Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Fall in You』 - 後編 -


− 離れがたし 君 −

 「由乃さん、行こう」

 放課後、掃除を終えて教室に戻ると祐巳さんが待っていた。
 鞄を手に完全に下校モードで居る彼女を見て自然と笑みがこぼれる。

 「令さまもきっと来ると思うんだ。だから」
 「わかったわよ、行くって」
 「良かった」

 嬉しさが顔中から溢れ出ている。
 まるで飼い主を待つ子犬みたいに思える時がある。こんな事言ったら祐巳さんは怒るだろうけど。

 「じゃ、行こ!」
 「あ、ちょっと」

 由乃の手を取って祐巳さんが教室を出る。
 令ちゃんとの事を想うと今でも胸が締め付けられるようなのに、祐巳さんとこうしていると不思議と
 気持ちが和らいでくる。
 これが祐巳さんの凄い所なんだって改めて実感する。
 そのまま、祐巳さんに連れられて薔薇の館に到着した。

 「ごきげんよう、お姉さま」
 「ごきげんよう、祐巳」

 祐巳さんがビスケットの扉を抜けて、部屋の中に入っていく。

 「ごきげんよう。祐巳ちゃん」

 ─令ちゃん!

 祐巳さんに続いて、由乃が部屋に入ろうとした瞬間に令ちゃんの声が聞こえてきた。

 「ごきげんよう、皆様」

 逸る気持ちを抑えて、あくまでもさり気なく振舞う。
 こんな痴話喧嘩、皆に知られたくないもの。同じクラスで、今日の由乃の動静を見ていた祐巳さんに
 は感づかれてしまったけれど。
 ちらっと視線を令ちゃんに向けると、由乃のほうから顔を背けていた。
 正直、ショックだった。
 昨日の夜、令ちゃんが由乃の部屋を出て行ってから、ようやく会えたのに。
 由乃の顔さえ見てくれないなんて。

 「由乃さん……」

 祐巳さんが心配そうに由乃を見ていた。

 ─負けるもんか。

 こんな事でめげては居られない。
 そう決意を新たにして、祐巳さんに「心配ないよ」という答えを込めて微笑み返す。

 「紅茶で良いですか?由乃さま」
 「有難う、自分で入れるから構わないわよ。乃梨子ちゃん」

 訊ねながら椅子から腰を浮かせていた乃梨子ちゃんを制する。
 そのまま流しに向かい、自分の分のお茶を用意した。
 今日は学園祭の予算の見積もりと、大まかな教室や施設の割り振りが主な仕事の内容だった。
 まだ各クラスやクラブの予定や出し物がはっきりしていないので、去年の予定を使ってある程度の使
 用場所を当てはめる。
 それに沿って、許可の必要な教室等を調べていく。実際に申請などをする時に、効率よくその手続き
 を行うために。

 「お姉さま。こんな細かい計算までするんですか?今の段階で」
 「ええ、予算も確定しているわけではないから、あくまで大体これくらいという見積もりだけれど」

 初めて学園祭準備に係わる祐巳さんが、祥子さまに聞いていた。
 そういえば、去年の今ごろはまだ祐巳さんの事を知らなかったんだ。

 「去年の予算を参考にして、今年の出し物の概要を決めるのよ。祐巳」
 「それによって舞台の小道具とか、衣装に使える予算を考えるんだよ」
 「なるほど」

 祥子さまと、令ちゃんが祐巳さんに説明をする。

 「黄薔薇さま、舞台と言う事はやはり今年も劇を?」
 「あ、志摩子には言ってなかったかな」
 「去年も舞台劇だったんですか?」
 「そうよ、乃梨子ちゃん」

 去年の学園祭準備に携わっていたのは、祥子さま、令ちゃん、志摩子さん。そして由乃の四人。
 祐巳さんは体育祭の後から山百合会に係わって来たから、実質「シンデレラ」の劇の練習にしか携わっ
 ていないといっても過言ではないし、乃梨子ちゃんにいたってはここに居る筈すら無かった。

