Special Report
旧石器時代の遺跡としてよく知られていた上高森遺跡と総進不動坂遺跡に、石器が埋込まれていたことが明らかになり、日本社会全体に衝撃を与えた。このお粗末な事件がどれほど深刻な影響をもたらすのか、まだよく認識されていないようだ。遺憾なことに、この不行跡の全貌が明らかになったわけでもないようだ。キーリ氏による学問的な立場からの検討[11月17日付けのリポート]は時宜を得ており、思慮深いものである。それによって、問題が国際的な議論の俎上に置かれ、旧石器時代研究と人類進化に関心ある考古学者や市民に読んでもらえるに違いない。「予備的リポート」となっているので、キーリ氏は今後も議論が継続されることを期待していると思われる。読者が反応して投稿に及ぶとしても、不思議ではないだろう。
過去四半世紀の間、私は日本の前期中期旧石器研究に対して関心を持ち続けてきた。といっても主に海外から、境界的な立場であったが。私は半年程前から、調査現場及び主要な研究者達と密接に関わるようになった。無論私がキーリ氏の指摘の全てに答える立場にあるわけではないが、調査に関わってきた者は、指摘された問題の検証を開始すべきである。というわけで、キーリ氏の指摘のいくつかについて答えてみたい。
最も深刻な指摘は以下のようなものである。
藤村氏が殆どの前期中期旧石器遺跡を発見し、殆どの発掘調査に関わり、多くの遺物を発見してきたことは、否定しがたい事実である。しかしながら、論理的に考えても、実際にあった出来事を考えてみても、それら全ての遺跡を十把一絡げに引込めてしまえるものだろうか。
1970年代の終わり頃、藤村氏は膨大な時間を旧石器遺跡の探索に費やしていた。彼には特に他に責任もなかったので、職業的な研究者には考えられないほど、自由に探索を続けることができた。バブルの時代に入っていたので、新しい切り通しが各地に出現しており、彼はそれを調査して回ることができた。ちょうど、地質学者達がテフラクロノロジー(火山灰編年)の研究を大きく進展させていた時期だった(それらは実に素晴らしい業績といってよい)。おかげで藤村氏は探索の対象たる地層露出断面や地域を絞ることができた。これは疑惑を呼んだ点かもしれないが、前期中期旧石器時代の遺跡を探索する方法としては、正当なものと認めてよいのではなかろうか。
日本は狭い国だし、研究者のネットワークも狭い。藤村氏のような社交的な人物が遺跡発掘中の現場を訪れることは、何も変わったことではない。調査の中で遺跡の層序が確立している状況で、まさに遺物の出土が期待されるような状況において、いかに彼が歓迎されていたかよく分る。前期中期旧石器の発掘は、有能で責任ある研究者によって監督されていた。私には、彼等の全てが騙されうるとは信じられないし、注意を怠っていたとして彼等の業績の全てがチャラになるとも思えない。
ひとつ重要な証拠を以下に示したい。8月の初め、私は[埼玉県]秩父市の長尾根遺跡を訪ねた。我々は藤村氏と一緒だった。我々が到着する以前に、すでに多くのピット(土坑)が検出されていた。それらはかすかな遺構だったが、掘り手が見ていたものは、(調査員として充分な経験のある)私にも見えていた。名誉なことに、私はこれらの遺構の一つの発掘を手伝う機会を与えられた。藤村氏の掘っていたピットとは、隣合せだった。私の手伝っていたピットに遺物は無かったが、覆土は非常によく締っており、撹乱されていないことは確かだった。私は、藤村氏が2点のフレイク(剥片)を彼のピットで発見するのを目撃した。それらは遺構の深いところで出土しており、私が掘っていたピットと同じよく締った土に、完全に囲まれていた。私の過去30年間の発掘経験をもってして、それらのフレイク(剥片)が最近埋込まれたものとは、とても思えない。少なくとも、毎日新聞が報道したような、藤村氏が上高森遺跡で見せていた「叩いて踏んで」というやり方では、私が見たような出土状況の遺物は説明できない。
私はこの時点では「ゴッドハンド」の話は全く聞いていなかったのだが、私は彼に冗談で「ミダス王」[訳注:手に触れる物を全て金に変えるというギリシア神話の王]のようですねと言い、「私のために宝くじを買ってくれませんかね」と話しかけていた。こうした皮肉を言っていたということは、私自身も自分が見たものに違和感を覚えていたことになる。しかしながら、自分の記憶や観察をどう振り返ってみても、彼が取上げていたのは本物の遺物だったと信じるしかない。
