登記簿上の内容を信頼しても保護されない?(権利の登記につき)

ある土地につき登記簿上、所有者が甲さんとなっており、その甲さん本人からその土地を買い受けた乙さんがいる。そして、乙さんは登記を自分名義にして「これで安心」と思っていたところ、甲さんの父親から「あの土地は、私の土地だから、返還してくれ」と言われてしまった。この場合、乙さんは「登記簿上の所有者は甲さんになっているじゃないか」と主張して、つっぱねることができるだろうか。

わが国の登記には、実は「公信力」というものがない。例えば、甲さんが父親名義の土地について、勝手に父親の権利書・印鑑を持ち出し、嘘の書類を作り上げ、自分名義に登記をしてしまった場合、その甲名義の登記は、実体がない(甲には所有権がない)ため無効な登記ということになる。登記の審査は、形式的審査といわれ、書類がきっちと揃っていれば、仮に実体がなくても登記はされてしまうということになっている。このような嘘の登記(甲名義の登記)を信頼して買い受けた乙さんは、真実の所有者が出てくれば、たとえ自分名義に登記をしていても、「私が所有者だ」ということは主張できないのである。それは、甲さんは所有者ではなかった(登記簿上所有者でもそれは無効)、その所有者でもない甲さんからは所有権を譲受けることはできないからである。まず、実体があって、登記はその次ということになる。実体のない登記は無効。

それでは登記はなんのためにあるのか。ある人が実際に、不動産の所有者になったとする。しかし、それを世間一般に知らしめるためにはなんらかの形がほしいところである。その形が登記であり、所有者は、登記することによって、世間一般に「私が所有者です」ということが堂々といえるということになる。実体がともなってはじめて意味が出てくる。

民法の本に次のような説明(たとえ話)があったのを覚えている。

大木がある。この大木は神木である。そこで、この大木にまちがっていたずら坊主がしょんべんをひっかけないように、神木であることを示すために、しめ縄をしておく。このしめ縄がわが国の登記である。

大木がある。この大木は神木ではない。この神木でない木にいたずら坊主がしめ縄をしてしまった。そこへ旅人がやってきて、しめ縄をしてある大木をみて「立派な神木だ」ということで、手をあわせた。この旅人に御利益があるだろうか。しめ縄はされているが、本当は神木ではないのであるから御利益はないはずである。しかしそのしめ縄を信じた旅人を保護するために御利益を与えるということであれば、このしめ縄に「公信力」を与えたことになる。ドイツの登記制度には公信力があるようである。

登記の内容は、一応は真実であるという推定ははたらくが、もしそれが嘘であった場合、登記を信頼した人は保護されないということになる。

これが原則ということだが、法解釈や判例などでは、「これでは取引の安全がはかれない」ということで、通謀虚偽表示(民法94条2項)や表見代理の規定(民法109条・110条)などをもってきて、なんとか、登記を信頼した人を保護しようという傾向にはある。例えば、前の例で、父親がもし息子名義になっているのを知りながら放置していたとかいう場合は、その嘘の登記を父親がある程度認めていたとみて、虚偽表示の規定で乙を保護するという場合もある。

しかし、登記に「公信力」が与えられないかぎりは、完全には取引の安全ははかれないということである。

不動産の取引に、多くの場合、宅地建物取引主任者や司法書士などの専門家が関与するのは、一つは、登記と実体が一致するようにという期待があるからである。

例えば、不動産の所有権移転登記をする場合、その真正の確保(真正担保)は、所有者(登記名義人)の印鑑証明書及び権利証書の提出、実印押印、さらに司法書士が関与した場合の、司法書士による本人確認(直接面談等)によってなされています。tatiai.htm

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