ヒトの話 | 第1話.ヒトの誕生 |
人類が誕生したのは、いつ頃でしょうか。この問いの定義が問題ですが、一般には「ヒトと最も近縁な別の種」との、進化上の分岐年代と捉えられるでしょう。
現生種では、チンパンジーとボノボ(かつてピグミーチンパンジーと呼ばれていた)が、ヒトと最も近縁な種です。彼らとヒトが分岐したのは、分子生物学では、およそ500万年前と考えられています。ちなみに、現在見つかっている最古のヒト系列の化石は、300万〜400万年前のアファール猿人、ないし440万年前のラミダス猿人のものです(アルディピテクス・ラミダス)[最近600万年前の資料が見つかったという話もあります]。
分子生物学は、分子時計の定時性(DNAの塩基置換の発生頻度の恒常性)に基礎をおいています(少なくとも、分析対象の種をある程度近縁種に限ることで)。しかし、その前提は古生物学では支持されていません。限られた霊長類の化石から推定される分岐年代と、分子生物学による推定分岐年代には、ざっと1.5倍から3倍の開きがあります。分子生物学による推定は常に過少で、誤差も一定ではないのです。化石資料が不足している現状では、ヒトとチンパンジーとの分岐年代は、500万〜1500万年の間にとらえておいた方がよさそうです。
ところで、「ヒトと最も近縁な別の種」は、はたしてチンパンジーやボノボだけでしょうか。現在の知識では、ホモ・エレクトス(いわゆるジャワ原人や北京原人)や、ネアンデルタール人(旧人の一種)は、現代人につながる系列から、かなりはずれていることが分かっています。
現代人と、ネアンデルタール人の系列が分岐したのは、数十万年前(暫定値では60万年前)と考えられています。つまり、数十万年前から数万年前まで、ホモ・エレクトスや、旧人は、我々の祖先とは別の種として、地球上に共存していたわけです(最後のネアンデルタール人は3万年程前まで…アジアの後期型原人が3〜5万年前まで生存していたという報告もあります…ソロ人の共伴動物化石をESR法によって年代測定した結果…北京原人はおよそ20万年前までとされています)。
前期旧石器文化は、ホモ・エレクトスや、旧人といった、ホモ属の別種に属するものです。我々(新人)の祖先は長い間アフリカ大陸に留まっていた集団の一派ですから、他の大陸で見つかっている前期旧石器文化とは関わりないはずです。新人は10数万年前から拡散を開始し、10万年前頃には中近東に遺跡を残し、数万年前から旧世界の各地に登場します。この最後の年代は、後期旧石器文化が世界中で始まった時期とイコールです。そしてオーストラリア大陸の資料から考えて、およそ5万年程前には既に渡海手段を持っていたことが分かっています。
人類の誕生が、「ヒトと最も近縁な別の種」との分岐年代と定義されるならば、それは多分60万〜100万年前ではないでしょうか。仮にチンバンジー/ボノボが既に絶滅していたなら、ゴリラとの分岐年代=人類の誕生と見なされたでしょうし、仮にネアンデルタール人が現在まで生存していれば、当然、彼等と我々との分岐年代=人類の誕生となったでしょう。
ヒトの進化史は、決して猿人→原人→旧人→新人という段階的かつ直線的系列ではありません。正しくは、オーストラロピテクス→ホモ属の段階を経て、幾つものホモ属の種が分化し、一部が原人に、しばらく後に一部が旧人(旧人の系譜はもう少し錯綜しているかもしれません)に、さらに一部が新人(現代型ホモ・サピエンス)に進化したのです。
なお、ヒト系列の誕生に際して、ある期間(猿人誕生の頃)、半水中生活に適応していたという、Aquatic Ape(水棲類人猿)説があります。極めてユニークな説で、説得力があるのですが、証明が困難ないし不可能と思われ、あまり取り上げられることがありません。少なくとも記憶に止めていてよい説です。
分子時計の定時性には疑義があるとは申せ、遺伝距離の離れた別の種との比較ではなく、同じ種の中で、地域集団間の比較の目的ならば、分子生物学の適用に問題はないとみてもいいでしょう(絶対年代の誤差の問題は残りますが)。
世界中の現代人の遺伝距離を調べると、その分岐の起点は、分子生物学上およそ14万年前に求められるという研究があります(種々の誤差を最大限考慮しても18万年前より新しいとか)。(まだ時点は確定できませんが)今日の、いわゆる民族集団の差は、その時点では存在しなかったわけです。
但し、チンパンジーとヒトの分岐年代が500万年前ではなく、1000万年前だとしたら、現生人類の分岐年代は、およそ30〜35万年前になってしまいます。
この話は、新人の登場時期の見直しにつながります。何しろ、人間のように適応力と好奇心の強い動物は、その気になれば、旧世界の端まで辿り着くのに(現代的な技術文化を持たなくても)100年もかからない可能性があります。つまり、例えば30万年前の時点で、先駆けた連中は、行けるところまで行ってしまったかもしれません。
ちなみに、ネアンデルタール人との分岐年代と、現代人の諸集団の分岐年代が、あまりに懸け離れており、また現代人の遺伝的バリエーションが少なすぎることから、現代人の祖先は一時絶滅に近い状態に追い込まれ、ごく少数の集団から再出発したものと考えられます。逆に言うと、そうして絶滅してしまった枝は、数多くあったのだということです。
その他、以下のような点が指摘できます(絶対年代は全てチンパンジーとの分岐年代=500万年との対比)。
つまり、大きくいうと、アジア I とアジアII があり、アフリカ人と分岐してすぐに、再分岐していたと考えられます。そして、歴史上のどこかで、アジア人は再び合流したのです。もっとも、アジア人やヨーロッパ人とアフリカ人が同じクラスターに属する例も多く、実際の系譜は複雑なようです(つまり、ここで示した分岐観も決して定まった話ではないということです)。
上述の年代観に従えば、ヨーロッパ人とアジア人(の一部)は7万年前に分れ、その後の文化は、基本的には相互に孤立して発展したことになります(交流が再開するのはユーラシアに世界帝国や遊牧民族が現れてからではないでしょうか)。
余談ですが、系統樹の上で最もルーツに近いのは、現在の国でいうとウガンダだそうです(無論、集団の移動性を考えると、これを単純に受け取ることができないのは、言うまでもありません)。ともあれ、化石の出土が集中していることもあって、アフリカ大陸東部の中央部、ヴィクトリア湖周辺、あるいは大地溝帯周辺こそ、人類のホームランドと目されています。誰もそんなことは気にしないでしょうが、世界中の民族紛争がいかに的外れであるか、分かろうというものです。
<参考文献>
瀬戸口烈司 1995『「人類の起源」大論争』講談社選書メチエ55 講談社
馬場悠男 監修・高山博 編 1997『イミダス特別編集 人類の起源』集英社
クリストファー・ストリンガー、クライブ・ギャンブル著(河合信和訳) 1997『ネアンデルタール人とは誰か』朝日選書576 朝日新聞社
旧石器文化談話会 2000『旧石器考古学辞典』学生社