01.3.5

『科学』2001年2月号を読む

『科学』(71-2)2001.2.1発売,岩波書店,東京,\1,238E(『科学』公式サイト
サブ特集として→ 検証 旧石器発掘ねつ造事件

矢島國雄:日本考古学協会の課題は何か−その1

(pp.115-117)

 その2(3月号掲載)を含め、考古学協会の対応、特に特別委員会の活動方針の説明である。なお会員以外の専門家の参画をあおぐことも考慮されているようである。

渋谷孝雄:前・中期旧石器を検証する

(pp.118-120)

 1987年12月福島県立博物館で開かれた第1回を皮切りに、「東北日本の旧石器文化を語る会」は毎年各県持ち回りで活動を続けていた(秋田を除く東北各県・北海道・新潟)。(もちろん後期旧石器の報告の方が多いとはいえ)実にこの会こそ、いわゆる前・中期旧石器遺跡調査成果のお披露目の場として機能していた。

 会の受けた衝撃は大変なものがあったと推察される。少なくとも下記の引用に見るように、事態の認識は適切である。

…どのような形であれ藤村新一氏が調査に参加したすべての前・中期旧石器時代の遺跡と出土した石器はクロもしくは灰色となってしまった.宮城県を中心とした20年間の研究成果の多くが,その信憑性を問われることとなったのである.(p.118)
…いったんグレーゾーンに入った資料は,検証作業を通じてたとえ限りなくシロに近くなったとしても,歴史資料としての価値を完全に復活させることはむずかしい.(p.120)

[10団体共同声明]から...

 しかし、前期旧石器遺跡の調査に向けた研究者やボランティアの熱意(p.120)が、何を契機として発生したのかを振り返るべきである。まさに藤村氏こそ「新たな前期旧石器」の原点であった。藤村氏以前にも、前期旧石器ブームがあったし、その全てに疑いの目が向けられ、情熱は冷めてしまっていたことを想起したい。

 「…語る会」のスタンスが、基本的には適切な認識に立っていることを認めながら、若干でもこうしたコメントを呈する由縁は、2000年12月24日付けの10団体共同声明にある(正式には「宮城県上高森遺跡・北海道総進不動坂遺跡における旧石器発掘捏造問題に関する声明」…北海道から九州までの各地域研究団体による)。以下、抜書きする。(p.120)

 捏造を見抜けなかったのは、調査方法に問題があったからとは、あまり思われない(いきなり遺構を完掘したという藤村氏の行為は論外)。むしろ、思い込み(確証バイアス)によって、捏造を疑いもせず、表採資料を直ちに見抜けなかったこと、見抜くという鋭さを欠いていたことに問題がある。

 さまざまな自然科学分野との連携は、まさに「江合川系新たな前期旧石器」派の主眼としてきたところであり、それが無力であったばかりでなく、かえって補強資料となることで皆の目を曇らせていただけであった。しかも、一部の分析には重大な疑惑が呈されていたし、全体的に見ても解釈の段階で牽強付会の印象を捨てきれない。

 忌憚のない相互批判を、なぜ今さら持出すのだろうか。それが不十分だったから、これからは反省するのだろうか。反省の言が空しくひびく、と言わざるをえない。何がいけなかったのか、正しく認識することなく、単に反省を皆に求められても、誰も何も出来ないに違いない。痛烈な批判が、過去に何度もあったことを、どう弁明するのか。説明責任の対象は、まずそこにあるのではないか。

 再び渋谷氏の文章から引用する。

…あるインターネットのホームページ上に“前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話か”という題の論文が載せられたことに対し,そんなことはできるはずがない,と前日も発掘調査中の宿舎で話題にしたばかりだった.(p.118)

 この論文について通常の引用(参照文献の明示)を行なわない態度には、疑問を呈さざるをえない(執筆者が明らかであるのに)。いかにも一笑に付していた様子がうかがえる。また、やや古い引用であるが、鎌田俊昭氏の文章に以下のようなものがある(「宮城県における旧石器時代前・中期をめぐる最近の批判について」『旧石器考古学』31,1985,京都)。これは1985年7月号の科学朝日に掲載された批判(インタビュー)に対して述べられたものである。

…なお,小田の発言について多くの研究者からあまりに低次元なので問題にすべきでないとのご助言もいただいた。(p.83)

 この文言を、今こそ、逆の意味でかみしめるといい。小田・キーリ氏の当時の批判(1986)の適否が問題なのではなく(その証明には時間がかかる)、批判を低次元と一括し、そこから情報をくみ取る態度の欠除である。同じことが、「…現代のおとぎ話か」に対しても言える。もちろん、竹岡氏(1998)と竹花氏(2000)の論文に対しても同様である(批判論文一覧)。忌憚のない相互批判とは、一体何であるのか。むしろ、そう語ることによって、大事なものを見落とすのがおちではあるまいか。つまり批判を受け止めることのできなかった自らの、どこがいけなかったのか… その答えは簡単には見つからないはずである。

菊池強一:石器の産状は何を語るか

(pp.160-165)

…藤村氏は日本の中・前期旧石器時代のたぐいまれな遺跡発見者であり,その実績は国内外に広く知られていたのだから.日曜日ごとの遺跡探査を始めとするボランティア考古学を続けていた彼に,いったい何がおきたのか.(p.160)
…旧石器発掘ねつ造の主因として、残念なことに石器の産状把握に問題があったことをいわねばならない.(p.160)

 菊池氏の前提は以上のようなものであるが(発見者・ボランティア・何がおきたのか・ねつ造の主因…こうした文言は事態を適切に捉えているとは言い難いのだが)、遺跡で見られる石器への褐鉄鉱(いわゆる酸化鉄)の付着パターンを5つにまとめ、結論としては、現代の農機具痕と同じパターンが、座散乱木13層などの資料に見られるということである。つまり石器表面の観察からする表採資料の判定が、パターンを定式化することで、可能になるということである。

鎌田俊昭:ねつ造を見抜けなかった責任と検証

(pp.166-170)

…20年以上積み重ねられてきた宮城県北西部のテフラ層序の編年,各種の年代測定によるそれぞれの年代は,今回のねつ造事件とまったく無関係であり,(p.169)
…私たちが拙速に犯した過ちを再び繰り返すことがないためにも,今回のねつ造が過去に遡るのかどうか(中略)さらに慎重な検証が必要です. (p.170)
…解明には私たちのもっている考古学の手法だけでは足りない面があります. (p.170)

 鎌田氏の関与は重すぎて、直ちに全容を捉えきれない。少なくとも、他分野の分析手法を援用するというスタンスが、過去において前期旧石器の正当性主張のために役立てられてきたことを指摘しておきたい。

 ねつ造を許した最大の原因については、100%彼を信じ切ってしまい、出土状況について検証を怠っていたこと(p.166)、と認めておられる。確かに。しかし、なぜ疑問の声を無視し(前出)、彼(藤村氏)への100%の信頼を疑うことなく、強引に既定の路線を邁進したのか、その点について自らへの反省は見られない。

 テフラ層序の編年が確立しているかどうかは、遺物の埋込みとは直接関わりの無い問題であるが、少なくともテフラ層序学上の位置付けが、資料の正当性主張を補強したことを意識しておきたい。いつか、これを論じてみたい。

なお3月号には「日本考古学協会の課題は何か−その2」が掲載されたのみである。

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