Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『松平瞳子の受難』



 ある日の午後、祐巳さまが執拗に瞳子のことを追いかけてくるので、瞳子は仕方なしにお聖堂の
横手にある木の陰に逃げ込んでいた。学園祭までそう日にちが有る訳でもなく、演劇部と掛け持ち
で、山百合会の劇や仕事を手伝っている身とあっては、いつまでも遊んでいるわけにも行かないの
だけれど。

 「それで。なぜ私までここに居なくてはならないのかしら。瞳子さん」
 「誰も一緒に逃げてくれなんて頼んでませんわよ」

 そう。なぜだか判らないけど、細川可南子が瞳子の直ぐ隣に居る。成り行きで、こういう事態に
なってしまったとはいえ、なんとも複雑な心境だった。
 はっきり言って、彼女は苦手である。体育祭以降、祐巳さまを間に挟んで、一緒に山百合会の手
伝いをしていたためか、以前よりは幾分マシになったとはいえ、苦手なことに変わりは無い。
 大体、可南子さんが変な雑誌を祐巳さまに見られたのがこの事態の発端ではなかっただろうか。
 薔薇の館の二階で、一年生三人組。瞳子と可南子さん、それに乃梨子さんが早めに到着したので、
サロンの掃除をしていた時だった。

  ───────────────── * ──────────────────

 「ごきげんよう」
 「ごきげんよう。祐巳さま」
 「掃除してくれてたんだ、ありがとう」

 祐巳さまがいつものように微笑みながら、部屋の中を掃除している瞳子たち一年生に声を掛けて
こられた。
 その時、瞳子はシンクの周りを、乃梨子さんは床を、可南子さんはテーブルの掃除をしていた。

 「あ、これなんの本?」

 掃除の邪魔にならないように、少し引いてあった椅子の上に置かれていた雑誌に気付かれた祐巳
さまが、手近に居た乃梨子さんに聞かれる。
 その本は、水晶を覗き込む女性が可愛らしいイラストで描かれた、B5判の大きさの少し薄い本
だった。

 「それは可南子さんの…・・・」

 乃梨子さんが持ち主を告げると、祐巳さまは勢いよく可南子さんの方に振り返り、その側に駆け
寄った。

 「ねぇ、可南子ちゃん、この本見てもいい?」
 「え、はい。構いませんが……」
 「わ、ありがとう」

 可南子さんが承諾の言葉を発しきる前に、祐巳さまはお礼の言葉を口にしながら、すごい手早さ
で本を読み始めた。そのあまりの勢いに、当の可南子さんのみならず、瞳子や乃梨子さんも呆気に
とられた様子で、部屋の掃除も忘れて祐巳さまを見ていた。

 「何の本なの?可南子さん」
 「占いの本……」

 囁くような乃梨子さんと、可南子さんの声は、一人離れて流しに居た瞳子にも辛うじて聞き取る
ことができた。

 「占い……」

 自分の耳ですら聞き取れるかどうかの呟きが、瞳子の口から零れた。
 しばらくして、瞳子たち一年生がサロンの掃除を終えてからも、祐巳さまは熱心に先ほどの占い
の本を読み続けていて、掃除が終わったことにもお気付きになっていない様子だった。瞳子と可南
子さんは、祐巳さまがお座りになっている場所とテーブルを挟んで反対側の椅子に腰を下ろした。
もちろん、お互いが最も遠くなるよう両端の椅子に。

 「なんだかなぁ……」

 乃梨子さんの呆れたような呟きに気付かない振りをする。

 「瞳子、お茶の用意手伝って」
 「わかりました」

 折角椅子に腰を下ろして一息ついたのも束の間、流しに向かいながら乃梨子さんが瞳子に声を掛
てくる。瞳子はすっと立ち上がって、きびきびと流しに向かう。途中、可南子さんを横目で見ると、
祐巳さまの方に視線を向けながら、どうにも普段からは想像できない柔らかい笑みを浮かべていた。

 (祐巳さまの前以外ではあんな笑顔みせないのに……)

 薔薇の館の外では、祐巳さまの前以外ではいつも無表情な可南子さん。でも、ここに居る間は少々
煩わしいことがあっても、やさしい顔をする可南子さんを見て、瞳子は複雑な想いを自覚する。
 可南子さんの気持ちは嫌というほど理解できる。彼女と同じように、祐巳さまを見続けているから。
 同じように祐巳さまを想っているから……。

 「瞳子、手伝ってよ」
 「あ、ごめんさい」

 可南子さんに気を取られているうちに立ち止まってしまっていた瞳子は、流しから届いた乃梨子の声
に、慌てて歩き出した。

 「まさか紅茶がティーパックまで全滅してるとは思わなかったなぁ」
 「明日にでも買ってこなくてはいけませんわね」
 「そうだね」

 普段はあまり使わない急須でお茶を蒸らせている間、瞳子は乃梨子さんと空になっていた紅茶の葉
の缶と、ティーパックの入っていたケースを見比べて苦笑していた。

 「そろそろ頃合ね」

 そう言って、乃梨子さんが湯飲みにお茶を注ぎ始める。
 緑茶の上品な香りが心地よく流しに立ち上っていく。瞳子が出入りを始めてからというもの、特にリク
エストが無い限り、紅茶ばかりだったせいか、薔薇の館で嗅ぐ緑茶の香りはとても新鮮に思えた。
 自宅では両親の趣向からか、緑茶を頂くことが多いというのに。

