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四十肩とインナーチャイルド


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

最近、なぜか子供の頃のことをよく思い出します。ホームページの中の「なーんだ、そうだったの?」の続きの原稿を少しずつ書いていて、その中で子供の頃のことを少し書いているので、そのせいなのかもしれませんが、そもそも書こうと思い立ったこと自体が今、ちょうど子供時代を思い返すことが必要な時期だということのあらわれなのかもしれません。

そのこととつながっているのだと思うのですが、最近、身体の感覚の変化がまた著しい感じがしています。身体の変化ということについても「なーんだ、そうだったの?」の中で、変化の流れにそって詳しく書きたいと思っているのですが、心がゆるんでくるにしたがって、そして、閉じ込められていた感情が浄化されていくにしたがって、それに対応する身体の部分の緊張がゆるんでくるのです。

かつてはほとんど頭の中だけで生きていた私が、少しづつ身体の感覚を取り戻し、身体の中にある程度きちんと「住まう」ことができるようになってきて、10〜20年前にくらべれば、とても楽に生きられるようになってきているのですが、その一方で、背中から首にかけての部分だけは、まるでブラックホールのように無感覚で、はたしてその部分がゆるんでくる時がくるのだろうか、というような気がしていました。少なくとも数カ月前までは。

もともと、10年か、あるいはもっと前から、左肩のほうが右肩よりも少し動きが悪く、アロマのマッサージをしてもらうときに、腕を頭のほうにひっぱる動きは、左腕だけはおてやわらかにお願い〜、という感じでした。それが、数カ月前から、日常生活には特に問題ないのですが、いわゆる四十肩というのでしょうか、左腕を後ろにまわしたりするときに少し痛みが出るようになってきたので、できるだけ意識的に腕や肩を動かすようにし始めたのです。

すると、不思議なことに、今まで固くこわばってまったく無感覚だった左肩の肩甲骨のあたりが急にゆるんできて、これまでは動かしても何の反応もなかった部分がポキポキ音をたてるようになり、急にエネルギーが流れ始め、息が深くなるような感覚が出てきたのです。

寝る前に布団の中で、深い部分からやってくる衝動にまかせて身体を動かしていると、肩をぐるぐる廻したり、首を前後左右に動かしたり、さらには身体全体を、腰を基点にして前後に折り曲げるように動かしたりという動きが自然と起こってきました。そのたびに、身体の一番深いところで微妙な音がする感覚があって、ため息のような深い息が出ていきます。その動きが一段落すると、とても心地よい眠りに落ちるのでした。

そんなプロセスと同時に、夜眠っているときの夢や、リラックスしているときの白昼夢のような空想の中に、子供の頃の苦しかった感覚が頻繁に出てくるようになりました。自分の子供時代、青春時代はいったいなんだったんだろう、とでも表現できるような、怒りや恨み、そして虚しさがごちゃまぜになったような、微妙な苦しさです。

一度、短い昼寝をしていたときに、その感覚がとても大きくなって耐えられないような感じになってきたことがありました。そのときは、一瞬、少し動揺してしまったのですが、ブレスワークのような深い呼吸を意識的に繰り返してから、その感覚の中にしばらくひたってみました。私がよくお話する「意識的に死ぬ」感覚に入ってみたのです。

少し時間がたって、苦しい感覚が消えた感じがしてからゆっくり起き上があってみると、肩を中心とした身体の感覚がずいぶん楽になっていました。その後も、肩や背中のゆるんでいく感覚は続いています。

セラピーが深まっていくプロセスの中でも、一時的に前よりも苦しく、辛くなってしまう段階があります。でも、その地点こそ、内面で古い自分が死に、新しい自分が生まれ出ようとしている瞬間でもあるのです。不思議なことに、そういう時期には、身体の一部が本当に痛くなることがよくあります。その痛みは、古い自分が死んでいくことに対して、肉体が精一杯の抵抗していることの象徴的なあらわれなのです。そんなときは、その痛みをよく感じ取ってあげる必要があります。

特に、肩のこわばり、痛みは意識されていない怒りと関係があります。

今回、四十肩(あるいは五十肩)のような肩の症状を体験して、少し調べてみたのですが、この症状は古くは長寿病とも呼ばれていて、その症状が出てきたということは長生きしている、ということのあらわれでもあったらしいのです。つまり、昔は、そういった症状が出る前に、つまり、自分の内面の怒りを意識して、それを統合し、人生の本当に意味に気づく旅に出る前に、ほとんどの人は寿命がきてこの身体を離れていた、と考えられるのではないでしょうか。

寿命が長くなってくると、社会的な活動を終えた後、一般的には定年を迎えた後にも長い人生が待っていることになります。これは、人間の意識が進化(深化)し、目覚めていくプロセスの中で、必然的に、一人一人の人間に対しても、自分の意識の成長のために必要な時間が与えられるようになった、ということでもあるのでしょう。その時期をすでに過ごしている方はもちろんですが、まだ遠い未来のことだと思っている方にとっても、そのときにために自分の内面と少しずつ仲良くしていくことはとても大切なことだと思います。

具体的にできる一番簡単なこととしては、できるだけ自分の身体の感覚を感じる時間を増やすこと。かつての私のように身体を完全に無視してしまっている方は、そう言われてもどうしていいのかわからないことが多いかもしれません。そんなときは、両手の先を意識してみて下さい。ほんのわずかでもいいですから、じーんとするような感覚はないでしょうか。何も考えなくていいですから、その感覚そのものを感じてみて下さい。身体の他の部分にも似たような感覚があるのがわかったら、手と同じように感じてみます。慣れてきたら、他のことをしながらでも、その感覚をできるだけ意識してみましょう。

身体の感覚を意識できるようになってくると、そのうち、無意識になっていた感情にも気づきやすくなってきます。私は、上に書いた肩がゆるんでくる感覚が深まるにつれて、それまで無意識のうちに心を占領してしまっていたいろんな心配がとても少なくなってきました。本当の感情とつながり、身体の中にしっかりといることができるようになってくると、必要以上に心を働かせなくてもよくなるのです。

ですから、今、あなたがどんなに不安であったり、心配であったとしても、大丈夫です。外的な状況が変わらなくても、あなたがそれを受け止める感覚は、今あなたが想像もつかない形で変わっていく可能性があります。心配や不安の思考を作り出すことだけに心のエネルギーを使うのでなく、そのエネルギーを少しだけ、意識して内面に向けてみて下さい。確実に何かが変わり始めます。

【まほろば通信】vol.133掲載2009/07/04)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2009/10/02