 結局、さほど仕事量があった訳ではなかったけれど、作業が終わったのは太陽が随分傾いた頃だった。

 「今日はここまでにしましょう」
 「そうね」

 祥子さまと令ちゃんの一言で、本日のお仕事は終了となった。
 そろそろ校内に残る生徒も居なくなってくる時間だし、バスの本数も随分減ってくる時間だった。
 徒歩の由乃と令ちゃんはあまり関係ないけれど、他のメンバーは全員M駅までバスだったから、その
 心配もしなくてはいけない。学園祭が迫ってくると、そんな事も言っては居られないけれど。

 「それでは、お先に失礼します。ごきげんよう」
 「ごきげんよう、志摩子」

 志摩子さんと、乃梨子ちゃんが部屋を後にした。

 「行きましょうか、祐巳」
 「はい、お姉さま」

 祐巳さんと、祥子さまも鞄を手にビスケットの扉に向かう。

 「ごきげんよう、祐巳さん」
 「ごきげんよう、由乃さん」

 祐巳さんが挨拶を交わした直後、何かを思い出したように由乃に駆け寄ってきた。
 顔を耳に近づけて、小さく「頑張って」と言ってくれた。
 それだけ言って、祐巳さんはパタパタと祥子さまの傍らに戻っていった。
 部屋に残っているのは由乃と令ちゃんだけ。

 「由乃……」

 椅子に座ったまま、令ちゃんが由乃の名を呟く。
 その視線はテーブルの上で止まったまま。

 「令ちゃん、わたしは今日すぅっと令ちゃんを探していたんだよ」
 「嘘」
 「嘘じゃないわよ!」

 堪えていた想いが溢れるように、声も大きくなっていた。
 令ちゃんはまだ由乃を見てくれない。

 「お昼休みにも来なかった。放課後、ここに来る時だって祐巳ちゃんと一緒だったじゃない」
 「お昼休みは令ちゃんを探していたのよ。今だって祐巳さんが待っててくれただけ」
 「祐巳ちゃん、祐巳ちゃん、祐巳ちゃん!」
 令ちゃんがようやく由乃に顔を見せてくれた。
 けれど、その瞬間に令ちゃんから発せられた言葉は由乃を非難する言葉だった。

 「最近の由乃の口から出るのは祐巳ちゃんの事ばかり!どうしてなのよ!」
 「れい……ちゃん」
 「わたしは由乃じゃないと駄目なのよ、なのに由乃は……」

 令ちゃんの声が詰まる。
 それはきっと涙の所為。
 窓から入ってくる紅く染まった光の加減で、令ちゃんの表情は影になって読めない。
 けれど、由乃には判る。
 令ちゃんだから……

 「わたしだって、駄目だよ」

 令ちゃんの想い、由乃の想い。

 「令ちゃんだけなんだもの。由乃の側に居て欲しいのは令ちゃんだけだもの」

 すれ違ってなんかなかった。
 近すぎただけだったんだね。

 「祐巳さんじゃ、ないんだもの」

 頬を伝う涙の感触。
 けれど、それは悲しみの涙じゃない。
 互いが互いを想いすぎたために起こった小さなミステイク。

 「由乃……」
 「令ちゃん……」

 そっと二人、歩み寄る。
 由乃のほうから令ちゃんを抱きしめる。
 令ちゃんも、由乃を抱きしめてくれた。

 「島津由乃は、支倉令だけを愛しています」
 「由乃、わたしも……」

 唇を重ねる。
 差し込む夕日が二人を包み込んでいく。
 二人の影は、もともと一つであったかのように重なり合って溶けていった。

  − f i n−


ごきげんよう。
かなりスウィートに仕上がってしまいました。
黄山にはこれが限界です。(汗)
もともと、令・由の甘々を書く予定だったんで問題なしですが。
おまけも書いたんですが、なんか本編ぶちこわしな内容になったんでポイしました。
次は祐瞳か、しまのりか……。悩む。
それではまた近いうちに。


Back | NovelTop |