Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Pretty Pretty』 - 後編 -


  マフラーの端を装飾するフリンジを、編み終えたマフラーの端に通して行けば出来上がり。
 鉤棒にフリンジの端糸を掛け、網目の間に通す。
 幾つかの目に通して端を整える。

 「出来た!」

 編み始めて約2週間。
 学園祭目前、既に山百合会も演劇部も練習は佳境に入っていて、睡眠時間を削るしかなくなっていた
 マフラー編み。瞳子自身の技量と、美意識の天秤で量った上でも今回の作品は上出来と思えた。既に
 三度ほど途中で解いてしまったけれど、ようやくプレゼントしても恥ずかしくない物が出来たそれを
 満足気に暫く眺める。

 「でも、随分と間が空いてしまいますわね……」

 まだ11月の始め。
 クリスマスまでまだ2ヶ月近くもある。包装に気合を入れてもそんな長期間埋まる筈も無い。

 「そうだ。もう一つ作ってみて、出来の良い方をお渡しすれば……」

 瞳子は机の脇に置いておいた紙袋から新しい毛糸を取り出した。
 三日ほど前の帰宅時、予備にと買い足しておいた毛糸だった。それは、さらに一本マフラーを編んで
 も余るほどの量がある。
 結局、瞳子にとって、編みあがったマフラーの出来は納得できても満足は出来なかったのだった。

 ───────── * ─────────

 「で、これは?」

 放課後の薔薇の館。
 ホームルームが短時間で終了した1年椿組の乃梨子さんと瞳子が、テーブルの前に座っていた。
 可南子さんは流しで自分のお茶を入れている。
 目の前で怪訝そうな表情を浮かべて、乃梨子さんが問い質す。

 「マフラーです」

 さも当然、といった顔で瞳子は答える。

 「いや、そんなのは見ればわかるんだけど……」

 目を閉じ、眉間に幾ばくかの皺を浮かべながら右手の人差し指を額の中心に押し付けながら、乃梨子
 さんが唸るように声を絞り出す。

 「ですから、このマフラーの出来を見て貰おうとわざわざ持ってきたんです」
 「あ、そう……」

 呆れたような口調で返しながらも、乃梨子さんはマフラーを手に取って見つめる。
 先日、今日とは逆に乃梨子さんが出来上がったマフラーを瞳子の前にお披露目された。その出来はと
 ても初めてとは思えないほど網目が揃っていて綺麗だった。けれど、それは機械編みでは決して表す
 事の出来ない手編みの暖かさを損なうものでは無かった。
 努力する天才は、勉学だけでなく編物まで信じられないほどの短期間で「モノ」にしていた。

 「いいんじゃない?網目もあんまり狂ってないし、フリンジも問題ないと思うよ」

 頷きながら、乃梨子さんは手にしたマフラーを綺麗に畳み折り、瞳子の前にそっと差し出す。
 あのマフラーを編み上げた乃梨子さんに「良い」と言われ、瞳子はやっと安心した。いくら出来栄え
 が良くとも、自分の目で見るだけではとても安心できなかったから。こうして第三者の目で確認して
 貰う事が出来てプレゼントをしても恥ずかしくない物だとようやく安心できた。

 「ただ、最後の糸処理、マフラー本体の方ね。糸が少しだけ出てるのは切るか何かした方が良いと思
  うよ。どこかに引っかかりでもしたらそこから解けちゃうから」
 「え、まさか……」

 返されたマフラーを改めて見直す。
 フリンジの房に隠れて目立たなかったけれど、確かに編み終わりの糸が少しだけ出ていた。

 「本当だわ……」

 今日、帰宅したらさっそく処理しなくてわ。そう思った矢先だった。

 「あら、瞳子さん。このような物を学校に持ち込むのはあまり感心しないわね」

 頭の上から嫌味を含んだ声が響いてきた。
 全くの被害妄想なのかも知れないけれど、瞳子に話し掛けてくるときはいつも見下したような響きを
 させているような気がする。

 「可南子さんには関係無い事よ」
 「せっかく忠告してあげているのに」
 「ご忠告、どうも」

 目を合わせる事無く、瞳子と可南子さんの冷たい言葉の応酬が続く。向かいで乃梨子さんの「はぁ」
 という溜息は、この際気にしない事にした。

 「結構、上手ね」
 「あ!」

 許しも与えていないのに、可南子さんが瞳子のマフラーを手に取る。

 「返しなさい、見ても良いなんて言って無いわよ」
 「あら、少しくらい構わないでしょう。背が小さいと心まで小さくなってしまうのかしら」

 この女は、言わせておけば……。

 「背が大きくても、その胸の大きさでは魅力に欠けるんじゃなくて?」
 「な……」

 ブラのカップは瞳子のほうが1ランク上だった。
 可南子さんはA、瞳子はCなのだ。何かと嫌味に背の高さを絡めてくる可南子さんへのささやかな嫌
 味のお返し。
 睨み付けるような視線を澄ましながらかわして、彼女の手にある瞳子のマフラーを奪還する。
 その時……。

 「あぁ!」
 「そんな……」

 乃梨子さんの小さな悲鳴と、可南子さんの驚愕の声がゆっくりと会議室の中を駆け抜ける。
 引っ張ったマフラーがシューッと端から解けた。
 瞳子は何が起こったのか理解できなかった。いや、したくなかった。
 先程、乃梨子さんに指摘された始末の悪かった糸が可南子さんの腕時計の止め具に引っかかり、瞳子
 が引っ張った勢いで端から解けたのだ。
 スローモーションのように末端に編みこんだフリンジの部分が床に落ちて行く。

