考古学における(絶対)年代観は、実は結構曖昧ないし流動的な基盤に基づいている(99.4.5初稿、[日付]のある段落は追加稿)

C-14年代観の修正

 もともと考古学は、相対的な年代観の構築を本分とし、絶対年代との照合は、自ずと別の問題であった。しかし事実上、C-14年代(放射性炭素年代測定)を基準として、全ての考古学上の記述は組み立てられてきた(但し約5〜6万年が測定限界)。C-14年代が、注釈付きで使用すべき年代観であることは、記述の中で(時として)あまり重要視されてはこなかった。もっとも最近では年輪年代が、ピンポイント的な年代の指示によって、脚光を浴びることが多くなっているが...(後述)

 現在では、C-14年代は、他の年代測定法との比較対照によって、かなり修正を余儀なくされている。C-14年代は、大気中のC-14(14C)濃度が一定であるという仮定に基づいた計算なのであるが、実際のC-14濃度は一定ではなかったのだ。大局的には地球の磁場強度に影響されるが(宇宙線の強度を左右する)、突発的な要因としては、海洋の深層水(一般に古い炭素を多く含んでいる)が急激に表層に上がってきたか、あるいは何らかの海底からの炭素を含んだ物質の噴出も関係あるかもしれない。

他にも、試料の遺存環境(これも結構深刻な問題)、測定方式(特にバックグラウンドノイズの影響を受けにくいとされるAMS法の導入−これで測定値は全て古くでる傾向?)、14Cの半減期が5,568±30 BPから5,730±40 BPに変更された件や(実際には、同じ基準で比較し続けるため、計算上は5,568年を使い続ける…2.9%ずれていることになる…例えば2,000 BPという報告は、実際は2,058 BPということになる…どうせ暦年較正してしまうから、それどころではないが)、δ13Cの補正等、様々な問題点があるが、ここでは省略.

この話題で参考になるWWWリソース  放射性炭素年代測定の原理と暦年代への換算[群馬大地学研究室]


C-14年代(半減期5,568)と年輪年代、U-Th年代等との照合
C-14年代年輪年代
1,000900
2,0002,000
3,0003,300
4,0004,500
5,0005,700
6,0006,800
7,0007,800
8,0008,700〜8,900
9,00010,000
10,00011,000〜11,500
C-14年代U-Th年代他
12,70015,000
17,00020,000
26,50030,000
50,00050,000
●これらの表は非常に大まかなものである
●左の表はRadiocarbon 1993のグラフから筆者が読み取った数値
(但し、あえて100年単位で示した)
(精度の高い較正には、詳細な対応表/プログラムが入手可能)
年代に幅のあるのは大気中のC-14比に大きな異変があった時期
実際、グラフの曲線は所々で僅かに逆戻りしている
(実は細かい変動は絶えず生じているのだが)
●右の表は、複数の情報源からまとめたものである

 こうした補正(較正)を加えた実年代は、暦年代と呼ばれている。いずれ、考古学上の年代観も、こうした暦年代観に合わせて修正する必要がある(もっとも、一斉に変更するのだから、普通は、前後関係は変わらないが...)。特に2,000年より前の時代について、問題は深刻である。従来の年代観は何よりC-14年代を基準としていた。とにかく、従来の文献で但し書きの無い場合は、較正前のC-14年代に基づいた知識が披瀝されている。記述を正確にするためには、「暦年代」や「cal.BP」ないし「cal.BC」と断わる必要がある。単なる「BP」なら較正前である。1990年代の研究状況を見ても、事態は流動的なところもあるので、暦年代観の全てが確定したと考えることにも問題がある(趨勢は否定し難い)。

