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index ヒトの話 番外編
以下、お題に答えるQ&A的な番外編です。答えはとりあえず程度なので、あまり追求しないように。

日本列島における石器文化の起源と流れ

[03.10.23]このお題は気宇壮大ですが、「石器文化」は「先史文化」の別表記と考えた方がいいでしょうね。古典的な分類では、石器時代=旧石器・中石器・新石器に三区分されますが、中石器の指標を細石器、新石器の指標を磨製石器と見てしまうと、ちょっとやっかいな事になります。日本の細石刃(細石器)文化は、旧石器時代の末期から縄文時代のごく初期に位置付けられています。磨製石器といえば、縄文時代草創期に南九州〜沖縄に出現する栫ノ原型石斧が全面磨製として知られていますが、刃部磨製の石斧なら3万年前の前後という後期旧石器時代初期に多く登場します。一方、農耕の発達を新石器時代の指標とすると、縄文時代末期から弥生時代以降が該当することになります。

 三期区分が上手くあてはまらないのは、世界的な現象かもしれませんが、ともあれ日本列島では固有の時代区分が一般的に用いられています。但し「旧石器時代」だけは例外です(別の名称もあるのですが、主流ではありません)。日本列島の「旧石器時代」の偽らざる定義は、縄文時代の前の時代だという事です。それゆえ、「プレ(pre)」が通称として定着しています(これは今では殆ど使われない「プレ縄文(先縄文)」に由来します…ちなみに「エピ縄文」の方は「続縄文」となって定着しています)。日本最古の土器は約16,000年前(暦年較正による)には出現していますので、土器出現を縄文時代の定義とする主流的な考え方に従えば、この時点以前が「プレ」になります。

 さて「プレ」の起源ですが、日本列島周辺の2方向ないし3方向から、また何度かの移住の波があったようです。最初、南方由来の集団は関東平野付近までは達したようです。おおむね 3万5千年前の前後の事です(それ以前については未確認です)。しかしその直後にはまた別の波があるようで、日本列島の旧石器文化には、様々な地域性や、地域文化間の接触・混交現象が知られています。

 縄文時代や弥生時代は、前の時代の基盤の上に、その時の移入文化や移住者が刺戟となって、新たな時代が築かれたと理解すればいいでしょう。弥生時代以降は、大きな遺伝子流入は無いものと思われます。

原人の分布

[03.8.28]いわゆる「出アフリカ」は100万年前だなどというのは、色々説があって確認しようがない話ですが(それ以前にあったかもしれないし、以後にもあったかもしれない…中国には古い原人化石があるという話もあるが...)、原人化石はヨーロッパやアジアで見つかっているわけですから、大体において旧世界全体に広がっていたと言っていいでしょう。但し、シベリアなど高緯度地帯への進出は無かったでしょうね。

旧石器時代の磨製石斧

[03.8.28]日本の(後期)旧石器時代初頭の磨製石斧は、世界的に殆ど類を見ないユニークな存在ですが、これは、そういう技術を持った集団がやって来たとしか言いようがない。南関東での研究成果によると、2ないし3集団(文化)が邂逅し、それ故に多様な折衷文化が生まれたようです。そのせめぎあいの中で、石斧は衰退していったようです。

参考リソース:「旧石器時代の磨製石斧」


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