Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Fall in You』- 前編 -


 - 発端 それは君想うが故に -

 「ねえ、由乃にとって……わたしって、何?」

 突然、令ちゃんが呟いた。
 折角、久しぶりに令ちゃんが由乃の部屋に泊まりに来てるのに。
 折角、暫く振りに身体を重ね合わせているのに。

 「何……って?」

 由乃の下で、令ちゃんは虚ろに由乃を見る。
 その視線は由乃ではなくて、なにか違うものを見ているようで気持ちが悪かった。

 「最近、由乃の心がわからない」
 「どうして?」
 「まるで、わたしじゃない、誰かを想ってしてるみたい」
 「はぁ?」

 剣道なんかずっとしてる癖に、背はずっと高いのに。
 令ちゃんの肢体はとっても華奢に見える。腕力だって、由乃なんかは到底及ばないのに。
 なのに、今の令ちゃんはまるで、赤ん坊のように頼りなかった。

 「最近の由乃、私と居るよりも、祐巳ちゃんと居る方が楽しそう……」
 「そりゃ、友達だもん」

 令ちゃんの首筋に唇を落とす。
 二人が身体を重ねるときは、殆ど由乃からだった。令ちゃんが求める事なんて滅多に無い。
 なのに、今日は令ちゃんから求めてきた。
 最初は令ちゃん主導。でも、何度か昂ぶりを迎えたあとは、何時ものように由乃が主導権を
 握っていた。
 なのに……。

 「そうじゃ……ない」
 「……何が、違うのよ」
 「キスしてるときも、こうしているときも、由乃が見てるのはわたしじゃない気がする」

 何を言ってるんだろう。
 令ちゃんの言葉の意味が解らない。
 由乃はこんなにも令ちゃんが好きなのに。こんなにも令ちゃんを愛しているのに。

 「もう、いいよ」
 「え……?」

 令ちゃんが身体を起こす。
 由乃を優しく横に動かしながら。

 「なんで……」
 「今日は、もうしたくない」
 「ちょっと、令ちゃん!」

 起こした身体をベッドから降ろすと、てきぱきと下着を身にまとう。
 由乃の部屋に常備している、綿のパジャマを着ると、のそのそと部屋を出て行こうとする。

 「待ってよ令ちゃん!由乃、何か気に障ることしたの!?」
 「……」
 「令ちゃん!!」

 そのまま令ちゃんはドアを開けて出て行った。
 自室で素肌を晒したまま由乃は叫んだけれど、令ちゃんは戻ってこなかった。
 何が起きたのか、最愛の人の温もりの消えた空虚な世界に取り残された由乃はまったく理解でき
 なかった。

 - 遠かりし、君 -

 朝──

 由乃は、何時ものように玄関で令ちゃんを待っていた。
 本当なら今日は由乃の部屋から、二人揃って学校へ行くはずだったのに、令ちゃんが急に自分の
 家に戻っちゃったから。

 「それにしても、遅い」

 いつもより、5分早く玄関を出たのに。
 普段の待ち合わせより10分も遅い。
 いくら徒歩10分の道のりとはいえ、ううん、徒歩10分の距離であるが故に、これ以上待つの
 は厳しかった。
 これ以上遅れると、遅刻しかねない。

 「もう、令ちゃんったら何してるのよ」

 堪りかねて、由乃は支倉家の玄関に回った。
 チャイムを1回押して、返事も待たずに玄関を開ける。

 「あら、由乃ちゃん。令が何か忘れ物でもしたの?」
 「え、令ちゃん、もう出たんですか?」

 おば様が不思議そうに由乃を見る。
 由乃も不思議そうにおば様を見る。

 「ええ、いつもより10分も早く家を出たから、何か有るのかと……」
 「そんな……」

 普段より5分早く家を出た由乃を、避けるかのように更に5分前に出たなんて。
 信じられない。
 昨日、いったい由乃はどれだけ令ちゃんの気に障ることをしたんだろう。
 まったく、思い当たる節は無いけど。
 とにかく、こうしては居られない。
 遅刻しそうなのもあったけど、それ以上に令ちゃんと話をしないと。
 由乃に非があるなら謝ればいい。さすがに、そう何度も関係がこじれるのは御免だから。
 去年の黄薔薇革命、梅雨の剣道部入部問題。
 1年に三度も危機を迎えるなんて馬鹿なことは御免だったから。

