阪神電車のおもちゃ鉄道模型

阪神電車の風景へ戻る

 

ここでは、実に久しぶりに作った鉄道模型について書いてみました。内容はディープかも知れませんが、容赦なく;)いきます。かといってその道の人にはとてもかないません。その道の方、ごめんなさい、と始めに断っておきましょう。でも、もしかしたら、皆さんにもちょっと興味を持ってもらえるかな。

1.阪神5201形

2.鉄道模型 9ミリゲージ

3.Nゲージの発展

4.阪神電車のキット

5.阪神5201、5101形真鍮キット

6.キット製作

 

1.阪神5201形

阪神5201形(野田1979.3)

この形式は、個人的に思い入れの深い車両です。1964(昭和39)年頃から電車を見ていた記憶はあるのですが、母の出産帰省に伴って、二度、神戸魚崎の母方実家に数ヶ月暮らしました。毎朝の日課として、飼い犬の散歩係の叔父、叔母と一緒に散歩に出かけ、最寄り駅である阪神電車魚崎駅横の住吉川から電車を見て帰るのです。その時見ていたのが、各駅停車専用の阪神ジェットカー、5201形でした。

阪神電気鉄道では1954(昭和29)年から車両の大型高性能車へ置き換えが始まり、1966(昭和41)年に最後まで残った武庫川線の大型車化が終わります。それまでの小型車は、例えば江ノ電が6両編成で時速100キロ以上のスピードで走っていたようなもので、戦前からの鉄道ファンも阪神に一目置いていたのですが、大型車は没個性の通勤車とされ、趣味界では無視されていました。ですが下半分が赤の急行車と青の普通車を完全に分けているのは阪神だけで、しかも下位にあたる普通車に日本一の高加速性能を持たせているのです。(加速4.5キロ毎時毎秒、減速5キロ毎時毎秒。京急1000系だって加速3.5キロ毎時毎秒、減速4キロ毎時毎秒でしかない)この普通専用車には阪神ジェットカーという愛称が付いています。当時は阪急オートカー、近鉄ラビットカーなどの愛称を付けるのがはやっていました。でも子供は愛称でなく、赤い電車、青い電車と呼んでいましたが。ジェットカーは地味ながらも充分個性的な技術屋好みの車両群でした。この伝統は今も続いています。

5201形はジェットカーの量産版で、1959(昭和34)〜1960(昭和35)年に製造されました。自分と同年齢でしたが、1977〜82年に廃車されました。色や窓配置はその後1995年5500系が出きるまで、阪神普通車の標準デザインで、その間の形式と一見区別がつきませんが、1964年までの間に製造された車両は、次の点で特徴を持っています。

・大型パンタグラフを運転台側に持つ。いかにも電車という雰囲気。
・縦方向の雨樋が露出している。それが正面形状をつるっとさせず、引き締めている。
・客室側窓は全開可能な上下二段式で、転落防止の保護棒がついている。
・前面形状は程良い丸みを持ち、似ていると言われる京成、阪急などよりも先にデビューしたオリジナルデザインである。(1958(昭和33)年の急行系3301、3501形が先である。)

2.鉄道模型 9ミリゲージ

鉄道模型は英国で貴族層の趣味として始まったらしいが、実際日本でも男の(何故か絶対男)道楽と思われてきました。僕の記憶のなかでは、小学校の友人がEF66の模型を持っていて「電関(電気機関車のこと)」と言っていたのが、何だか偉そうでお坊ちゃんだな、と思いながらもうらやましかった、やはりお金持ちの趣味だなというものでした。それが9ミリゲージの出現で、手の届くものになりました。それでも相当高価ですが。

もともと日本での鉄道模型の主流はHOゲージというものです。ゲージとは線路の間隔を言い、HOはハーフオーゲージのことで、16.5ミリの線路間隔でした。Oゲージは33ミリということになりますが語源は知りません;)。実物の線路間隔は狭軌で1067ミリ、標準軌で1435ミリです。ですから狭軌で1/65、標準軌で1/87の縮尺となりますが、これでは同じレイアウト(線路やその周辺の模型)を走らせると1/65の車体が駅ホームなどにぶつかってしまうので、車両限界(車両の最大寸法)から日本型として1/80を採用しています。しかもこれは狭軌(JR、東急など)も標準軌(阪神、京急など)も同じにして日本の車両が並んでもおかしくないようにしているのです。なお、新幹線は標準軌ですが実物も車両限界が大きいので1/87です。

