ネガティブとポジティブ

当サイトに寄せられた(きつい)コメントへのリプライです[03.10.1…03.10.2]

▼ 03.9.17に当サイトに寄せられたコメント

捏造問題はあまりにもお粗末です。少年期、青年期に考古学をかじった者として、捏造で出土した石器は拝見したところ、表採のものと変わらない物でした。なぜあのような物に騙されたのですか?
かつて岩手県の大台野遺跡で後期旧石器の発掘に参加したことがありますが、一目であれら石器群より新しいものと判ります。石器の表面の風化ひとつ取ってみても旧石器じゃないとわかるものも含まれているのに気つかない体質とは、どのような勉強をすれば身につくものでしょうか?
気がついていたのに知らん振りしていたとしか思えません。
他人の仕事にケチをつけてはいけないみたいな体質が捏造を助長したのではないですか?

▲ 私に出来るリプライ

「こんなものが分からなかったのかっ」という声は、検証中に(問題の石器を実見している時に)あったそうです(おそらく、それは、何じゃこりゃという代物だったのでしょう)。竹岡氏も、事前の話ですが、鎌田氏に石器を並べて見せてもらった時、思わず笑ってしまったそうです。発覚の少し前の年かと思いますが、中期とみなされた「ポイント」の写真が、某研究室のWebサイト(発覚後に閉鎖)に誇らしげに掲載されていた事もありました。一見して、表採的な雰囲気に見えました。

 さて、埋込みに使われた石器は、大きく2つに分けて考えるべきかと思います。つまり、

  1. 形態および風化度等から、かなりお粗末なものと、
  2. 何度見ても、う〜むという感じで、風化度も形態も、ひょっとしたら本物かもと思わせる、程度の良いものです。

 もちろん、この分類は極端なもので、実際には中間的なものが多くて明確に分ける事は出来ないでしょう。但し、形態的に非常に程度の良いもの(例えば「七曲」の資料。これは私も後に実見した事があります)にも、僅かな酸化鉄やがじり痕がありましたので、一括品として見た場合に、全体的に問題があると指摘できます(出土状況はパターン通りだったので、それだけで怪しさ充分なのですが)。とはいえ、それらの痕跡は非常に微かなものなので、事件発覚前に「だめな資料」と断言するのは極めて困難だったでしょう。

 粗末なものと、良いものが混じっているのは、埋込み戦略としても上等とは思えませんが、この点は「弾」が足りなかったからと解釈されています。

 お粗末な代物が、捏造に使われた石器の中で多数派なのか、それほどでもないのか、私には分かりません。ただ、「非常にもっともらしい石器」が含まれていたのも事実なようです。つまり、ネガティブな要素と、ポジティブな要素が混在した訳です。そうした時、直ちに全否定は出来ないというスタンスが多数派だったというのが、考古学界の真実でしょう。ポジティブな要素に関しては、一部の研究者にとっては非常に魅力的でしたし、応援団的な研究者にとっては無視できない(他の人に伝えたくなる)話だったわけです。一部に、非常に怪しい状況や要素があったという認識は、かなり共有されていたのですが、ポジティブな要素の前には、多少のネガティブな疑問は「いずれ説明がつくだろう」「確かに妙だが、未知の作用があるのかもしれない」「その部分は何かの誤認だろう」といった(頼まれもしない)希望的憶測で打ち消されていました。そして「新たな発掘調査によって、事実を、より深くつかむようにすべきだ」という思考が優勢でした。つまりネガティブな要素は、かえって、更なる「発掘調査」への動機となっていたのです。こんな「遺構」があるわけない(ありうるのか!?)、という声があったとしても、それ故にこそ、新たな「発掘」への強い動機になったわけです。実におそるべき、パラドキシカルなメカニズムです。これは、第一捏造者ではなく、なにより身近の共同研究者達が陥ったパラドックスです。

 ネガティブな要素が引き寄せた「頼まれもしない希望的解釈」は、決して論証される事はありません。一方「今後の資料追加に期待しよう」という方向性は決して挫ける事はありませんでした。

 ネガティブな要素と、ポジティブな要素が混在した場合、全部怪しいと考えるのが、学問上の欺瞞・捏造事件一般に対しての「利巧な解」なんだと思われます。「こしらえたもの=捏造」だからこそ、過剰にポジティブに見えるように出来ています。ただ、全面的にボロを出さない事は不可能で、一部にネガティブな要素が残るわけです。この解は経験則です。しかし従来、日本の考古学関係者にとっては、あまり親しくない経験則だったわけです。学問上の欺瞞について、体系的に学ぶ事はありませんから(科学史で複数の事例を深く講義すべきです)。

 ネガティブな要素に着目し、とても看過出来ないとして、実際に行動を起こした研究者が極く少数だったのは事実です。石器自体の議論として、石器製作の技術論から明確に納得できないと表明した研究者は2〜3人しかいませんでした(批判を表明した人はもう少し居ますし、怪しいと考えた程度の人はいっぱい居ます)。むしろ、出土状況の怪しさから、あれはだめだと考えた人の方がずっと多数派でした。検証活動において、出土状況にパターン的な不自然さがあるとか、表採的な特徴があるといった点が捏造断定の決め手になったわけですが、(事前に)それらは「時代的にありえない石器」だという確信を持てた研究者が極少数だったのは、最も遺憾な事態でした。

 さて、上高森以降、藤村系「前期旧石器」は非常にメジャーになり、秩父の小鹿坂で、あまりにも注目を浴びすぎました。アンチ「前期旧石器」派の活動は次第に活発化していたようです(ほぼ完全に隠然たる活動ですがアルカのWebに掲載された「〜おとぎ話か」は唯一公然でしたが)。そうした「うねり」は、慎重で遅々たるものでしたが、必然的なものだったと思います。

学問の病理現象もご覧下さい。


前期旧石器論争index