Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


「紅い薔薇の花びら」 第八話 『契り』


 人の噂と言うものは対象が有名であればあるほど、瞬く間に広がって行く物で、祥子さんと蓉子の
 関係に異常が見られたあの日の出来事は既に殆どの生徒達の知るところとなっていた。
 もちろん、中には尾ひれ葉ひれがついてとんでもない話に発展している物もあったけれど、大部分
 は割りと正確に内容が広がっていた。
 そんな噂を耳にしたのだろう。箒とちりとりと言う形でペアを組んだ相手からの声が頭の上から聞
 こえてくる。
ロサ・キネンシス・アン・ブトゥン
 「紅薔薇のつぼみって大変ね」
 「そうね」
                       
しらかわやすこ
 同じく教室を担当するクラスメイトの白川寧子さんが苦笑交じりに言った。
 今日こそは祥子さんとちゃんと話をすると固く決意していた蓉子にとって、こういった事で時間を
 取られる事は、出来ることなら避けたい事ではあったけれど、無視をするわけにも行かず、蓉子は
 相槌を打って答えた。
 そうこうしている内に、班の一人が一通りの確認を終え、教室内の掃除は終了した。

 「では、ごきげんよう」
 「また明日」

 口々に挨拶をして、皆が三々五々教室を後にし始める。もちろん、蓉子も。
 目的地はマリア様の森の前。
 蓉子と同じ週に祥子さんが音楽室の掃除なのは以前の会話で聞いていたから、急げば充分間に合う
 と思われた。音楽室まで移動して、再び教室に戻ってこなければならない祥子さんと、教室の掃除
 である為に移動に時間を取られる事のない蓉子。その時間的な優位性は明らかだから。
 温室に来る事が無くなった祥子さんでも、マリア様へのお祈りまで止めて帰宅を急ぐ事は無いだろ
 うという判断からだった。
 マリア様に近づくに連れて蓉子の心臓は動悸を早める。祥子さんに逢って最初に何を言おう。いき
 なり好きと言うのもおかしいような気もする。それ以前にちゃんと話を聞いてくれるだろうか。
 あれこれ考えているうちに、マリア様の姿が見えてきた。
 そこには髪の長い、姿勢の良い生徒が両手を合わせて立っていた。

 ─祥子さん!

 間違いない。間違える筈も無い。
 彼女が手を下ろし、くるりと校門に体を向ける。

 「待って」

 蓉子の声に、祥子さんが振り返る。

 「お話があるの。祥子さん」

 祥子さんを正面に見据え、要件を告げる。
 彼女が半歩、右足を引いてあとづさる。

 「わ、私にはお話する事なんてありませんわ……」
 「少しでいいの、お時間頂けないかしら」

 蓉子がそう言うや否や、祥子さんは突然走り出した。
 あまりにおかしな事態の成り行きに蓉子は一瞬呆気に取られたが、慌てて祥子さんの後を追いか
 けて走り出した。二人とも、スカートのプリーツが乱れ、セーラーのカラーが翻る事など気にする事
 もせずに、全力と言ってよい勢いで。

 ─は、早い……。

 そのまま校外に出るかと思いきや、祥子さんはマリア様の森を半周する形で校内に戻る方に向っ
 ている。その足はとても速く、決して足が遅い訳ではない蓉子だったけれど、付いて行くのがやっと
 だった。
 そのまま続くかと思った追いかけっこだったが、いくらか二人の差が縮まり始めてきた。
 祥子さんは手に持った鞄がパンパンと音を立てて太腿に当たっている所為か、だんだんと速度が落
 ちてきていたから。

