Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『ハッシュ・ハッシュ』


 「ねえ、瞳子。なにか私に隠してる?」
 「お姉さまに隠し事、ですか」

 瞳子ちゃんの袖をクイクイ引っ張って聞く。
 彼女はトレードマークの縦ロールを可愛く揺らして振り向いて言った。
 ああ、可愛い。妹馬鹿と共に姉馬鹿にもなりつつある自分を祐巳は実感しつつ想う。

 「うん」
 「そんなことする筈がありませんわ」
 「本当?」

 瞳子ちゃんは本当に「何の事?」という顔で祐巳を見つめ返してくる。
 本当に何も無いのかな、と思うけれど相手は自称女優。油断はできない。

 「どうして瞳子がお姉さまに隠し事をする必要があるんですの」
 「それは……」

 それが解ったら苦労しないのに。
 解らないから意を決して聞いてるのだから。

 「祐巳、手が止まっていてよ」
 「あ、はい」

 愛しい祥子さまが、仕事の手を止めて瞳子ちゃんを問い詰めていた祐巳に注意をされた。
 祥子さまに注意されちゃった。どうも最近マゾっ気が増大気味な祐巳は注意されたことに
 も幸せを感じてしまう。けれど、そんな祥子さまもどうもすっきりしない所がある。
 瞳子ちゃんと同じように。

 「あの、お姉さま?」
 「なにかしら、祐巳」
 「お姉さまも何か私に隠していらっしゃいませんか?」
 「まあ、祐巳は私があなたに隠し事をすると思っているの」

 祥子さまは目を大きく開いて祐巳を見据える。
 きゃうん、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 「あ、いえ、その、なんとなく……」
 「理由も無く人を疑うような、はしたない事はおよしなさい」
 「はい……」

 祥子さまはこれ以上は許さないというお顔で祐巳に告げた。
 そして再び視線を書類に戻された。
 いつの間にか瞳子ちゃんも流しの方に行って、乃梨子ちゃんとなにやら楽しそうにお話をし
 ている。

 「何してるのよ」
 「うーん」

 由乃さんが不思議そうに聞いてくる。
 祐巳にもよく解らない。なんだか瞳子ちゃんと祥子さまがコソコソしているのは確かなの
 だけれど、それが一体なんなのか全然解らない。

 「ちょっと、ね」
 「はっきりしないなぁ」
 「それは、そうなんだけど」

 これでも祐巳にしたら随分な進歩だと思うけどなぁ。
 瞳子ちゃんはともかく、祥子さまにこんな事聞けるなんて、少し前までだったら考えられな
 い事だったから。
 いろいろ錯綜したから、はっきり聞いたり言ったりしないといけないって解ったらから。

 「お姉さま、こちらの書類なんですけど」
 「あ、うん。ごめんごめん」

 由乃さんは『妹』から声を掛けられて席に戻っていった。
 つい最近出来た由乃さんの妹。
 可愛くて、大人しそうで、なんとなく儚げな雰囲気の少女。
 まるで手術前の由乃さんのイメージそのままって感じ。けれど意外だったなぁ、由乃さん
 があんな雰囲気の子を妹にするなんて。

 「そうそう、それで合ってる」
 「わかりました」

 まさに電撃的に結ばれた感じだった。由乃さん曰く、突然辻斬りにでもあったような出会
 いだったんだそうで、「辻斬り」っていう表現で説明してくる所がまったくもって由乃さ
 んらしい。
 先週、なんの前触れも無く由乃さんが連れてきて薔薇の館デビュー。
 その時の令さまの狼狽ぶりといったら大変なものだった。そのまま由乃さんに泣きすがり
 そうな勢いだったから。令さまと由乃さんの実態を知っている祐巳たちでも驚いたのだか
 ら、初めて見る彼女は本当にびっくりしていた。

 「それでは、お先に失礼するわ」
 「皆様、ごきげんよう」

 祥子さまと瞳子ちゃんが連れ立って帰る。あーん待ってください。
 最後の書類をクリップ留めして慌てて鞄に手を伸ばす。

 「ちょっと祐巳さん」

 袖をはっしと掴まれる。な、なに?
 振り返ると由乃さんだった。

 「え、え、何、由乃さん」

 由乃さんはニコニコとしたまま口を開かない。
 なに?一体なんなの。早くしないとお姉さまたちが帰ってしまうのに。

 「あ、あの、由乃さん?」
 「まさか忘れてないでしょうね」
 「え?」

 なにかあったかしら。うーんって考えてみるけど、早く祥子さまたちを追いかけないと、
 と想う気持ちばかりが焦ってよく脳みそが回転しない。

 「それじゃ由乃、あとお願いね」
 「うん」

 え、令さまも帰ってしまうんですか?
 由乃さんを残して??

