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■身体としての自分をこえて■


それほどの寂しさと苦しさの中でも、どこかでわたしはホッとしていました。自分の身体に初めて出会ったと感じたときと同じように、わたしは初めて「自分」に出会っていたのです。それ以前には、身体はこの世界にたしかにいたはずなのに、そこには「自分」はいなかったのだ、と気づいたのです。

もちろん、まったくいなかったというわけではないでしょう。それなりに生活し、自分の意志でさまざまなことを行ってきたはずです。それまで「自分」だと思っていたのは、本当の自分のほんの表面の一部だけだったのです。その奥にはとても大きな全体としての自分(スピリチュアルな自分)のエネルギーが存在していたのに、そのことにまったく気づいていなかったのです。全体としての自分は、心と身体と魂までを含んだ自分です。ほとんどの人は心の中のさらに一部だけを「自分」だと考えて生きているようです。

しかし、それもまた無理からぬことなのだ、と最近は思います。全体としての自分を意識するということは、そのプロセスの途中で、身体としての自分の存在を強く意識して、自分が死すべきものであるということを実感する必要があるからです。

肉体が滅びるのは自然で当たり前のことなのですが、頭の中だけで生きている多くの現代人はその事実をできるだけ認めないようにしています。身体を物のように扱って、自分自身の一部としてではなく、自分の所有物のように扱っているのです。

思考と自分との同一視を超えて身体としての自分を感じたとき、自分の死が非常にリアルに感じられ、恐怖や不安をかきたてられます。人は無意識のうちに、それを感じることをできるだけ避けようとしているのです。

でも安心して下さい。身体が自分なのだ、ということを本当に実感できれば、次のステップが見えてきます。身体だけが自分ではないのです。魂のレベル、スピリチュアルなレベルの自分が見えてきます。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2005/01/21