参考(裁判所の免責不許可決定 要約/抜粋)−ある裁判官が下した免責不許可決定の一つで、債務者に対して非常に厳しいものです−

申立人は、ギフト券及びビール券等のいわゆる金券をクレジットで多数回にわたって購入したことが推察され、短期間のうちにこれほどまで多くの金券を必要とすることは通常考えられず、当初より換金目的でクレジットで購入し直ちに金券を売買している業者等へ持ち込んで換金していることが窺われ、その金券購入のすべてが支払不能状態の下での行為であることを思えば申立人は、いわゆる取り込み詐欺と同様の批難は免れえないものである。

なお、免責事件の破産者審尋において、右と同様の状況の窺える破産者が、自転車操業のつもりであったので、返済の意思はあった旨弁解する例が多いので一言するに、自転車操業を続けていけば、少なくともその間の金利の分だけ負債は増大するので、それは、無限連鎖講と同じく終局において破綻すべき性質のものであり、これに資金を供与した者の相当部分の者に経済的損失を与えるに至るものであるから、構造的な詐欺であって、それを承知のうえでなお新たな借金をつくるのは、自己の不特定の負債につき支払不能となることの認識・認容があったことの証である以上、返済の意思のなかったこと(すなわち、詐欺の故意)は極めて明らかである。

なお、この種の消費者破産の事例では、債権者である貸金業者が借主の返済能力について十分調査せず、過剰貸付をしているとの主張が往々にしてなされる。

なるほど、貸金業者は、貸金業の規制等に関する法律第13条により、顧客となろうとする者の信用状況等について調査する義務を負い、過剰貸付を禁止されている貸金業者としては、その営利のために金員を貸し付けるという本質上、法により命ぜられるまでもなく、また、人に言われるまでもなく、自ら進んで借主の返済能力を調査し過剰貸付を回避しようと試みるであろうが、それはなかなか困難なことと考えられる。

業者間のいわゆるブラックリストへの登載の有無等を調べ、借主に各種申告を求める程度のことは経済的に引き合う程度の手間をかけるだけで実行可能であるが、それ以上に借主の懐ぐあいを調査することは借主のほとんどが一見の客であることからしても、借主が自らこの点につき正直に申告するのでなければほとんど不可能と言ってよい。

それにもかかわらず貸金業者に対し、右の実行の可能な程度を越えた行動を求めることは、不可能を強いることになる。

翻って考えるに、借主の返済能力について一番良く知っている者は、他ならぬ借主自身であるのだから、借主に、自己の返済能力を越えた借り入れを行なうことのないように求める方が、より合理的である。

また、貸金業者の組織内において、出資者が経営担当者に対し、経営担当者が貸付担当者に対し、顧客の信用調査の甘さを追及するのは道理であるが、債務不履行を続ける免責申立人にその資格はない

故に、貸金業者に対する前記批判は理由なく、本件では考慮しない。

債権者が頑迷に債務不履行を続ける悪質な債務者に対し、やや強く支払の催促をするのは条理上当然であり、また権利の行使として適法であり、債務者がこの支払に充当すべき金員を獲得する一手段として、取り込み詐欺、当初から支払いの意思も能力もないのに借金をする形式の詐欺、その他窃盗、強盗を敢行したとしても、債権者の支払の催促と債務者の詐欺等の行為とは法律上相当因果関係がなく、常識的に見ても前者は後者を敢行する正当な理由であるとはとうてい言うことはできない。

申立人の当初支払不能借入金の借り入れは、それまでの借金を返済するためにやむなくしたかの如き弁解は、全く理由がなく、申立人に有利な情状とは解されない。

申立人の当初支払不能借入金を借り入れたときの内心における良心の欠如、申立人のした詐術の危険性、積極性、人の弱みにつけ込んでいる点、詐術の実行回数及びこれにより獲得した金額の多いこと、負債のほとんどが破産宣告前1年内の借金で占められており、しかも、破産申立ての直前さらにはその後にまで借りまくっていることを総合考慮すると、本件申立人についての第2号免責不許可事由は軽微であるとはとうてい言うことはできない。

免責制度の運用の現状

近時、消費者の自己破産の事例が増加して以来、ほとんどが免責を許可されるため、現在ではそれを至極当然とする考えが市井に流布し、その理論的根拠や運用上の問題についての検討が疎かにされがちであるが、当裁判所は、本件の処理にあたり、右の風潮に安易に従って事足れりとはせず、若干ではあるが右の諸点についても目を向けたうえで結論に至ることとする。

免責を許可すべしとの考えの最たるものは、「債務者(あるいは弱者)救済」を呪文の如く唱え、免責は自動的に許可すべきであるという(以下、「呪文説」という。)。

次いで、そこまで徹底しないとしても、免責をめぐる諸論点の議論において複数の説がありうるときは、論者は「債務者救済」を自説の根拠として諸説のうちで最も「債務者救済に都合のよい、端的に言えば債務者に有利な説を常に選択し、反対論はすべて「債務者救済」を錦旗として恰も朝敵の汚名を着せて誅滅するが如く押し潰し、議論の分岐点ごとにこれを繰り返すと、実務上ほとんど出会わないであろうような奇想天外な超不誠実な者以外は皆許可すべしということになり、結論は呪文説と同一となる(以下、「錦旗説」という。)。

