横田<miskij>萬や 情報保障覚書


私は、とある団体の役員を務めていたが、相容れぬ事情があり2003年11月に退任を宣告した。
よって以下の内容は個人としての記述であると断っておこう。
団体の役員らは私の退任を認めないと騒いでいるのだが、ボランティアでやっている手前、 これ以上役員を勤めるのが無理だと判断すれば各自の判断で退任するのはやむをえないものだろう。
会員だけでなく、勤務先に甚だしい迷惑がかかるような事態が発生しうるか、 またもっと酷い事態が発生することが予見されるような動向を役員会が示しているというのが大きな理由である。
これを阻止しないまま退任するのは無責任という向きもあろうが、 何度もこれを阻止しようとしながらも、何も考えない役員らに大多数で押し切られるようでは、 とうてい私自身は責任をもてないし、万が一があった時に、一緒にその責任を負わされ(すでに、 一度似たような事態に対し、無理やり共同責任を押しつけられました・・・)たり、 また勤務先からも非難されるかもしれないというのは真っ平であるのは、正直なところだろう。
無理やりたとえるなら、自衛隊派遣(派兵?)に真っ向から反発し、退任した野中広務氏に近いかもしれない。
まあ、11月の改選で、規定どおり、きれいさっぱり退任にはなるけど、黙って消えるのもためにならないですから、勝手に書いておこう。(2004.Sep頃 記す)

情報保障とは何か

聴覚障害を持つ人々に対し、音声情報を手話や文字の形で提供すること。
手話を用いない講師を呼ぶ場合は、手話通訳ならびに要約筆記を呼ぶことになる。
手話通訳者は、話を聞きながら即時で手話に翻訳するという労役を有するため、連続でも15分が限界とされ、必ず2人以上で交代して通訳を行う。
要約筆記者も同様に即時で要約しながら筆記(OHPフィルムにペンで筆記したり、パソコンで入力したりする)し、同様に交代して筆記通訳を行う。

要約筆記も実は重労働

話すのと書くのとでは、情報量の点でも大きな開きがあるのは誰もが認めるものと思う。その上、筆記内容は一般の人にも読めるぶん、誤字やひどい欠落などにも気を配らなければならなくなる。
手書き要約筆記において発生する欠落については、周囲の筆記者が書き加える形で多少は補えているものの、主筆記者の手の動きや、筆記範囲の制約などもあり、完全に補えるまでには至っていないのが殆どのようである。
もちろん話者が意識してゆっくり話すのであれば、主筆記者一人だけでもなんとか追いつくのであるのだが。
ちなみに手話を用いる講師(ろう者)の場合、手話通訳者(もしくは発音が聞き取りやすい、ろう者)が向かい合わせに座って、講師の手話を読み取って発音し、要約筆記者に伝えたり、マイクに入力したりしている。

最近は手書きの代わりにパソコンを用いて文字を入力して表示する方法(パソコン要約筆記)も使われてきており、情報量の面ではだいぶ改善されてきている。少なくとも速く正確にタイプし、さらに正確に「漢字変換」できるほど、表示できる文字数は劇的に増加する。
手書きでは文字を大きく書かれてしまったりするのもあり、8x5行くらいの文字数になってしまう。もっとも、現実には3行も書いていると、筆記者の手の移動の制約もあり、画面の一番下まで書こうとする前にさっさとフィルムを送られてしまうので、実際に読めるのは8x3行、25文字前後くらい。
くどいようですが、「ゆっくり話す」分には問題ないのです。
パソコンを用いると、文字の大きさが揃い、また画面送りも画面一杯になってから自動で行われるので、文字放送の画面と同等の文字数、15x8行=120文字は余裕になります。
特に、2台のパソコンをLAN でつないで、2人が話者の話の前半と後半を「あうん」の呼吸で分けて入力する方法だと、先のように主筆記者が全部暗記する負担が半減されるので、欠落もかなり少なくなります。
ワードプロセッサ発の「親指シフト(ニコラ)方式」に慣れると、通常のカナ入力の2倍の速さで文字を入力できるようになりますが、カナやローマ入力でも極めると結構な速さになり、余程の早い話者でもない限り余裕が出てくるようになります。

と、善いこと尽くめのように見えるパソコン要約筆記ですが、それも入力者の集中力があってのこと。しかも脳ミソは声を聞き取り、幾ばくかの要約を行い、キー入力、そして的確な漢字変換、それの目視確認、という作業を遅滞のない時間制限という厳しい条件で引き受けている。
したがって疲労感は手話通訳者と同等かそれ以上と言われている。手話通訳の場合、手話表現さえ覚えまくっていけば、漢字変換ミスというのは考えなくて良いのですから(これは私見ですが)。
ゆえに、やはり15分前後で交代する必要が出てくるのは誰もが納得するだろう。先の2人入力方式の場合だと、2人1組として考えて、手話通訳者と同じように2組以上を確保するのが、パソコン要約筆記者の間では常識、となっている。
むしろそうしないと、1組で連続1時間入力といった激しい労役を課して甚だしい疲労を負わせた結果、PTSDにでもなってしまっては元も子もない。これは、以前にTV番組の書き取りを家族にお願いしていたところ、そのTV番組に似た内容が放送される都度、書き取りを思い出してしまうという実例から予見している。
しかし、某団体は手話通訳者は2人(2交代)を呼びながら、パソコン要約筆記者は2人1組の構成しか呼ばなかったりする。コンピュータに関わる聴障者団体としては第一人者とされる団体が、このような悪い見本を示して良いのだろうか。