[03.5.25]BPは1950年基点で、素のC14年代を示すのに使われる。[03.6.22]BPは半減期5,568で計算することになっているので、実際は5,730に直しただけで結構補正の必要がある(5000BPは、実は5145BPに相当する)。BCは西暦元年を基点とする紀元前(Before Christ)。較正年代を表すのに、cal.BCはよく使われる。どちらも今後研究者の生きている時代を越えて数値が動かないので、研究上は都合いいのだが、感覚的には西暦2000年を基点とした方が実感に近い。そういう場合は、ka.(1000年単位で今から何年前か)を使いたい。

炭素年代の受け取り方

[99.5.28]最近、較正年代の問題がマスコミの話題に登るようになってきた。年代値も、計算値がそのまま注釈なしで報道されることもあり、実に危うい話である。元々、各種の誤差が入り込む危険性のある年代推定法であり、大まかな暫定値として受け取るのが正しい姿勢である。また、くり返しになるが、地質年代まで含め、全体が同時に補正される問題であり、各種イベントの時間的相対関係は変わらないはずである。ちなみに、青森県大平山元 (1)遺跡の「最古の土器報道」の件は、暦年代への補正前のC-14年代がおよそ12,600〜13,700年前ということなので(確認済)、概ね13,000年前というこれまでの常識を逸脱するものではない。

[03.1.14]12,600〜13,700年前というのは、同年代と思われる故に一括して測定依頼された複数試料の中央値のバラツキである。単純計算で約8%のバラツキであるが、この程度は(数値自体はともかく)炭素年代測定では通有なものである。少ない測定点数であれば、(多数の試料を測定すれば出るはずの)バラツキの奈辺に位置するか予測しがたい。もちろん逆に言えば、多数の測定機会が、目的とするイベントの年代決定を可能にすることはいえる(特に広域性のイベント、例えば巨大噴火の年代決定)。
 また炭素年代値は1シグマ(標準偏差)の幅で示されることが多いが、1シグマの確率は約68%しかない(68.26%)。2シグマ(95.44%)で示した方が確度は高くなる。もちろん2シグマの幅はかなり広いものになるが、試料間にありがちな年代値のバラツキと合わせて、考慮すべきである。

[03.2.27]放射性炭素年代自体はどこまでいっても確率論的な数値なので、少ない測定数で特定の対象の年代を(普通の意味で)決定することは出来ない。同一型式の遺物あるいは共伴遺構に係わる何らかの炭素試料を測定し、その結果を蓄積していくことは出来る。年代の指標となるのは、あくまで既知の遺物編年であり、測定成果の蓄積は、遺物の絶対年代観を得ていく助けとなる。放射性炭素年代測定は、遺物型式論が既に手にしている編年の精度とは桁が違うのだ。


総会の研究発表資料から
−夜臼式〜板付式− (03.5.25)
[03.5.25]弥生時代の開始期、及び縄文中期の年代について報道が喧(かまびす)しい。どちらも「500年くらい遡る」とあるが、両者は全く意味が異なる。縄文中期が遡るというのは、暦年較正の適用によるものだ(研究自体は縄文中期各型式の高精度編年を目指したもの−まさに前項03.2.27の企図の通り)。弥生開始期が遡るというのは、夜臼式〜板付式の試料(複数遺跡)が紀元前800年頃(較正年代)に測定・計算されたという話であり、C14年代の新しい測定値群と暦年較正の適用がセットになっている。板付I式は、弥生時代前期最初の型式である。右図は確率分布で示した年代値。
●弥生時代の開始年代について(国立歴史民俗博物館の発表)
 それにしても、暦年較正の適用は、一般的知識としての普及が望まれる(それが願いでこのページを開いたのが1999年4月...)。

[03.6.11]古墳時代の開始が西暦80年頃という「研究成果」が報道された(03.6.8)。さすがに、この数字が一人歩きするのも困るが、紀元前後における較正は非常に難しいはずである。実際、年代に言及できる程の分解能があるとは思えないのだが... 詳しくは→「尾張の古墳時代開始前後の数値年代について