さて、そう考えて免責を許可した場合について見ると、利するのは申立人であり債権者は丸損する(申立人に対する債権の経済的価値は既にほとんど皆無となっているのを法律上の効果にまで高めるという趣旨である。許可の影響はそれのみには止まらない。

この程度の悪質な当初支払不能借入金をつくっても結局何らの対価を求められることもなく、つまりただですべて棒引きにすることができるという前例として社会に知られ、人々の行動の予想の一資料となるであろう。

この結果、債務者は生活費を節約してまで借金の返済で苦労するのが馬鹿らしくなり、債務者の責任感を低下させ、ひいては与信の発達した現在の経済的秩序を蝕む危険を増大させると言わなければならない。

すなわち、免責に寛容な姿勢は、信用取引が発達したためその利用者は与信を受ける自由を享受するのと引換えにそれに応じた責任を自覚することが不可欠となっている現在の時代の要請に真っ向から反するのである。

債権者が、債権回収のため司法府や強制執行制度を利用しようとしても、債務者の提出する免責の抗弁のためにその利用を阻止されてしまうのだから、債権者の目には、債務不履行を続ける悪人を国家が庇い、たとえどこへ訴え出ても取り上げてくれない、国家は我を債権者と呼ぶけれども単なるリップサービスにすぎないのではないかという怒りを交えた悲愴な無力感がうっ積し、ひいては、法の威信、国家への信頼と尊敬を損なう結果となろう。

たとえば、免責不許可事由のうち2号について見ると、このような詐欺人にまで免責を許可するのは盗人に追い銭であり常識に反すると、また同3号について見ると、相当の嘘つきでもこの時ばかりは正直に対応することが期待されている裁判所の審理において、まるで神仏に加護を求めつつ内心では赤舌を出すように、なお嘘をついて免責の許可を騙取しようとするやからは許せないという国民感情の具体化であるといえよう。

従って、免責不許可事由が認められる場合は、原則として不許可とすべきだが、なお念のため裁量で許可することが国民感情に合致するか否かを吟味すれば足りる。

換言すれば、破産免責は、誠実な債務者に対する特典として破産手続において破産財団から弁済できなかった債権につき、特定のものを除いて債務者の責任を免除するものであるということになる。

弱者救済を絶対化すれば、弱い浮浪者で無銭飲食の犯人を強大な国家権力が監獄に拘禁することなど許されるはずはないが、そのように考えれば監獄制度は廃止するしかなくなる。

弱者救済の理念も自ずと制約があることを知らなければならない。

そして、このように不誠実な債務者に対し厳しく接することは、真の更生に不可欠の前提である従来の無責任な生活態度についての真摯な反省の機会を与えることとなり、結局、債務者本人のためになる側面もある。

免責を不許可にされた債務者は、別段いわれなき新債務を負担させられるわけではなく、自らつくった負債を今後も返済していくことになるだけであり、この間債務者の生存権の確保については、民事執行法の差押の禁止された動産・債権の規定、生活保護法等の社会政策的立法に見るとおり、遺漏のないことが知られる。

すなわち、免責を不許可にされた債務者の一番恐れるであろう債権者の取り立てのうち最も強烈な形態である強制執行についても、民事執行法内に債務者の生存権の確保のための規定が設けられているのである。

従って、免責は不許可されても、債務者に対する人間に値する生活を営むための最低限必要な救済は既になされていると見るべきであり、すると、免責の許可はそれ以上の救済であり、債務者にとって必要不可欠とは言えない。

もちろん、人の欲望をそそる消費財が市井に氾濫している現今、免責を不許可とされた債務者の主観的満足を得るにはなお不十分ではあろうが、国民は、多くの債権者の痛みを思えば、債務者はこの程度の生活で満足すべきであるとし、免責の許可により、何の借金もない者と同一の生活まで与えるのは誠実な債務者に限るとして、債務者救済に格差を設けたが、いずれの場合もそれ相応の救済をしていることに注目すべきである。

債務者(弱者)救済あるいは更生の美名に隠れ、国家制度たる免責手続を債務者の誠実さを問わない単なる借金棒引きの道具とみなすが如き風潮は許してはならない。

すなわち、信賞必罰の実行により、正直者が馬鹿をみることなく、また、自ずと健全な社会通念上救済されるべき者に限り免責を許可されるようになり、ここに免責制度の面目を施すことになる。

結論

よって、本件申立には、破産法第366条ノ9第2号及び第3号に該当する事由があり、その各事由がいずれも軽微とはとうてい言えないこと、その他の事情を見ても申立人の誠実さはほとんど見られないこと等を総合考慮すると、裁量により免責を許可するのは不相当であると認め、主文のとおり決定する。

(破産申立の実際 hasanjitu.htm