さて、通訳者にはそれなりの謝礼を用意することになる。手話通訳に関してはweb 上ではボランティアで1時間700円、職業人として1時間3000〜5000円といったあたりか。(2005.Jun.21補筆)
ではパソコン要約筆記者についてはどうかというと、まだはっきり決まっていないのが実情のよう。
得られる情報量ならびに労力の観点で言えば、2人1組でも手話通訳者と同じ単価を2人にそれぞれ払うもののような気がする。
でも、そうすると1人でOKというスーパー入力者も同じ単価で良いのか、という疑問が付く。
私見であることを前置きして、得られる情報量で見るとスーパー入力者は倍の情報を倍の速度で処理して提供される点で見ると2倍の単価でも良いと考えてしまうのだが・・・。
少なくともそのような技能を習得するまでの努力を考慮すれば、謝礼に差があってもおかしくはないような気もする。
先にも述べたように、第一人者とされる団体が、要約者の労力をきちんと評価し、外部に発信してしかるべきなのに、それさえも行わず、内部だけで恣意的に決めているのはどうかと思う。
入力者自身は、あまり出しゃばらないようにしたいと、一種の遠慮からあまり露骨に要求したりはしないのだろうけど、そこにつけこんで安く労力を買うというのはいただけないし、入力者の労力が正当に評価されないという点でも、普及の阻害にもなることを考えるべきだろう。


パソコン要約筆記という名称

前置き:要約筆記、という用語は、広辞苑にも記載されているので、これを用いている。
では、発言を全く略しないまま筆記するものはどう呼ぶかというと、対応するような用語が見あたらないのが現状である。
先の団体では、はっきりと定義を周囲に明示しないまま、広辞苑にすら掲載されもしていない「文字通訳」を用いている。
これも第一人者としては、悪くいえば既成事実の積み重ねだけで定義しようとしているだけであり、みっともない。
きちんと普及させるにあたり、定義付けが必要なのは、要約筆記に対し、意味が付記される広辞苑を見れば、誰でも判るはずだと思うのだが?

2005.Jun.22補記:逐一筆記通訳、という表現ではどうだろうか?要約なし筆記通訳でも良いのだが。

文字通訳を定義してみる

文字通訳という定義について、内部の人と議論してはっきりしたことは:

・要約が入ることが字面で判るような用語を用いて、それが当然という風になっては欲しくない
・理論的には要約が全くない文字化は可能であり、また実現可能であるので区別したい
ということなので、要約をしない文字を用いた情報保障を提供しているんだ、という主張らしいのだが、これを実際に例会にて試した私からいえば、無謀というものである。

私が、某団体での例会で何を試したのかというと:

・民放の字幕担当に、ドラマの一幕(家族が食事しながら喋るシーン)や、早口でまくしたてる落語家のトーク番組で、要約を全くしない字幕を付けたビデオを試作していただき、視聴する
・裁判所でのタイプ速記者により、会話内容を完全文字化し、パソコン+プロジェクタで投影する
の2タイプ。番組のほうは、字幕表示が音声に追いかけきれないという事態にもなってしまう(最低限の表示時間を確保しなければならないため)。裁判所の会話は速記タイプ自体が、単語や熟語単位でどかどかと文字を表出するため、上記のパソコン要約筆記よりも多量の文字が画面を流れることになってしまうのがはっきり認識できたのである。
それだけでなくても、一人でパソコン要約筆記が間に合うというスーパー入力者の話によれば、入力そのものが追いつかないためか、やはりどこかに要約を入れざるを得ないという。もっと言えば、今のパソコン要約筆記者に、要約のない文字入力を依頼することは不可能。
(事前に原稿を作成し、これを表示するという形なら要約の介入は入らないにせよ、通訳という作業がリアルタイムに介入していない点では、通訳と呼べるか疑問)

もう1つ、先の内部の人の主張によれば:

・文字を表示したものを録画してしまえば、後から再生してゆっくり読めばいい
なのだが、なんか随分なものを感じる。これをニュースなどに適用しろというのは、文字を早く読むことができない人の存在を無視した格好ともいえなくはないのか。一般人がニュースをリアルタイムで視聴するように、聴障者もリアルタイムに字幕付きで視聴して情報を入手するという意義があるはずだろう。要約のない字幕と、要約のある字幕の両方を同時に提供し、受信者が選択できるようにすればいいというのならそれでも良いのだけど。

手話通訳にも要約は入っている!

ちなみに手話通訳においても、要約は既に発生している。重要なのは、手話に頼るろう者と、手話を知らない一般人が、要約されていることに全く気付いていない事である。
それでいて、政見放送では、手話通訳をつけることが許可され、要約筆記は、要約することが「原形保持」に反するという理由で許可されていないまま(2005年現在)。
しかし、手話通訳においても要約は行われており、手話を読み取って再度音声に翻訳しなおすと、同じく「原文の保持」が損なわれているのが確認できるはずである。

文字通訳を、要約なしと定義すると?

仮に「要約が入らない」意として文字通訳を用いるとしたら、今後、文字通訳と呼ぶたびに、要約をしない入力者「しか」呼べなくなることに留意すべきだろう。
先にも挙げたように、一般のパソコン要約筆記者は、要約しないで入力することが困難ということは、そのような人材を入力者として呼ぶことは出来なくなるはずである。そのことに気付いているのか、甚だ疑わしいものだ。
その事に気付いたのかどうか、主張していた人は、途中からあまり要約の介在に言及しなくなったようであるのだが、そうやって文字通訳の定義を曖昧なままにしておいて良いのか、ここであえて釘をさしておこう。
少なくとも、要約が入ることを含めた意味で文字通訳を用いるのであれば、広辞苑に既に掲載されている「要約筆記」を使うのが自然だろう。辞典に載っていない用語を掲載するわけにはいかないのだから。
パソコンを使った入力が「筆記」じゃないから、という意見もあるが、それならもはやパソコンで作成されている「記事」とは何なのか考えてみるべきだろう。

要約について

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