Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Pretty Pretty』- 前編 -


  校舎から薔薇の館へと続く中庭を、瞳子は溜息を吐きながら歩いていた。
 体育祭の後、押しかけて手伝いを申し込んだ時はこんな憂鬱な気分になるとは夢にも思わなかった。
 演劇部との掛け持ちが辛いわけでは無い。
 その件に関しては全く問題は無かった。確かに、日を追うに連れて仕事や練習の量が増えていっては
 いるけれど、疲れが溜まったりするような事は今のところはなかった。
 問題は別のところにあるのだから。

 「はぁ……」

 この短い道程の間、何度目か知れない溜息を吐いて瞳子は薔薇の館の扉に手を掛けた。
 億劫そうに薔薇の館の二階を見上げる。
 また、辛い一日が始まる。
 自ら飛び込んだとはいえ、そこは悲劇とも喜劇とも言えない居たたまれない場所になりつつあった。
 瞳子にとっては……

 「ごきげんよう、皆様」

 二階へと続く階段を昇っている間に心を切り替えたおかげで、瞳子は普段どおりの挨拶を言う事が出
 来た。

 「ごきげんよう、瞳子」
 「ごきげんよう、瞳子ちゃん」

 真っ先に二人分の返事が返ってくる。               ロサ・ギガンティア・アン・ブトゥン
 一人はクラスメイトで、親友と呼んでも差し支えの無くなりつつある白薔薇さまのつぼみ。二条乃梨
 子さん。      ロサ・キネンシス・アン・ブトゥン
 そしてもう一人。紅薔薇さまのつぼみ、福沢祐巳さま。
 そのお声が耳に入ってくるだけで、先ほどまでの憂鬱な気分は吹き飛んでいくようだった。

 「ごきげんよう、瞳子さん」

 先ほどの福音のようなお声の余韻を打ち払うかのように、禍々しい響きと、刺すような冷気を伴った声
 が耳に入ってくる。

 「ごきげんよう、可南子さん」

 これでもかという位に「あなたが嫌い」という想いを込めて睨み返す。
 はしたないとは思いつつも、あれだけ好き放題して置きながら平然と祐巳さまの隣に居座るこの背の高
 い女は好きになれない。
 瞳子の背が低いので、普段から見下ろされるような視線も気に入らない原因の一つだったけれど。

 「瞳子ちゃんは何がいい?」
 「あ、祐巳さま。お茶なら私が」

 祐巳さまが瞳子にお茶を煎れて下さろうと流しに向いかけた所を、細川可南子が遮る。

 「いえ、祐巳さまはどうぞ座っていてください。自分で煎れますから」

 もとより祐巳さまのお手を煩わせるつもりなど無かったので、瞳子は自分から二人を制する。
 なにより、細川可南子の煎れたお茶など何が混入されているかわかった物ではない。

 「いいの。今日は瞳子ちゃんにお茶を入れてあげたい気分なの」

 ああ、祐巳さま……。
 祐巳さまにそう言われて断れるはずが無い。

 さすがに細川可南子も、祐巳さまにそうまで言われて引き下がらない訳にも行かないようで、渋々なが
 ら先ほど座っていた椅子に座りなおした。
 瞳子も空いている席に腰を降ろす。
 何時もの通り、祐巳さまの隣の席。もちろん、可南子さんとは逆サイドだ。

 「あ、二人とも。今日は舞台の練習はないから」

 流しでお茶の用意をしている祐巳さまが顔だけこちらに向けて仰る。

 「解りました」
 「はい」

 細川可南子と瞳子の声が重なる。
 ちらっと横目で彼女を窺うと、同じようにこちらを窺っていたようで目が合った瞬間に視線を外した。

 「はい、瞳子ちゃん」
 「有難うございます。祐巳さま」

 祐巳さまが「どうぞ」と白磁のティーカップを瞳子の前に置いて下さる。
 最近は瞳子が入れることが多くなってしまったお茶。
 瞳子は祐巳さまが入れてくださるお茶がとても好きだった。特に紅茶は。
 教えて差し上げた事も無いのに、瞳子の好みの甘めなのだけれど甘さが口に残らない微妙な甘さ。

 「最近忙しかったからのんびりお茶をするのも久しぶりだね」
 「そうですね」

 祐巳さまと乃梨子さんがにこやかに話されていた。

 「そういえば、薔薇さま方はまだお見えでは無いようですが?」
 「あ、お姉さま達は実行委員会で会議なの。予算の最終割り当てを決定するから」

 と言う事は、後は黄薔薇のつぼみである島津由乃さまがいらっしゃったら今日集まるメンバーは全員
 と言うことになる。けれど、由乃さまはまだお見えにならない。

 「由乃さんがまだだけど、仕事始めちゃおっか」
 「そうですね」

 祐巳さまと乃梨子さんが目を合わせて頷く。
 未だに正式な薔薇の館の住人ではない瞳子と可南子さんには今日の仕事の内容さえ解らない。
 祐巳さまはもちろんの事として、同級生である乃梨子さんまでもそれを理解していると言うのに。