 「由乃に非があっても、無くても。とにかく謝っちゃえ」

 少し早足で、通いなれた通学路を急ぐ。
 できれば、始業前に令ちゃんを捕まえたかったから。
 昨日の令ちゃんの言葉から類推するに、由乃が祐巳さんと仲良くしてる事が気になっている様子
 なんだけど。そんなに仲良くしてたかな?
 今までと変わらない筈なのに。
 そりゃ、いろいろ有ったから去年よりは随分仲良くなったけど。
 それは、あくまで親友として、だし。
 別に祐巳さんと令ちゃんみたいな関係になった訳でも、なりたい訳でも無いのに。
 なんだか勝手に変な事想像して、勝手に由乃から逃げてる令ちゃんに無性に腹が立ってくる。

 −いけないいけない。これじゃあ、今までと同じだ。

 なんとか心を静める。
 いままではここで押さえが効かなかったから、危機に陥っていたんだから。
 由乃だって少しは成長してるんだから。
 そう、自分に言い聞かせる。

 そうこうしている内に、学校に着いていた。
 何時ものように、大きな正門をくぐる。
 急いでは居るけれど、マリア様にご挨拶は忘れない。一刻も早く令ちゃんを捕まえないといけな
 いのに、習慣とは恐ろしい。

 「令ちゃんと、一刻も早く仲直りできますよう、お導き下さい」

 そう、お祈りして第二体育館に向かった。
 令ちゃんが居そうなところに、とりあえず行ってみる。
 今日は朝練なんてないけど。
 始業まで時間が無いから、朝行けるのは多分そこだけ。

 体育館の大きな扉に手をかける。
 −ガチャ。
 開かない……
 鍵が掛かっている、つまりこの中には誰も居ないと言う事で。

 「はずれ……か」

 いらいらが募る。
 普段ならさして苦労せずに、令ちゃんの居所がわかるのに。
 こんな時に限って見つからない。
 それだけ、由乃も焦っているんだ、って妙に納得してしまう。

 「しょうがない、お昼休みに賭けるか」

 自分を納得させて教室に向かった。
 2年松組。
 我が学び舎へ……。

 朝拝の直前に教室に滑り込む。
 おかげで、クラスの誰とも朝の挨拶は出来なかった。
 タッチの差で先生が入ってきたから、そんな余裕は無かった。

 校内放送のスピーカーから神父様のお祈りが聞こえてくる。
 昨日から令ちゃんのことばかり考えているせいか、全くと言って良いほどその声は頭に入ってこない。
 ほとんど習慣のように頭を垂れ、瞼を閉じて両の手を握り合わせる。
 傍目にはちゃんとお祈りを捧げているように見えるだろう。
 恙無く朝拝も終わり、短いホームルームが始まる。

 2学期も始まったばかりのこの時期、押し迫った行事なんて体育祭くらいなので、特にこれといった
 連絡事項も無くホームルームは終了し、一限の授業が始まる。山百合会幹部は、その後にある学園祭
 の準備で既に忙しいけれど。

 「で、あるから。ここのxには先ほどの公式から導き出される……」

 数学の教師が呪文のように先ほどの例題の解説をしている。
 けれど、由乃の頭の中は令ちゃんの事で一杯だった。何故、いつもこんな事になってしまうのか。
 お互いが余りに近くにいすぎる所為なのだろうか。由乃は令ちゃんの事をこんなにも想っているのに
 令ちゃんは違うのだろうか。ほんの些細な事で、すれ違う。

