00.2.4…00.7.13
原始時代って何だろうか。いいかげん、この名称は見直したい。そこで時代区分の全体を再考してみる。

時代区分における問題の所在

 通俗的な考古学のイメージでは、対象となる時代は、原始時代とか、古代とされている。石器時代という言葉もあるが、これは若干すたれているようである。これらの用語や概念は、教科書や一般向け解説書、博物館展示でよく用いられているが、いかにも古くさい。原始時代は、原始人という言葉とも結びつき、(例えば)縄文時代への不適切な先入観を植えつけているとも考えられる。

 今日の豊富な考古学的知見をもってすれば、縄文時代人が、原始人と呼ぶには相応しくない程、文化的存在であることは、常識である。まして、弥生時代は原始時代だろうか?(博物館では、一般に弥生時代は原始時代である)

 縄文時代は縄文時代でいいではないか、という声もあるかもしれない。しかし「原始時代」の廃止をねらっている以上、それに変わる通俗的パラダイムを提示する必要がある。古い時代の総称や概念が問題なのだ。それに、古い時代を全て「古代」と総称する場合もある。つまり同時に、古代の範囲規定も問題なのである。

 ちなみに、古代の終わりは、はっきりしていて、平安時代の終わりとほぼイコールである。もっとも、この時期は中世への変換期なので、どの定義に従っても、古代の終わりであることに違いはない(中世になる直前だから)。

古代の再定義

 古代とは何だろうか。世界史的視点にたてば、古代文明の興隆期であり、古代帝国が崩壊して、中世へ移行する。律令期の官道は、(例えば)幅12mで、地形に関わらず、野を越え山を越え、一直線に伸びている。ローマ帝国の道と、思想的にはよく似ている。これが中世になると、地形に沿った、無理のない道になる。

 古代とは、やはり古代文明の興隆と関係がある。その意味で弥生時代は、日本列島が、古代中国の世界秩序に組み込まれた時期なのだから、古代なのである。

 では古墳時代とは何だろうか。古墳時代の成立期の世界史的状況を想起すればよい。当時、秦漢帝国が崩壊し、古代中国世界は周辺民族の民族的高揚期にあった。弥生時代は、実は、古代中国世界秩序を前提とした、政治秩序によって安定していたのであり、その前提が崩れた以上、日本列島内の国内秩序の再編は不可避だったのである。

 こうして、弥生時代と古墳時代を、古代に組み込むことができた。そして、天武朝に始まる律令時代は、古代中国世界が再統一され、日本列島にまで世界秩序が及ばんとする情勢を踏まえ、日本の独立(日本という国号も天武朝で成立)を選択し、日本独自の政治秩序の確立に成功した時代なのである。中華は、天皇制という形で内面化され、もはや中国世界秩序に飲み込まれる心配はなくなった。それから都城を整備し、本家に倣った文明のショーケースとしたわけである。ちなみに、中世後半から勃興した琉球は、中国世界の秩序に完全に組み込まれていた。

 つまり、実態に即した時代区分とは、以下のようなものである。

古代古代1期弥生時代
古代2期古墳時代
古代3期律令時代

 古代を再定義し、弥生時代から律令時代までとすることができた(古代3期の後半は、やや事情が異なるが...)。

新石器時代

 では、縄文時代は、世界史的視点にたてば、どんな時代だろうか。ふつうは、この種の時代は、新石器時代である[03.7.22:仮に、中石器時代という区分を普遍的に認めるとすれば、それも検討課題である…実際、縄文時代の特徴と中石器時代の定義は、細石器の問題を除けば、よく一致する]。縄文時代は、決して鎖国時代ではなく、大陸との交流は続いていたことが分かっている。文物の交流もあり、栽培植物の導入もあった。世界史的視点にたつ限り、縄文時代は、日本列島版の新石器時代である。

 縄文という名称をめぐっては、様々な論争がある。縄紋という名称も提案されており、日本考古学界では、一定の支持を得ている(パーセンテージに関する統計は無いが)。一方、縄文土器には、縄文の無い土器も多く、むしろ縄文の施された土器型式は、当時の日本列島の土器型式バリエーションの一部に過ぎない、という意見もある(実態はその通りである)。

 ここでは、古代以前を、どう定義するか、という問題に踏み込むことを目的としている。そこで、次に縄文以前の時代を検討してみたい。

旧石器時代

 縄文時代以前については、先土器時代も有力であるが、少なくとも、世界史的視点にたつ限り、旧石器時代である。それも限定すれば、後期旧石器時代である。

 従って、前期旧石器時代及び中期旧石器時代の再検討も必要である。実際のところ、後期旧石器時代と、それ以前とは、質的に相当異なることは、広く認められるところである。後期旧石器時代は、一般に、石刃技法の登場で画されている。

