00.9.3…00.9.7

埋文調査事業体の情報化モデル(4)

トリアージの限界

 報告書は如何にあるべきだろうか。デジタル情報技術(IT)の時代にあって、「書」の概念や立場が変貌していくわけだから、それは、遺跡調査の報告は如何にあるべきか、という命題に戻っていく。無論、調査にどこまで手間をかけるべきか、という命題とも無縁ではない。調査の程度は、コストに直接ひびく問題である。現場では、トリアージ(大災害等の緊急時の患者選別)に相当するリアリズムが不可欠である。報告の段階でも、トリアージは日常茶飯事である。そのやむを得ない選択の結果が、報告書である。デジタル情報技術は、トリアージの限界を上げるために使われるべきである。

報告書の諸問題

 報告書の機能の第一は、「考古資料」の資料性を確保するためのドキュメントである。その限りだと、専門家を対象とすることになってしまう。そのこと自体は肯定されるべきものだが、ユニバーサルアクセス(2000年3月10日の都研修で初出)を考えてみると、やはり市民に一般的に理解可能な「なにか」が必要である。もしそれが、写真(キャプション付)ならば、そこに焦点をあてるべきだろう。その意味でカラー写真主体の概報は、有効であったといえる(配付形態、つまり概報によって市民との接点がどれほど確保されたかは、疑問だが)。

 市民といっても、具体的ターゲットを定義しなければならない。多分、選挙の時にイメージされる有権者でいいだろう。ただし新聞を読むくらいの日本語レベルは、要求してもいいかもしれない(歴史や考古資料の説明は、いずれにせよ、ある程度の複雑さは免れない)。基本的には、考古学の実情についてほとんど認識を持たないが、基本的教養は持ち合わせている層である(つまり小学生向けは、別に考えるべきだろう)。

 報告書にデジタル情報技術を適用する時、報告書の機能が根元的に洗い出されることになる。全てCD-ROMでいいのか。全てオンラインでいいのか(実際には技術と社会インフラの進捗に応じた組み合わせになる…Webも多様であるし奥が深い)。紙で残すべきものは、何なのか。

 紙印刷物の役割は2点ある。コンピュータを介さずに読めること。そして保存性である。保存性では、CD-R(コダックのインフォガードゴールド)が既に200年を越えたが、特に保存性の高い中性紙は1000年程度のようである(CD-Rにしても、紙にしても、しかるべき良好な保存環境を保つことを前提にした数字である…CD-ROMといえども紫外線は望ましくない…結局、媒体の保存性に関わらず慎重な保存環境は不可欠なのである)。無論、デジタルデータは複製を繰返し、メディアからメディアへ移していくことによって、保たれるのである。オリンピックの聖火と一緒である。それに写真フィルムの寿命は、はるかに短く、カラーの色保存性はもっと短い(退色が始まるのに、通常の環境では10年もかからない)。結局、デジタル化以外に本格的な保存の道は残されていないに等しい。確かに紙に印刷したものなら、それ自体の保存コストは比較的低い。ただ、出版点数の多さや長期保存を考えると、図書館/公文書館(アーカイブ)がその任だろう。全ての研究者が、自宅を私設図書館のようにしてしまうのは、疑問である。

 厚い報告書を手にした時、一番問題なのは、情報のボリュームである。無論、情報量は豊富に違いないが、それをいちいちチェックする時間は無いのが普通である。普通の人は、それ程ひまではない。必要なのは、情報をかいつまんで把握できるようなメタデータである(紙媒体のパラパラとめくる機能の重要性が言われるが、デジタル文書では、その代わりに何らかの工夫が必要なのだろう)。それは、レイアウトすれば、多分数頁程度のものだろう。内容を紹介する頁である。無論、必要な時に報告書の該当部分が読めること(アクセス可能性)は、前提である。

 まして「市民」にとって、厚い報告書は、不可解で縁のない存在だろう。カラーの概報なら多分有効だが、配付形態を考えると、心もとない。

報告書の機能分担

 [紙]…[CD-ROM]…[Web]の三元構造を考える時、その機能分担を考える必要がある。考え方は色々あるだろうし、役所全体の情報化イニシアティブや、予算の置かれた状況など、色々な経緯がありうる。

 市民向けであろうと、「考古資料のドキュメント」だろうと、オンラインでアクセス可能であれば、もう充分ではないか、という意見は確かにある。仮に紙の報告書があったとしても、もう置場がないので、そっちはいらない、というのが大方の意見ではないか。無論、問題は通信インフラである(2000年現在ともなると、通信インフラがそろそろスタートラインにつきそうな情勢ではある)。CD-ROM/CD-Rの保存性は、バックヤード(機関等)の話であり、一般ユーザにとっての話ではない。

 電子化は、技術的かつ情報デザインの点で、充分な経験が蓄積されていない。電子メディアの完成度が充分に高まるまでは、まだ時間がかかる。それまでは、全面的な電子化、つまり報告書のペーパーレスは躊躇せざるをえない(PDFなら印刷可能性は確保されているが、それはユーザに任されている)。もちろん、印刷コストを下げるため、印刷頁を減らして、CD-ROMに情報量の多くを入れていくという流れは正しい。また、CD-ROMならメディアリッチである。写真の総カラー化や、点数の飛躍的増大などは、CD-ROMならではのメリットである。写真の点数が、事実上無制限になると、報告書の編集の文法が変わってくる。印刷版の報告書には、印刷物編集の流儀がある。

 通常、ワープロで作成するような内部文書が、本格的にグループウェア化し、電子化していく、という経験を踏まえないと、報告書の電子化といったことも現実味を帯びないのかもしれない。