 解けたのは長さにして約10cm。
 ここから編みなおす事は不可能では無い。けれど、どうしても目がいびつになってしまう。
 折角、満足の行く出来に編みあがったマフラー。新たに編みなおす時間も有るけれど……。
 祐巳さまへの想いを込めたマフラーの無残な姿を目にして、自然と目頭に熱い物がこみ上げてくる。

 「と、瞳子……」

 心配そうに乃梨子さんが瞳子を覗き込んで来る。

 「……」
 「ちょっと!可南子さん!」

 くるりと瞳子達に背を向け、自分の座っていた席に向う可南子さんを乃梨子さんが咎めた。

 「いい……ですわ。また……編めば良いんですもの」
 「そんな問題じゃないでしょ!?」

 微笑んで答えたつもりだったけれど、それは全くの失敗に終わった。理性とは異なる所で感情は自ら
 を表現していたから。
 小さな小さな嗚咽と共に、瞳子の瞳からは涙の滴が流れ落ちていく。

 「わざとじゃ……無いわよ……」
 「可南子さん!」


 席に戻ったと思っていた可南子さんが再び瞳子たちの前に立っていた。
 乃梨子さんの非難めいた声で、瞳子はそこに可南子さんが戻ってきている事に気がついた。

 「でも……」

 そう言って、彼女は手にした紙袋からマフラーを取り出した。
 鮮やかなオレンジ一色で、端にはボンボンが付いている。

 「え……」

 そして、彼女は信じられない事を始めた。
 勢いよくそれを解き始めたのだ。自らの手で……。

 「何故……」

 ふっ。と小さく笑いながら可南子さんは答えを口にする。

 「フェアじゃない勝負は嫌いなのよ」

 瞳子の中で何かが弾けた。

 「ふ、ふふふふふ」
 「と、瞳子?」

 まだ涙は止まらなかったけれど、口元からは自然と笑みがこぼれ出した。
 よく見ると、可南子さんも恥ずかしげにしながらもその顔には笑みを浮かべていた。

 「折角、ハンディを差し上げたのに」
 「謹んでお返しするわ」

 最後には二人して大きく声を上げて笑い出した。

 「ちょ、ちょっと……」

 乃梨子さんは信じられないと言った顔で交互に二人を見やっていた。
 絶対に負けたくない。
 勝った負けたなんてものは無いのかも知れないけれど、そう思えた。
 祐巳さまの心を掴むのがどちらかは解らない、最後まで勝負は解らないけれど。

 「負けないから」
 「負けないわよ」

 小さくて、可愛らしい勝負だけど。
 瞳子も、可南子さんも賭けている物は決して譲れない想いだったから……

 「あ、もう来てたんだ。ごめんね遅くなっちゃって」
 「ごきげんよう。何か面白い事でも有ったの?」

 瞳子と可南子さんの二人が向かい合って笑っていた所で、祐巳さまと由乃さまがいらっしゃった。
 普段、決して仲が良いとは言えない二人が笑っているのを見て、由乃さまが怪訝そうに聞いていらっ
 しゃった。

 「実は……」
 「乃梨子さん!」
 「乃梨子さんっ!」

 二人の声に乃梨子さんは「はっ」として口を両手で押さえた。

 「なんなのよ」
 「瞳子ちゃんと可南子ちゃんが仲良くしてるのは嬉しい。うん」

 そう言って、祐巳さまは瞳子に抱きついてこられた。

 「ゆ、祐巳さま!」
 「ご褒美」

 何度抱き付かれても、慣れる事は無かった。いつも顔が熱くなって、心臓がどきどきする。
 それなのに、心の奥から安心感と心地よさが湧き上がってくるから良くわからない。

 「あ……」

 ほんの短い時間、その微妙な感情に浸っていると、急に束縛から解放された。

 「可南子ちゃんにも」
 「きゃ……」

 普段からは想像できない可愛らしい声を上げて、可南子さんが後ろから抱き付いている祐巳さまに
 顔を向ける。
 その顔は瞳子以上に紅く染まり、焦りと驚きがありありと浮かんでいる。どうやら可南子さんは祐
 巳さまの抱きつき癖を知らなかった様だった。

 「うん、二人も可愛い可愛い」
 「祐巳さんの抱き付き癖はお姉さま譲りね」

 何時の間にかいらしていた志摩子さまが苦笑混じりに仰った。

 「乃梨子もして欲しい?」

 その声に乃梨子さんを見ると、大きく顔を左右に振っていた。
 満足げに笑みを浮かべている祐巳さま。
 そして、瞳子と視線を交わした可南子さんは挑戦とも受け取れる、意思を込めた視線を向けている。
 その顔を見て、瞳子も改めて決意を固めた。
 どちらが祐巳さまの妹になっても、このマフラーだけは絶対に可南子さんには負けない。─と。

 − fi n −


ごきげんよう、黄山まつりです。
終わりました。なんだか読み返せば読み返すほど、「これで良いのだろうか?」といじりまくって
しまうので、これで終わらせました。
何時までも眺めていると全然終わりそうになかったので……。
祐巳・瞳子のはずが、瞳子vs可南子風になってしまった辺りに不甲斐なさを感じますがご容赦くだ
さい。それではまた、近いうちに。


Back | NovelTop |