長くなりますが、続けてしまいましょう。

昭和40年代、「鉄道模型趣味」誌などが、日本家屋の大きさからHOゲージでも大きすぎるし、メルクリンZゲージ(6.5ミリ?)では小さすぎ、日本のメーカーの製造技術も伴わないことから、日本家屋向け規格の国産化を提唱しました。それが9ミリの線路間隔であるNゲージです。もともとドイツの規格で1/160でしたが、縮尺は上記のように実物とは違い1/150になっています。

この規格で鉄道模型製作を初めてしたのは、関水金属です。実は最初の試作機C50を発表してからも長らく発売されなかったようです。従来の真鍮製では細部の製作が困難で、コストも下がらないとして、プラスチック成型による製品だったのですが、おもちゃのプラレールより小さい大きさで、ちゃちな作りでは普及は難しいと、金型の高細密製作技術が必要だったようです。プラモデルとは別の分野ですが、日本の金型技術はこれらの模型用金型で急速に発達しました。また関水金属はドイツ、アーノルト社と提携しNゲージの世界規格を完成したのです。おもしろいのはソニーもNゲージを作ったそうでして、小さいものが好きな会社だったのですね。

僕が実際に手にした最初のNゲージは、関水のEF65、20系寝台客車で1975(昭和50)年のことでした。ベニア板でレイアウトを作り、結構本格的なものになったのですが、高校受験もあって未完成なままでした。安くなったとはいえ、一台1000円前後の車両が5両、10両となれば、結構高価で、こづかいを全額投入するには他の趣味もあってもったいなくなった、ということでしょうか。もっともこづかいだけでは足らず、親の援助もあったのですが、実は父親も鉄道が好きで、寛容であったようです。

 

3.Nゲージの発展

僕の世代はNゲージの黎明期に立ち会った世代で、その上の世代はHOより小さなおもちゃとしか見ていなかったのです。実際、歯ブラシのケースに入ったような車両に工作を施すのは困難で、HOのように実車をリアルに再現するようなことは出来なかったのです。しかし、レイアウトをリアルに作成し、長大編成を走らせる記事が雑誌に出ると徐々に人気が出て、数社が参入します。永大>学研などは良い車両を作っていましたが撤退、プラレールのようなED75しか作っていなかったトミーと技術合流するとトミックスとして精密な車両を作るようになり、いまでは老舗関水とトミックスが二大勢力です。また、グリーンマックスという無名の会社が、Nゲージで組み立てキット(プラモデルに近い)を発売すると、自作派も参入し、Nゲージは今や鉄道模型の主流になってしまいました。

雑誌を見ると、当初は思いも寄らなかった車両の改造記事が多くなっていて、1ミリに満たないパーツの製作が行われています。まさしく精密機械です。日本人の匠の技は失われつつありますが、こういうところで継承されていました。

 

4.阪神電車のキット

1975年当時10種類にも満たなかったNゲージのバリエーションは、その後人気が出るに従い急激に増えていきます。最初は国鉄181系、583系、113系、153系などが発売予定に載って、なかなか出ずに期待して待っていたのですが、しばらくすると全国的に走っている国鉄形式はかなり出揃いました。関水金属とトミックスが同じ形式の車両を出してきたりと、段々行き詰まってくると、国鉄がJRになって、塗装が変わると、同じ金型で塗装のバリエーションを出すはで、メーカーは必死なのですが当初の熱気が消えて、成熟期に入ったようです。

Nゲージは、HOゲージと違い、プラスチックの精密成形によって、低コストで精密な模型を提供できたのですが、ある程度品揃えが揃ってくると、そこが問題になってきます。マニアックな層の次の期待は、マイナーな車両の模型化なのですが、Nゲージでは、ある程度人気のある数の見込めるものしかペイしないのです。何故ならプラスチック成型の精密金型は非常に高価なものなので、大量に生産しないと一台当たりの原価が跳ね上がってしまうのです。例えば500万円の金型で10万台作れば一台50円ですが、1万台では500円となり、一台1000円前後の売値では赤字になるわけです。一方、真鍮エッチング板がボディのHOゲージでは、前面のロストワックスくらいしか型代が掛からないので(組立代はかかりますが)数の少ない製品もそれほど高価にならないのでマイナー形式も商品化しやすいのです。

ということで、阪神電車などの趣味界ではマイナーな車両は、なかなか商品化されませんでした。

それでもグリーンマックスから、「阪神通勤型」キットが出て早速購入し、組み立てたのは1983年だったでしょうか。このキットは良くできていて、阪神3801形(現8801)を模型化し、車体形状の同じ新5001形も製作可能で、側面窓配置が似ている京成、山陽の改造できる前部パーツまで付いているのです。つまり一つの金型を償却しやすいよう、販売総数を増やす目的があるのです。しかし、ここでも不満点は阪神5201形というそのものずばりというキットは出ず、その近似形でしかないわけです。それでも僕は5151形に改造してみましたが、稚拙な技能では満足のいくものにはなりませんでした。完成写真で三形式並んでいるものの奥の赤胴車が3801形、真ん中が5151形です。ちなみに5151形は5201形の増備形式で1964年製造で、初期ジェットカーのうち唯一冷房改造、電機子チョッパ改造され、生き延びていたのですが、1995年1月17日、阪神大震災で破損し廃車されました。