 「瞳子、お茶を持って行ってくれる?」
 「わかりました」
 「私は急須を洗うから」

 言うが早いか、乃梨子さんは急須に残った茶殻を捨て始めた。

 「あら、もう1回はお茶がだせるのに」
 「お姉さまたちがいつ来るか判らないから。置いておくと渋くなっちゃうでしょ」
 「なるほど……」

 乃梨子さんは志摩子さまには二度出ししたものでは無いお茶を飲んでいただきたいのだろう。少し勿体
無い気がしたけれど、瞳子はあえてその事には触れず、湯飲みを載せたお盆を持ってテーブルに向かっ
た。

 「祐巳さま、どうぞ」
 「あ、有難う。瞳子ちゃん」
 「どういたしまして」

 読んでいた雑誌を横手に置かれて、祐巳さまがまぶしいほどの笑顔で礼を言われる。
 祐巳さま自身は普段どおり、無意識に浮かべられた笑顔なのに、瞳子の心はそれだけでこそばゆい感
覚に包まれる。
 この笑顔が、この無邪気なお心が瞳子を捕らえて離さない祐巳さまの魅力……。
 恐らく、可南子さんや他の祐巳さま信者の生徒もその魅力に捕らわれたのだろう。もちろん、祥子お姉さ
まも……。

 「有難う、瞳子さん」

 渋々ではあったけれど、可南子さんの前にも湯飲みを置く。
 礼を述べる可南子さんではあったけれど、その瞳に感謝の色が浮かべられている様子は無かった。

 「どういたしまして」

 瞳子は瞳子で抑揚の無い返事を返す。
 やはり、全く相容れない天敵とも呼べる普段の関係だけに、いくら祐巳さまを挟んで少しばかり解れたと
はいえ、なかなか仲良くなんて出来ないものなのだと改めて思う。
 ましてや、目の前にはその張本人でもある祐巳さまがいらっしゃるのだし。

 「うーん、”お・が・さ・わ・ら・さ・ち・こ”。天国、地獄、大地獄、天国、地獄、大地獄……」

 瞳子と可南子さんが妙な緊張をやりとりしていると、突然に祐巳さまが祥子お姉さまのお名前を口にして
何事かを呟きだした。

 「わ、お姉さまは今週『天国』なんだ。いいなぁ」
 「祐巳さま?なんなんですか」

 乃梨子さんが祐巳さまに問いかける。

 「え?ああ、この本の占い。なんだかとっても人気あるみたいなの。このM・フクーダって占い師の人。だか
らちょっと占ってみたんだけど、わたしは『地獄』だったのよ。お姉さまは『天国』だったんだけど」
 「地獄だと何かあるんですか?」

 可南子さんもその話題に加わった。

 「えっとね、地獄は『大切にしている物をなくす可能性大、大事なものは失くさないようにジュエルボックス
等に仕舞っておくか、肌身離さず身に付けておきましょう』だって」
 「では、天国は?」

 なんとなく興味を引かれたので、瞳子も参加してしまった。

 「うん、天国は『最愛の人の寵愛を受けられるでしょう。嫌なことも吹き飛ぶような出来ことが貴方に訪れる
でしょう。告白するのにも大変良い時期です。』ですって」

 祥子お姉さまの占い結果が良いものであったせいだろう、祐巳さまは自分の結果にも関わらず、嬉しそう
に雑誌の占い結果を読み上げられた。相変わらずご自分のことより、人の事でこれだけ喜べる祐巳さまを、
瞳子は「おめでたい」と思う。けれど、そんな祐巳さまの嬉しそうなお顔を見ると、不思議と瞳子自身も嬉し
くなってきてしまうから祐巳さまは不思議な人だと思う。

 「ちなみに『大地獄』は一体どんな内容なんですか」
 「大地獄……『そりの合わない人と一緒に行動することになるでしょう。嫌なこと、気に障ることが沢山降り
かかってきます。しかも、大好きな人から逃げなくてはならない事態に陥りそうです。場合によっては恋敵
に好きな人を獲られるような事にもなりかねません。気をつけましょう』だって……」

 占いの内容に、瞳子は可南子さんの方に視線を向けた。
 可南子さんも瞳子に視線を走らせていたため、ばっちりと目が合ってしまう。
 慌てて二人とも視線をそらす。

 (そりの合わない相手……)

 まるで瞳子と可南子さんを指しているようで、これ以上この占いに付き合うのを止めようと、瞳子が思った
瞬間、祐巳さまが瞳子と可南子さんの名前を口にした。

 「瞳子ちゃんと可南子ちゃんも占ってあげるね」

 その声に慌てて顔を向けると、そこにはやる気満々で、なにやら指折り数えている祐巳さまが居た。

 

  − To Be Continue−



久しぶりの祐・瞳です。
ですが……すいません。前後編になってしまいました。
後編はなるべく早いうちに出します。
コメントは後編で書きたいと思います。
スタイルシートの導入を始めました。まだ全部ではありませんが、何か不具合があればご連絡ください。


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