広域テフラの暦年代

 巨大噴火による広域火山灰は、考古学上の基準として極めて重要である。中でも重要なK-Ah(Kikai-Akahoya)、UG(Asama-Hirahara)、AT(Aira-Tanzawa)、TP(Hakone-Tokyo)の暦年代(C-14年代には非ず)は、あるカタログでは以下のようになっている(西暦2,000年基準)。

典拠:早川由紀夫(1995)マスターテフラによる日本の100万年噴火史編年.火山,40(特別号),S1-S15.
   最新のWWWリソース 100万年テフラカタログ[群馬大地学研究室]

暦年代テフラ略号(通名)テフラ名日本語表現
7,300K-AhKikai-Akahoya鬼界アカホヤ火山灰
15,900UGAsama-Hirahara 
28,000ATAira-Tanzawa姶良丹沢火山灰
52,000Hk-TPHakone-Tokyo東京パミス
87,000Aso-4Aso-4阿蘇4[04.3.5追加]

 鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)は、縄文早期と前期を画するとされる鍵層である(一般的には早期の終わり頃とされる)。以前は、6300年前とされていた(もちろん較正前のC-14年代値)。早期と前期の境界は、1,000年も遡ったことになる。

 UGは、立川ローム(いわゆる関東ローム層の最上部)のIII層の鍵層である。細石器文化の出現ともからみ、微妙な問題である。

 姶良丹沢火山灰(AT)は、立川ロームのVI層下部(VII層上限付近)に検出される鍵層である。ATは日本列島の後期旧石器時代のナイフ形石器文化の様相を二分する、画期をなすものとされている。以前は、21,000〜22,000年前と言われていた(初期の学習院による液体シンチレーション法)。現在では24,000〜25,000年前(AMSによるC-14年代−較正前)で決着したようである。暦年代では、ざっと6,000年は遡ったことになる。

 立川ロームのX層は、旧石器遺物が検出され始める、日本の後期旧石器文化の嚆矢をなす時期である。VI層下部(VII層の上)の暦年代が28,000年の見当だとすると、X層下底の暦年代はいつ頃になるのだろうか。

年輪年代の罠

[00.11.25]年輪年代測定が、データの揃っている年代域において、極めて有効であることはいうまでもない。問題は解釈である。年輪年代は、試料の材の残存部分の年輪を、既知の年輪パターンと比較して特定するものである。最外周部といっても、殆どの場合、伐採(倒木)年代とイコールでないし、どの程度タイムラグがあるかも不明である(平均18年とされている)。もっと問題なのは、伐採(倒木)から、実際に利用されるまでの時間が不明なことである。古材の利用は、何時の時代でも通有である。100年でも200年でもありうる話なのである。従って、年輪年代値を、そのまま遺構の構築年代と受け取るのは、無謀ということが分る。特定できるのは上限であり、遺構に対しては参考値にしかならないのである。

 年輪年代値は、複数の情報ソースの一つとして、分析の中に組み入れて解釈されるべきである。

地層累重の法則

[01.2.7]地層累重の法則は、素朴な定理であるが、それは撹乱が無い場合に限られる。遺物が、ある層から出土したからといって、その土層の測定年代(あるいは一般にその土層が属するとされる年代)と、遺物の年代が対応するかどうか、必ずしも自明に保証されているわけではない。遺物が、上層から沈み込まなかったかどうか、その痕跡が残っているかどうかの保証も、自明ではない。無論、これは地形条件によることだし、遺跡形成過程上の考察によって解決されるべき課題である。

 逆に、土層より遺物の方が古い場合も、条件次第ながら、充分にあり得る。もっと卑近な例でいえば、弥生住居址の床直遺物に、縄文土器や旧石器があったとしても、何もおかしくない。6世紀の住居址の床直遺物に、5世紀の遺物があったとしても、何も不思議ではない。無論、覆土の浅いところにあったからといって、その遺物の年代が覆土の深いところの遺物より新しいものである、と決まったものでもない。全体の傾向や、既存の知識に照らし合わせて、個々に判断していくしかない。


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