日本の前期中期旧石器に関して最も懸念されている点は、それらがあまりにも洗練されていることだろう。キーリ氏の引用した梶原氏の発言に、それらは縄文時代の石器に似ている、というものがあった。私が梶原研究室で石器を見せてもらった時にかわした会話は、キーリ氏の伝えたものとよく似ている。しかし私の受けた印象は大いに異なっている。梶原氏が述べていたのは、「前期旧石器は、縄文時代の遺跡で発見される石器に似ており、比較できる(comparable)」ということだった。これは「縄文石器と比較すると判別不能(indistinguishable)」という話とは、大いに異なっている。私見であるが、多くの石器を観察し、多くの石器を制作してきた経験を踏まえると、キーリ氏の指摘したような両面加工は、石器時代を通じて極めて基本的な要素だったと思う。もっとも(中型のものはともかく)むしろ私が驚いたのは、押圧剥離によると思われる数点の卵形の小型両面加工石器であった。アフリカかヨーロッパのアシューリアン[アシュール文化]と比較すると、なかなか興味深い資料であった。
キーリ氏の紹介した竹岡俊樹博士の批判には、かなり言い過ぎの部分があるようだ。実際には、関連する殆どの遺跡でフレイク(剥片)が出土している。殆どの遺跡に欠けていたのは、石器加工の痕跡となるべき接合資料である。そう断言できるのは、研究者達がこれを探していたからであり、その点西方[訳注:アフリカ・西アジア・ヨーロッパ]の前期・中期旧石器遺跡調査のいずれと比較しても、より熱心だったといえる。馬場壇遺跡[訳注:宮城県古川市]と原セ笠張遺跡[訳注:福島県二本松市]で接合資料が出土している。他の遺跡で出土していないのは奇妙であるが、前期中期旧石器時代のライフスタイルについて殆ど判っていない以上、さらに研究が必要だということを意味しているのであって、これをもって欺瞞の証拠ということはできない。
石器石材の由来について、研究者達が適切な関心を払ってこなかったというキーリ氏の批判も受け入れ難い。この点について研究者は注意を払ってきたし、いずれにせよ批判は言い過ぎである。本州北部では弥生時代に至るまで原石の多くは河床礫だったし、それゆえ原産地の特定は非常に困難であると言わざるを得ない。
(余談であるが、星野や岩宿ゼロの「崖錐堆積物」は、初期の原石獲得戦略の例として研究されてよいのではないか)
また、日本の遺跡から出土する石器を規定する表現形式に関わる大きな問題がある。日本や東アジアの資料を扱う表現形式は、西方で観察されるパターンに従って[訳注:意味が通じるように]系統的に整理されるべきだという、暗黙の前提がある。この前提は間違っている。日本の前期中期旧石器に関してなされた報告の全てが[訳注:西方的な]理解を越えている。しかし、フランスの報告例と似ていないからといって、それらが間違っているという前提から考察を開始したいとは思わない。
日本列島の地形地質は大きく変貌してきたから、どの時代の遺跡も、どのように変遷してきたか語ることは難しい。特に前期中期旧石器時代の地形を捉えることは難しいだろう。[上高森遺跡の所在する]築館町のキャッチフレーズが「原人が見上げた空のある町」とされたのは、偶然ではない[理由がある]。たとえ25年前にさかのぼっても、イメージできるような景観はなかったのだ[訳注:開発が進んで歴史的景観が既に変わってしまっているということ]。地域のごみ消却場が上高森遺跡の真向かいに位置するのは、[訳注:原人関連ブランドを扱っていた]パン屋・酒の蔵元・スポーツチームなどが歓迎するところではありえない。
調査者として筆者の見るところ、ローム層の層理は非常にかすかなもので、見分ける(あるいは理解する)ことは難しい。1998年のSAA[訳注:アメリカ考古学会]年次総会で、彼等が調査成果を発表した折に、この問題について鎌田俊昭氏と話したことがある。多少の困難はあるけれど、筆者としては2つの理由で前期中期旧石器の地層を容認することにためらいはない。
第一に、石器が出土したような面の状況に、不審を抱く理由が見いだせない。この時代の地層面がどうあるべきか、筆者には何ともいえないが、現に出土したような状況であっていけない理由がない。
第二に、殆どの報告済みの遺跡が、確実なテフラ層(火山灰)にシールされて(覆われて)いたことは、そこに撹乱が無かったという明確な証拠になる。キーリ氏のコメント通り、日本のテフラクロノロジー(火山灰編年学)は確かに素晴らしい成果をあげている。無論、より詳細な年代の特定を期待してもいいだろうが、日本の前期中期旧石器研究に貢献する火山灰編年の枠組は、世界的にみても卓越したものであると言い得る。
今度の悲しむべき事件、及びキーリ氏の批判的考察から、非常にまずい事態が2点生じるかもしれない。
第一に、議論が客観的かつ学問的な議論の枠内にとどまらず、すぐパーソナルなものになってしまいがちだということだ。世界を「宮城県学派」とその他に二分してしまうのは適切ではないし[訳注:宮城という冠も適切ではない−前期中期旧石器推進派としておきたい−また実際に多様な立場がありうる]、それではオープンな議論を促すことができない。世界のどこでも同様だが、日本でも、考古学は社会的な関係性と個人的な紐帯のネットワークの上に成り立っている。このことは見過ごすことはできないし、時として興味深く、研究そのものの発展と無関係でもない。しかしながら、日本の旧石器研究が直面しているスキャンダルに人間関係のポリティクスやパーソナリティがどれだけ影響したか興味深い問題ではあるけれど、そういうレベルで、今問題となっている事柄の解決への道を見い出すことは決してできないだろう。