 「じゃあ、お姉さま、また明日」
 「ええ、乃梨子も気をつけてね」

 乃梨子ちゃんまで。志摩子さんも残るという事は2年生3人が残るということで。
 お、思い出せない。

 「祐巳さん、どうかしたのかしら」
 「忘れているみたい」
 「まあ」

 そう言って志摩子さんは微笑して、由乃さんは口を尖らせている。

 「期末試験の範囲を確認する勉強会をする約束だったじゃない」
 「あ!」
 「あ、じゃないわよ」

 約束と共に嫌なことも思い出してしまった。
 期末試験。
 容姿から学業にいたるまで全てにおいて平均的な女子高校生である祐巳にはその言葉が呪い
 の言葉のようにも聞こえてくる。
 志摩子さんは常に学年で上位、由乃さんもトップクラスと言って差し支えない成績。
 由乃さんの妹も学年上位、乃梨子ちゃんなんかは入試でトップを飾った才女だし、瞳子ちゃ
 んも実はかなり成績は優秀。
 「はぁ」と溜息も出るものでしょう。この成績を誇る山百合会幹部の中で祐巳だけが中の上
 が精一杯なのだから。

 「さっさと図書館に行きましょう」
 「うん……」

 由乃さんが祐巳の手を引いて図書館へ足を向ける。志摩子さんは微笑みながら二人の後ろに
 着いてきていた。
 志摩子さんは、祐巳たちの先生役。

 まだ試験が差し迫った訳ではないので、図書館の閲覧机は結構空きが多かった。
 祐巳と由乃さんは、志摩子さんを間に挟んで席についた。

 「世界史は教科書の124ページから、帝国主義と植民地支配に関するあたりだね」
 「あの先生の事だから、きっとイギリス中心に出題されるだろうって令ちゃんが」

 席についてさっそく、祐巳と由乃さんは試験の第一日目の世界史の話題に入った。
 令さまの情報によるであろう、予想を由乃さんが説明してくれる。
 けれど、祐巳の意識は教科書を見ていても、祥子さまと瞳子ちゃんのことに移りがちで余
 り集中できなかった。
 折角、志摩子さんまで巻き込んで始めたお勉強だったのに。

 「祐巳さん、なにか心配事でもあるの?」
 「え?」
 「心、ここにあらずって感じがするわ」

 志摩子さんが心配そうに祐巳を見つめている。
 改めて志摩子さんを見るとやっぱり、綺麗って思っちゃう。本当にアンティークドールみ
 たいに綺麗だから。

 「ああ、姉馬鹿と妹馬鹿が同時に発病しているから。祐巳さんは」
 「あ、それって酷いよ。由乃さん」
 「だってそうじゃない、祥子さまと瞳子ちゃんがちょっと内緒にしてる事があるからって」
 「え?」
 「あ……」

 由乃さんが「しまった」って呟いて顔を背けた。何?もしかして由乃さんは何か知ってい
 る訳なの?

 「由乃さん、お姉さまたちが何をしているのか知っているの!?」
 「ゆ、祐巳さん、図書館では静かにしないと……」

 由乃さんの肩をがしっと掴んで大きな声で問い詰める祐巳に、志摩子さんが慌てて注意を
 してくれた。いけないいけない、紅薔薇さまのつぼみがこんな事をしては、またお姉さま
 に恥をかかせてしまう。

 「由乃はなんにも知りません、聞かれても答えません」

 由乃さんが小さく宣言する。
 それって、知っているって暴露しているのと同じだと思うけど。と突っ込みたかったけど
 そう宣言した由乃さんをこれ以上問い詰めるのは諦めた。
 これ以上追求してしまうと、とっても怖い由乃さんにご対面しそうだったから。
 それだけは御免被りたい。以前それで酷い目にあったから……。

 「あら、そんなことだったの」
 「そんな事、じゃないわよぉ。志摩子さん」

 志摩子さんはクスクスと微笑んで祐巳に言う。志摩子さんまで知っているの!?

 「志摩子さん……」
 「わたしも由乃さんと同じです」
 「……」

 怖い。
 ニコニコと笑顔で言い切る志摩子さんはとっても怖かった。
 結局、その日はそれ以上何も得る事もなく、世界史の勉強だけで解散となってしまった。
 この様子だと、祥子さまと瞳子ちゃんのしている事を知らないのは祐巳だけって雰囲気だっ
 たけど、由乃さんも志摩子さんも何も教えてくれそうに無かったし、二人の妹も同様な気が
 した。

 −わーん。何をしているんですか、祥子さま、瞳子ちゃん。


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