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ドライポイント_Soft-Grand-Etching_アクアチント
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銅版画を始めたきっかけには、ドライポイントの魅力に生理的に惹かれたからというのがある
ジャクソン・ポロックやヴォルスの、観る側の神経を突ついてくるような刺激は、同じ頃に出逢った作家ヘンリー・ミラーのChaos(カオス)の海から誕生するような創造と、パコ・デ・ルシアのフラメンコギターの胸を掻きむしるパッションが、ぼくのなかで共存していた時期だった。 しかし、そんなエネルギーとは、やや異質なクレーの危うく陰に傾きそうなやさしい線も、ぼくにとっては今でもそれに負けずに囁き続けているような感じがする。 国内では池田満寿夫の初期のドライポイントの作品は良き見本だったが、あまりに近すぎて自分を迷子にさせてもいるようなところがあった。彼は自身、生涯、巨匠たちの影響から逃れられなった。 とは言え、ピカソは「自分を模倣するより他者の作品から学ぶべきだ」とも言う。 独創的に見える彼の作品も様々なエキスの統合のようなところがある。ことにアフリカの民族的なデザインが重要な契機になっている ドライポイントをやっていて、後でそれは、アルタミラの壁画や原始美術のなかにルーツがあることなのだと思った。それは衝動と命の証としての、人の残す傷痕のような気がする。 今後、ぼくのその作品たちも、ここで光を当ててあげたいと思う。わがままで個人的な謎を検証したい。 |