もっと深刻な点は、藤村氏の遺物埋込みが、前期中期旧石器研究に終止符を打ってしまいかねないということだ。今回のスキャンダルが、日本列島における35,000年以前の人類活動に関する研究を妨げる結果になるとしたら、悲しむべきことである。その徴候は既に現れている。
前期中期旧石器研究から距離を置いたり、発言を控えたりする研究者が一方に存在するのは確かである。行政機関、行政の責任者、予算措置などを見ても、同様に前期中期旧石器関連研究に対して、後退的なアクションを起こしている。そうしたアクションは極く穏当なものかもしれないが、日本の研究者達は寒気を感じたに違いない。研究者達は単に研究を減速させ、皆が知りたがっている疑問への回答を先延ばしにすることになる。
スキャンダルは、前期中期旧石器研究への批判派を奮い立たせた。最悪なのは、もっと以前から声をあげておくべきだったのに、ずっと前から批判していたのだと[訳注:今頃になって]主張する輩である。あるいは、日本の前期中期旧石器研究全体への批判を表明することに自信を持つようになった人もいる。夜のニュースでうんざりする程「前から言っていたように...」と得意げに語る姿を見せられたが、これは自由でオープンな議論とは言い難い[訳者からのコメント]。
キーリ氏のアプローチは決してそのようなものではなかった。日本列島の初期人類遺跡に関わる彼の持論はよく知られていたし、控えめでバランスのとれた再提示だった。この主題に関する彼の学識は豊かであり、確かである。しかしSEAA[訳注:東アジア考古学会]のWebのような場で、要を得ているものの精密とはいえない大要としての批判を提示してしまうことに、一抹の危惧を抱く。それは[前期中期旧石器]研究に対して深刻な冷や水を浴びせる結果となってしまう。要を得た論考は、国際的な読者には受け入れやすい。しかし海外の研究者が「要約された批判」を越える理解を得ることは、極めて難しい。母国語で書かれた遺跡報告書ですら読解するのは大変な仕事である。入手困難で、しかも外国語で書かれていたなら、全くうんざりするに違いない。つまり包括的で問題を片付けてしまうような批判は、必ずや、日本列島の初期人類に関する肯定的な証拠となるべき研究を圧迫してしまう。
海外の研究者は日本列島の驚くべき発見に対して、これまで何度も容認をしぶり、不本意な態度をさらけ出してきた−旧石器時代の刃部磨製石斧[訳注:参考Web]、九州で発見された更新世の集落、12,000年前の土器[訳注:現在、暦年代較正後のデータとしては約16,000年前が最古となっているが、東アジアではこうした年代は珍しくなくなってきている]、完新世初頭の貝塚、エトセトラ、etc。
同じことが再び起きようとしている。舞台は設定されてしまった。
キーリ氏の指摘した日本考古学のスキャンダルは現実の出来事であり、シリアスな問題である。藤村氏は2遺跡での遺物埋込みを認めている。新聞報道によれば、彼の払ってきた努力はアマチュア的で未熟なものだったらしいが、彼の行為は深刻な暗雲をもたらした。しかしながら今の時点で、日本列島の初期人類に関する肯定的な証拠を全て却下してしまうわけにはいかない。強力で説得力のあるオープンな調査によって、藤村氏の不正行為の全貌を明らかにすべきである。陳腐な言い回しに聞こえるかもしれないが、日本の考古学者は、スキャンダルの(土砂崩れの)下から、自身と、この国を掘り出すべきである(自力で脱出すべきである)(Japanese archeologists will have to dig themselves and their country out of this scandal)。
日本列島の初期人類に関する資料が、東アジアと世界の人類史研究に及ぼす潜在的な重要性を考えると、列島の前期中期旧石器遺跡の研究を継続することは極めて重要である。発掘によって、遺跡が本物であったかどうかは分る。その事とは別に、世界の考古学は日本の初期人類に関わるデータの詳細な検討を始めるべきである。日本と世界の研究者は、日本の前期中期旧石器調査関係者の(賞賛に値する)努力を応援し、「本物の資料」を世界の研究者に提示するよう促すべきである。全ての努力は前向きに、この問題に関わる研究が前進する方向でなされるべきである。
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