5151(のつもり) 縦の雨樋がポイントです。

3901 甲子園高校野球特急ヘッドマーク付きです。

 

 

5.阪神5201、5101形真鍮キット

そのようなわけでNゲージでの阪神各形式は諦めていたのですが、なんとNゲージで真鍮エッチングキットという、掟破り?の製品が出てきたのです。しかも一見見分けのつかない5201、5231、5151形の区別がされ、すでに廃車になった形式を重点的に。メーカーは遊々倶楽部、販売がホビーメイトオカ。

「鉄道模型趣味」誌でこの製品を知り、神戸に行ったときに三宮の模型店でみてみましたが、3501形しかなかったので(といっても分かる人はいないだろうけど)ホームページからインターネット通信販売を利用しました。2両組み定価16000円のところ通販では13000円。5201形と、その両運(一両の前後とも運転台がある)5101形を注文しました。インターネット通販なので代引き宅急便で、翌週に届きました。自分の居る時間ではないので、奥さんに支払いをしてもらいました。送料込み27000円。桁が違う・・と思われたようです。組み立てキットなので台車、モーター、パンタグラフなどがグリーンマックスの別売パーツ、塗装も必要。やっぱり高いですかね・・。阪神の、しかも過去の廃車形式の模型なので、販売台数は知れているし、今買わないと絶版になってしまうから、ということで;)。

 

6.キット製作

2週間、会社帰りが楽しみでした。完成品とは違う楽しみ。この楽しみの分高いと思えば;(無理があるなあ;)

このような箱に入っています。昔のHOゲージの箱の雰囲気。

開けると真鍮製の部品が。プラスチックキットよりも高級感があるな。

ボディが真鍮板をエッチング、曲げ加工したもの、前後面は真鍮のロストワックス鋳造。

ボディと窓板、前頭部を組立。本来は半田付けなのだが、接着。

凹凸の表現のためドアや窓枠はボディの裏から接着。接着剤は瞬間で仮止め、エポキシを盛って固定。

全部で4両になる。真鍮の地肌のままというのもまた良い。

で、スプレー缶の塗料と、会社同僚のT氏から以前もらった瓶の塗料を使って、塗装。このとき、マスキングテープをケチって90円のを使ったら滲みてしまった。タミヤの280円のを使ったらOK。しかし塗装は難しい。いつも苦労する割には上達せず失敗する。最初に失敗して、デジカメで工程を写すということを忘れるくらい頭に血が上る。

このキットの特色は、ステンレスエッチングの窓枠を塗装後に接着すること。これによりプラスチックキットよりもシャープで色分けもきれいな窓まわりができる。さらにこの形式は先述のように保護棒もつくのでさらに良い。この保護棒は0.5ミリに満たない細さで、位置決めの枠に入れるのに、指ではつまめず、爪楊枝に木工ボンドを付けて、ピンセット代わりに。固定用の瞬間接着剤も少量滴下する事が出来ないので、爪楊枝に染み込ませてから、一滴ずつ付けて使用した。  

塗装完成写真。正面のバランスの良いデザイン。左右にある縦雨樋の段が顔を引き締める。

大きなパンタグラフが昭和三十年代の電車を象徴。型式番号は付属のインレタ。「5218」は1960年3月新造、1977年廃車。

手前が5201。真ん中は5131形(5151と組んで走った)で奥は3801形赤胴車(=急行車)。ともにグリーンマックスキットだが3801製作時に購入したキットを12年置いておいて、震災廃車になった5151形を偲んで作成したものが真ん中の車両。

4両編成の5201、5101形。もともとは2両編成だったが、昭和40年代に3両編成、1970(昭和45)年の大阪万博!以後は4両編成に。各停とはいえ短い。が模型にはちょうど良い。

ということで、完成しました。なかなか巧くいかないのです。細かい作業は精密機器の仕事柄少しできるようになっていると思っていたのですが。ただこの仕上げの下手さでは、人目には出せないな。

こうなると、レイアウトを作って走らせてみたくなりますね。鉄骨二段架線柱が難問ですが、どうせなら昔見ていた魚崎付近を再現して・・・。

 

5201形(片運=片側に運転台=ごく普通)

5101形(両運=両側に運転台)

5151形(冷房化後。グリーンマックスの改造)

3901-3801形(グリーンマックスキット)

TOPへもどる