 ところで、旧石器時代の3区分は、原人・旧人・新人(※)の区分と、ある程度パラレルに捉えられている。無論、これらの対応関係は、考古学的には全くのところ、確実なものではない(その主な理由は、化石資料があまりにも乏しいことである)。今のところ、後期旧石器時代以前を、考古学的に確実に区分するすべはないのである。

 一方、分子生物学の進歩によって、現代人の祖先は、約20万年前(15〜30万年前)のアフリカ大陸に居た小集団から、出発したことが分かっている。つまり、新人と旧人(この場合はネアンデルタール人限定)は、異なる種として別々に栄えていたことが確実なのである(亜種のレベルではない)。従って、彼らの営んだ文化は、根本的に異なるものであったことが予測できる。また、北京原人は約20〜50万年前とされているが(実は年代推定はかなりあいまいであるが)、一部の原人は、もっと後の時点まで生存していた可能性が指摘されている。しかも、現生人類とネアンデルタール人の分岐年代は、60万年前より古いくらいとされているから、ヒト(ホモ属)は同時に3種が地球上に併存していたことになる!

 つまり、旧石器時代の区分は、人類文化の発展という問題ではなく、世界を席巻しているヒト(ホモ属)の種レベルでの交代、という問題なのだ。いいかえると、時代を水平に区分するのではなく、文化を垂直に区分すること、つまり文化を担っていた種の判定が課題なのだ。

新人の時代

 後期旧石器時代(4万〜3万数千年前に始まる)と新石器時代が、もっぱら新人に属していることは、確実である(新人には4万年前より以前の文化もあるはずだが、考古学的にはよく分かっていない)。二つの時代は、ある意味では、かなり連続しており、新人がブレイクした後の文化的発展と捉えることができる。従って、これらの時代を一括して、新人の時代と呼ぶことができる(本稿では、これ以上の結論はない)。

 これに対して、新人がブレイクする前の年代は、あるいは原始時代と呼ぶに相応しいかもしれない。ただ、現時点では、新人の文化と旧人・原人の文化を、その境界域では、確実に識別する術はない。ある程度、予測として述べることができるにとどまる。

近代の見直し

 中世の始まりと終わりは、かなりはっきりしている。では、その次の時代は何だろうか。江戸時代は、考古学では近世と呼ばれている。また近代は黒船来航ないし明治維新に始まるようである。また明治以降は、今日まで含めて、近現代と一括されることも多い。

 英語的に考えると、いずれもModernである。では、近世を、どう英語に訳すべきだろうか。近世が、どういう時代であったか考え直してみると、藩によっては、実に近代的な文明社会へと発展した期間であったことが分かる。寛永通宝の発行は、中国経済からの独立であったし、国内の各地で新田開発が行われ、手工業的ではあるが、各種産業も発達し、流通網や出版業も発達した(当然、それらを担う社会階層とリアリズムが成長した)。近世は、日本の近代化を内包していた時代なのである。

 黒船を契機とした開国政策は、中国世界が没落し、西欧中心の世界秩序の再編が行われようとする時代の、必然だった。つまり、日本にとっては、ファンダメンタルな世界秩序の見直しによる、近代化の方針転換だったともいえる。こうした歴史観の見直しは、古代の見直しとも通じるものがある。

 <00.7.13追加>ちなみに尊王論は、世界史的にいうと原理主義である。明治〜昭和は、急速な洋化と共に、原理主義が発展した時代である。原理主義の名残りは、現在でも見られるが、いずれ克服すべき歴史的民族的課題だと思われる。

 近代をめぐって、より実態に即した時代区分とは、以下のようなものである。但し江戸時代初期は中世から近代への移行期である。

近代近代1期江戸時代(近世)
近代2期明治以降(近代)

 特に明治以降については、まだ時代評価を行うには適さないかもしれないが、いずれ近代3期を分離することも可能かもしれない。ただし(昭和20年が分岐点と思われるかもしれないが)、実際は昭和16年あたりが分岐点である。この年に確立した国家総動員体制=官僚主導の国家運営は、戦後まで一貫している。


原人・旧人・新人:
いずれもホモ属(ヒト属)。原人はホモ・エレクトス、旧人は古代型ホモ・サピエンス、新人は現代型ホモ・サピエンスの通称。ちなみに、ネアンデルタール人は、寒冷気候に適応し、中東〜ヨーロッパにいた、旧人の地域的亜種と考えられている。ただし、その他の旧人については、一定の傾向が見い出されていない。DNA分析が行われたのはネアンデルタール人であるから、他の旧人については、詳しいことは分からない。[2004.8.16追記]サンブンマチャン4号化石の詳しい研究で、ジャワ原人が地域で特殊化(前期→中期→後期)していった事が判明したので(関連コメント)、一般にアジアの旧人が原人の後期型である可能性が高まったように思われる。→関連コラム「ヒトの誕生」

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