 「お待ちなさい!逃げるつもりなの!」

 どうにか声が届きそうな距離にまで追いついた蓉子は、急な全力疾走に息を切らせながらも精一杯
 の大声を出して叫んだ。
 ふいに祥子さんの足が止まる。

 「私が……逃げる、ですって?」

 祥子さんの直ぐ後ろにまで追いついて、蓉子も立ち止まる。

 「今のは逃げているのではなくって?」
 「心外ですわね」

 それだけ言って、彼女は再び足を動かし始める。けれど、それは先程と違い、酷くゆっくりとした
 足取りだった。

 「付いて来ないで下さるかしら」
 「わたしは貴女にお話があるのだから、聞いて貰えるまでどこまでも付いてゆくわよ」

 何時の間にか、二人はあの温室へと続く小道を歩いていた。
 祥子さんを追いかけるのに夢中で校舎の裏を駆け抜けた事にも気がつかなかったようだ。
 そのまま温室の中へと入って行く。
 意図してかどうかはわからなかったけれど、あのロサ・キネンシスの前で祥子さんは歩くのを止めた。
 手にもった鞄をそっと通路の上に降ろす。
 ロサ・キネンシスのあの小さな蕾は、ほんの少し花弁の先を覗かせ、徐々にその花の色を見せ始めて
 いる。

 「ねえ、祥子さん……」
 「……」

 名前を呼んで、一呼吸を置く。
 祥子さんの返事は無い。
 けれど、蓉子は続ける事にした。祥子さんへの想い。お姉さまが気付かせてくれたこの想いを彼女
 に伝えなければならないから。

 「私は貴方の事が好きなの」

 祥子さんの肩が微かに震えるのが見て取れた。

 「もしかしたら、私は貴女の気に障ることをしてしまったのかも知れない。嫌われてしまったのか
  も知れない」

 そこまで一気に話して目を閉じ、深呼吸をしてみる。

 「でも、わたしは貴女の事を好きになってしまったの。だから祥子さんの事をもっと知りたいし、
  私のことをもっと知ってもらいたい。いいえ、貴女を独り占めしたいの。だから……」

 その時、祥子さんが勢い良く振り返った。
 小さく唇を震わせながら、何かを言おうか言うまいか想いを巡らせているようにしている。
 蓉子は自らが言葉を発するのを抑え、祥子さんを優しく見つめる事で話を促した。

 「私だって!……だけど、怖かったんです」

 ようやく口を開いてくれた祥子さんを黙って見つめる。

 「あの時、蓉子さまにきつい事を言ってしまいました。本当は蓉子さまが私を見ていてくれたこと
  がとても嬉しかったのに、お顔を見た瞬間、とても混乱して……」

 時々、視線をどこか周囲に漂わせるように動かしながら祥子さんがゆっくりと続ける。

 「あの申し出が蓉子さまからだったら、と考えてしまったり、ほんの一瞬だったのにいろんなこと
  が頭の中に渦を巻いて流れ込んできて……」

 蓉子は無意識に自分の右手で左手を握り締める。

 「だからあの後、怖くて蓉子さまを真っ直ぐに見ることが出来なくなってしまったんです……」
 「私は貴女に嫌われたのかと思っていたわ」
 「嫌ってなんて……いません」

 長い漆黒の髪を揺らしながら、彼女は小さく頭を左右に振る。

 「貴女が望んでいるかどうかは解らない。でもわたしは貴女を妹にしたい。受け取って貰えるかし
  ら……」

 そう言って、蓉子は自らの首に掛けられたロザリオを外し、祥子さんの前にそっと差し出した。
 祥子さんは差し出された蓉子の手と、ロザリオをじっと見つめている。
 少しして、重々しく口を開いた。

 「受け取れ……ません」
 「理由を教えていただけないかしら」

 搾り出すように発せられた彼女の声を聞き、蓉子は確認するように問い掛ける。

 「私は紅薔薇のつぼみの妹にはふさわしくないから……」
 「何故?」

 重々しく、逡巡するように祥子さんが言葉を続ける。

 「私、素直ではありません」
 「知っているわ」
 「他の人のように、器用でもありません」
 「そうかも知れないわね」
 「我儘ですし、好き嫌いも沢山あります」
 「ええ」