▼メディアの比較

メディア紙印刷物CD-ROMWeb備考
配付媒体の保存性最高かなり良?(後述)Webでもバックヤードではアーカイブされる
収蔵・管理コスト高くつく安くつくユーザ側はゼロWebでの書誌情報は共有化される
媒体の製作コスト高い(青天井)15〜30万円情報量に依存編集コスト自体はいずれも同程度(流用は可能)
直接的な配付コスト高い安いほとんどゼロWebサイト整備は別途かかる
編集の文法確立されている発展途上発展途上PDFは紙と同じ
入手性面倒か不可能同左かなり良CD-ROMも実物入手の点では紙に近い
メディアリッチ性高くつく最高かなり良WebよりはCDの方がリッチにしやすい
出版後の校訂不可能不可能可能紙やCDの校訂は、Webに依存したらよい
※この比較は条件設定次第でかなり変わってくる。また編集/情報デザインによって、それぞれの閲覧性もかなり変わってくる。

オンデマンド印刷の活用

 20世紀を席巻した産業主義は、電子情報技術によって、パーソナライズ生産、オンデマンド生産に移行できる可能性が出てきた。CD-ROMにはCD-Rがあるように、紙印刷物には、オンデマンド印刷が登場した。( (1)でも触れたが、)オンデマンドによって、オフセット印刷では非現実的な、極少部数での出版が可能になった。現実にオンデマンド印刷の特性を利用した商業出版が行なわれているし、1部の印刷から対応するオンデマンド出版も現実に事業化されている。

 ちなみに、オフセット印刷の(多分)1/10のコストで、オンデマンド印刷物が、ざっと30冊は刷れるだろう。10冊なら1/30のコストで済む。国会図書館、県立レベルの図書館、国や県の関係官庁、原因者分、内部用などなら、最少限10〜15冊もあればいいのではないか。無論、実費で注文を受けることもできる。頁単価は、一応頁17.5円で試算できる(A4版)。個別の配送料は別途必要だが。

 ここで薦めるオンデマンド印刷分は、考古資料のドキュメントとして、データでも写真でも、伝統的に報告書に掲載してきた分量をカバーしたものである。編集の文法も伝統的なものである。そして、ここが重要なところだが、全く同じものをPDFでも用意し、CD-ROMを数千枚プレスして、自由に配付したらよい。

新たなパッケージ

 現在は、報告書添付CD-ROMの形態が普及している(その例自体が少ないが...)。CD-ROMのコンテンツは、徐々に工夫が進むだろう(無論、伝統的な報告書では無視してきたような、メディアリッチなものも収録されるだろう)。報告書本体がオンデマンド印刷に移行していくと共に、CD版にはジャケットを印刷して入れてもよいし、CDブック(少なめの頁数の印刷物に、CD-ROMが嵌め込まれている)の形態をとってもいいだろう。

 CDブックの実印刷分コンテンツは、(上述したような)本来の印刷版報告書の内容紹介版、それに市民向けのカラー写真主体の遺跡紹介版のようなコンテンツが考えられる。市民向けといえども、ある分量以上はCDに収めてよい(総頁数は、かなり制限した方がよいから)。といっても、プレゼンテーション用スライドや、カラー概報を念頭においているのであって、ゲームや凝ったマルチメディアコンテンツを期待しているわけではない。

Webのバックヤード

 報告書がPDFに置き換えられれば、容量圧縮に注意し(この点はCD-ROM/イントラネット版とインターネット版の違いである)、しかるべき章節に分割し、埋文担当機関の公式Webサイトに置けばよい。ただし書誌情報の整備は必須である。テキスト主体に考えれば、HTML版もあってよい。報告書を越えたコンテンツについても、いずれ経験と学習効果が蓄積され、洗練されていくだろう。

 しかし、本格的なオンライン化には、アーカイブ性の保証と、コンテンツの構造性がより高度化されることが望ましい(情報デザインの洗練も望まれるが)。

 アーカイブ性とは、報告書ドキュメントが、紙と同じように図書館レベルで本格的に保存されることである。公式サーバが維持されていれば、別に問題とすることではないかもしれないが(商用のインターネットデータセンター(iDC)では、セキュリティは完璧である…災害に対しても)、例えば電子公文書館に永年保存版を預託する、といった仕組みが望ましい。国会図書館関西分館に預託して公開してもらうのも手かもしれない(それなら地元の公立図書館でも実行可能かもしれない)。その具体的な仕組みは、今後の課題である。

 公式サーバがデータセンターを利用していれば、比較的問題は少ないかもしれない。遺跡台帳では、個人情報を扱う部分が残っているが、報告書や概報のレベルなら、そこまで個人情報保護に気を使う必要はないから、これらの部分だけでもデータセンターを利用する意味はあるかもしれない(データセンターでも個人情報保護上の問題はないが、あくまで制度上の制約である)。

 コンテンツの高度な構造化とは、検索の効率化と言い換えてもよいのだが、今やPDFも外部から検索可能なのだから、気にする程のことではなくなるのかもしれない。現状で見る限り、Webの爆発的普及は、情報のガイダンスとしては、悪化したともいえる。数千もの検索結果が帰ってきても収集がつかないし(網羅しているかどうかも分らないし)、満足すべき結果を得るまでに膨大な時間を費やすようでは、何ともおぼつかない。

 埋文のことなら、機関の数は日本国内で最大4000で済むだろうから、その範囲でオンライン報告書の総検索やテーマ毎の情報集成を、容易にする仕組みが望まれる。その決め手が、XMLの活用である。つまり、検索の結果を容易に構造化するために、元のデータも高度に構造化していることが望ましいのだ。

 XMLについては、開発段階はともかく、いずれ社会的な取組みが必要になってくる。今は、開発を呼び掛ける段階のようである。


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