 「ごきげんよう。皆さん」

 ブリーフケースに入っていた書類を全員に配り終わった所で、由乃さまが部屋に入っていらっしゃった。
 手には普段の通学鞄の他に、大きなカンバス地のトートバックを下げていらっしゃった。

 「その荷物は何?由乃さん」
 「ああ、これ?マフラー」
 「マフラー?もしかして手編み?」  「うん」

 由乃さまが照れくさそうにしてトレードマークの三つ編みした髪の毛を手で弄ぶ。
 そんな黄薔薇のつぼみを、意外そうなお顔で祐巳さまが見つめている。
 祐巳さまの隣では乃梨子さんも同じように由乃さまを見つめていた。
 3人にはどういった理由があるのか納得済みといった感じで微笑みあっている。

 「あの、マフラーがそんなに珍しいのですか」

 口にしてから「しまった」と思った。
 祐巳さまや乃梨子さんが理由を知ったうえでされている会話に、自分だけが除け者のような気がして
 面白くなかったから聞いても良い事なのかどうか確認もせずに聞いてしまった。
 本当は何か秘密にしなければならないような事があるのかも知れない、というような気遣いをする事
 も出来なかった。

 「ああ、瞳子ちゃんは知らなかったんだ」
 「去年のリリアン瓦版でも間違っていたしね」

 リリアン瓦版?

 「令さまって編物とかお菓子作りが得意なの」
 「え?」
 「得意と言うよりは職人よ、あれは」

 呆れた様に由乃さまが呟く。
 ミスター・リリアンの特技が編物とお菓子……。
 それは由乃さまのほうではなかったのかしら。確か去年、中等部で手に入れた「リリアン瓦版」には
 そのような事が……

 「あ!」

 先程の話はこう言う事だったのか。
 由乃さまが簡単に説明してくださって、事態が飲み込めた。
 去年、高等部で発行された「リリアン瓦版」には致命的なミスが有った。それで、山百合会幹部でも
 黄薔薇さまと長い付き合いが有るでもない瞳子は、その情報しか得ていなかったから。

 「どうにかして見たんでしょう、去年のリリアン瓦版に乗った私達の情報を。瞳子さん」
 「はい……」
 「意外かも知れないけれど、あれは令ちゃ、お姉さまと私の情報が入れ替わっていたのよ」
 「なるほど、そうでしたの」

 由乃さまの解説に答えたのは瞳子ではなかった。
 いままで沈黙していたせいで、その存在を忘れかけていた細川可南子だった。
 まるで最初から会話に加わっていたような涼しげな顔をして祐巳さまに笑みを向けている。
 まったく、どこまで行っても憎たらしい事この上ない。
 瞳子が危険だったかもしれない橋を渡って聞いた事を、さも自分で聞いたような態度で締めくくりだ
 けをさらっていってしまった。

 「つまり、そんなお姉さま相手に果敢にも手編みのマフラーをプレゼントしようとしているのよ。由
  乃さんは。祐巳さん見ていたら今年は私も手作りにしようって思っちゃったから」
 「え〜〜!由乃さん。なんで知ってるの!?」
 「ふっふっふ」
 「あぁ。お姉さまに渡すまでは内緒だよ」
 「わかっているわよ。私のことも内緒よ、みんな」

 そう言って、由乃さまはくるりと部屋に居る1年生3人に口止めをされる。
 勿論、そんなことを吹いて廻るようなはしたない真似をする筈もないのだけれど。

 「ところで、プレゼントと言う事は何かそういうイベントでも有るんですか?」

 乃梨子さんが由乃さまに尤もな質問をする。
 いまはまだ学園祭もそれなりに先の10月半ば。クリスマスには早すぎるし、祥子さまや支倉令さま
 のお誕生日も時期が違う。

 「何言ってるの、乃梨子ちゃん。クリスマスプレゼントに決まっているじゃない」
 「は、早すぎませんか……」
 「あのね、初めて編み棒なんて使うのよ?失敗しても充分間に合わせる事が出来るようなゆとりでも
  なかったらこんな無謀な真似出来ないわよ。ねえ、祐巳さん」
 「うん」

 由乃さまの力説に、祐巳さまも「尤もだ」といった風に力強く頷く。
 クリスマスプレゼント……。
 去年は祥子さまに思いを込めて差し上げた。
 今年は……。

 

 − To be Next−


ごきげんよう、黄山です。
結局、前後編に……
己の未熟と根性の無さにあきれ返ってしまいますわ。お姉さま(オ
蓉子さまと聖さまの話も途中で(落ちに詰まって…)放置しているというのに…。
という訳で、久しぶりの瞳子・祐巳です。
おもわず可南子も絡めてしまってどう収拾着けるんでしょうね。自分……TT
後編はちょっと掛かるかも知れません。
気長にお待ちくだされば幸いです。
では、近いうちに……


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