 次から次へと、祥子さんは必死に自分の欠点をあげていくのだけれど、蓉子はそれを全て簡単に切
 り返して行く。

 「可愛いところなんて無いし、人見知りもします」
 「あら、可愛いわよ?」
 「習い事が一杯有りますから、時間がどれほど取れるかわかりません」
 「それはまた考えましょう」

 さすがに自分の欠点も尽きてきたのか、祥子さんは蓉子から目を逸らして俯いた。
 一呼吸を置いて、彼女は視線を再び蓉子に向ける。

 「それでも、考え直しては頂けないんですね……」

 祥子さんが重々しく口を開いた。諦めとも、喜びとも付かない声で言葉を紡いでゆく。

 「だって貴女を好きになってしまったのだもの」

 ─そう、私は貴女のことが好きになってしまったの。

 だからこうしてロザリオを彼女に差し出したのだもの。お姉さまから頂いたこのロザリオを。
 今更祥子さん以外の1年生を妹にするなんて事は考えられなくなってしまったから。

 「蓉子さま……」
 「今日からは、違うわ」
 「……」

 相変わらず祥子さんははっきりしない。
 先日、興味本位で差し出されたロザリオを突き返した様な毅然さは全く見られない。
 祥子さんのそんな態度に不思議と安堵を抱いて、蓉子は止めの言葉を口にした。

 「私のこと嫌いかしら」
 「……いえ」
 「じゃあ、これ」

 それは最後の迷いだったのだろう。
 差し出されたロザリオを暫し見つめて固く瞼を閉じた祥子は、その瞳を開いた瞬間小さく頷いた。
 永遠とも思える一瞬だった。
 この瞬間、蓉子が感じた幸せはお姉さまにロザリオを頂いた時以上だったかも知れない。
 祥子さんの首に、優しく小さな鎖を掛けて上げる。
 その手で流れるようにそっと、艶やかな長い髪を梳いてあげる。すると「あ……」と彼女の小さな
 声が零れた。
 たった今、その契りを結んだ妹が顔を赤らめ、伏目がちに蓉子を見つめる
 優しく肩に触れながら、蓉子も意を決して名前を呼ぶ。敬称は付けずに。

 「祥子……」
 「蓉子さま……」

 祥子が小さく呟くように蓉子の名を呼ぶ。

 「お姉さま。でしょ?」

 声が優しく諭す。
 祥子の端正な顔に、先程よりも増して赤味が差していくのが解る。

 「お、お姉さま……」
 「はい」

 応えてから、祥子の身体を抱きしめる。
 まるで自身のお姉さまのように。

 「私を『お姉さま』と呼んで良いのは祥子だけ……」
 「はい。お姉さま……」
 「そう、たった今から私は貴女の『お姉さま』よ」

 紅く染まった夕暮れの温室で、祥子の温もりを感じながら蓉子はゆっくりと瞼を閉じていった。
 祥子と出逢ったこのロサ・キネンシスの前で……。

 − f i n −


ごきげんよう、黄山です。
総容量では「DATE or ALIVE」より大きくなってしまったかもしれません。
ふっと大雑把な話が浮かんで来て、勢いをなくさないうちに書き上げたのでいくばくか
不安が残りますが、とにもかくにも完成しました。
蓉子さまと祥子さまの出会いと姉妹となるまで……。今までSS書いておられるサイト
様をいくつも見てきましたが、この話を見たのは2度ほどです。もしかしたらタブーな
のかとも思いましたが、書きたくなったものはしょうがないのでそのままアップしてい
きました。
祥子さま、蓉子さまの書かれざる出会いですが、巧く雰囲気がだせたかどうか……。
祥子さまの事だから、きっと素直に結ばれたわけではないと思ったのですが、書き終え
て考えても今の黄山にはこれ以上表現のしようが無かったので、完全に自己満足です。
おそらく自分の中では最も気合を入れて書いた作品だと思います。
長い作品にお付き合い下さり有難うございました。


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