきた目的でもあります。

わたし自身、そのことは20年前の最初の体験のときに気づいていたはずなのに、それを素直に表現することにはどこか抵抗を感じてきました。といいながら、過去のメールマガジンなどを読むと、今言っているのと同じようなことを書いているのですが、それを書きながらも、どこかで古い価値観に引き戻されるような、自分の知ったことを直接表現してはいけないような怖れを感じていたのです。

一方で、(子供が成長して成人になるとされる年齢である)20年が過ぎたら自分の中でこれまでの体験を消化して、もっと統合できるのではないか、というような感覚が、今から10年か、あるいはもっと前から、理由のない直感のようなものとして自分の中にあったのを思い出します。

今、わたしの中で、その直感が正しかったのだ、という感覚が深まってきています。

誰もが幸せで愛に満ちた人生を送ることができます。一方で、多くの人が自分で自分を否定し、自分で自分を苦しめる人生を送っています。わたし自身も、自分で自分の首を絞めるような苦しい人生を送ってきました。でも、それをしているのは自分自身なのだ、ということに気づいたときに、そこから自然と抜け出しつつあることがわかったのです。人生の苦しみの原因は、無意識のうちに自分で自分を否定しているということだけ、と言ってもいいでしょう。

無意識にやっていることはやめようにもやめられませんが、それを自分がしているのだ、ということがわかれば、それを止めて他のやり方を選択することができるようになってくるのです。

今年は、わたしの体験や気づきを、これまでよりはもう少し積極的に分かち合っていくことができるかもしれません。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

【まほろば通信】vol.120掲載2008/01/06)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2008/02/28