 「あ……」

 はっとしてノートを見ると意味不明のミミズのような文字で一杯になっていた。
 辛うじて幾つかの文字が読めるだけ。その文字は全て「令ちゃん」と書かれていた。

 ─重症……だね。

 ようやくの事、午前の授業が終了する。
 その途端、祐巳さんがパタパタとやって来た。

 「ねえ、由乃さん。何かあったの?」
 「なんにもないよ」

 あ、素っ気無い。自分でも解るくらい、素っ気の無い返事をしてしまった。
 祐巳さんの瞳が一瞬、曇るのが見えた。
 折角、心配してくれているのに。心の中でごめんなさいをする。
 祐巳さんには申し訳ないけれど、今は時間が惜しい。

 「薔薇の館でお昼する?」
 「ゴメン、ちょっと用事があるの。だから今日は行けないわ」
 「分かった。何かあったら相談してね、由乃さん」
 「有難う、祐巳さん」

 先ほどの素っ気無い返事のお詫びをするように、祐巳さんに笑顔で答える。そして、そのまま教室を
 後にした。
 視界の隅で、祐巳さんが小さく手を振っているのが見えた。
 細かい事は聞かずに見送ってくれる祐巳さんの心遣いに感謝する。親友っていいな。こういう時はそ
 のさりげない心遣いが本当に嬉しい。

 「さて、あの調子だと薔薇の館には行かないだろうから……」

 とりあえず、三年菊組に行ってみる。

 「あら、黄薔薇のつぼみ。令さんなら居ないわよ」

 由乃が扉を開く前に、通りかかった同じクラスだろう三年生が教えてくれる。

 「何処に行ったか判りますか?」
 「ごめんなさい、てっきり薔薇の館とばかり思っていたから」

 失礼と思ったけれど、もとより答えなんて期待して居なかったからなんとも思わない。

 「いえ、有難うございました」

 お礼を返して、身を翻させる。
 令ちゃんが居ない以上、ここには用は無い。
 中庭、ミルクホール、第二体育館と行きそうなところはあらかた周った時点でお昼休みが終わりそう
 になってしまった。
 仕方なく教室に戻る。結局、令ちゃんは見つからないし、お昼ご飯も食べれなかった。

 ─もう、一体何処にいるのよ!

 「あの、由乃さん」
 「祐巳さん」

 教室に戻るなり、祐巳さんが声を掛けてきた。

 「あのね、令さまを探していたんでしょう?」
 「見たの!何処で!」
 「あう、あう、お、落ち着いてぇ」

 思わず祐巳さんの肩を掴んで、前後に激しく揺さぶってしまった。
 慌てて両手を離す。

 「ご、ごめん。つい……」
 「薔薇の館にいたよ。お昼はずっと」
 「な……」

 やられた。 完全に裏をかかれた気がした。普段の令ちゃんの行動パターンから類推した「薔薇の館にいかない」
 という由乃の考えを読まれていたのだろうか。
 そうまでして、由乃に会いたくないわけ?
 そこまで考えたところで、視界の端がぼやけているのが分かった。

 「よ、由乃さん」

 今度は祐巳さんが由乃の肩を掴んだ。
 そしてスカートのポケットをごそごそとかき回して、ハンカチを差し出してくれる。
 そうか、泣いてるんだ。わたし。

 「あり、がとう……」

 祐巳さんが差し出してくれたハンカチで遠慮なく目の端を拭う。
 五限目の授業が始まるまでのほんの僅かな時間、祐巳さんは由乃を優しく抱きしめて包んでくれた。
 その抱擁はとても暖かくて、心地よかった。その所為か、授業が始まっても涙は収まる事無く流れ続
 けていた。

  − f i n−


ごきげんよう。
1万HIT記念で精根尽き果てた黄山です。(汗)
初の由乃・令です。じっくり書いてたらえらい時間かかりそうなんで
とりあえず、前後編で分割アップします。
後編は今回より短くなると思います。
それではまた近いうちに。


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