新・闘わないプログラマ No.70

Linuxをめぐる視点


人間、だれしも自分の経験の範囲内でしかモノを語れないわけで、そんなことはあたりまえのことなわけですが、世の中には、自分の経験の範囲内が世界の全てだ、と勘違いしているおめでたい人間も沢山いて、そういう勘違い人間には閉口してしまうことも多いです。
などと、偉そうに言っていますが、かく言う私だって当然のことながらそういう傾向はあるわけですし、こうやって駄文を不特定多数に公表していたりすると、「なに偉そうに言ってんだよー、おめーがモノを知らないだけじゃん」とか言われて恥をかいたりするのが落ちだったりするわけです。ただ、自分の経験の範囲の外側には、自分の知らない広大な世界が広がっているのだろう、ということは常に意識して物を考えて行かなければいけないなあ、などと自戒を込めて思ったりするわけです。

いったい何を言いたいんだ、と思われた方も多いかと思いますが、最近のLinuxをめぐる論調を見ていると、ついついそんな事が頭をよぎってしまうのです。
そもそも、いま現在、個人的にWindows95/98を使っていて、それでとりあえずさしたる不満を感じていない人が、なんか流行っているようだから、とか言ってLinuxを使おうとしたって、特になんかいい事あるわけないですよね。ところがこういう無謀なことやって、挙げ句の果てに、わけのわからないことを言い出したりするわけです。これがまあ、どっか人目に触れないようなところで喚いているだけならいいのですが、結構メジャーなところでもそういう論調を目にする事が多くなったので、ちょっとなんだかな〜、という気持ちになってしまいます。
これはでっち上げた例ですけど、こんな感じの論調です。

最近、LinuxというOSが注目を集めているようだ。どんなものなのか、UNIXを使ったことのない私も入れてみる事にした。ある雑誌の付録でSlackwareとかいうのが付いていたので、これを入れてみる事したのであるが、雑誌にはインストールの仕方はほとんど載っていないし、表示も全部英語なので、何が何やらよく分からないところが多く、適当にインストールを進めた。なんとかインストールは出来たが、文字の出る画面しか表示されず、ウィンドウが出ない。どうやらXFree86とかいうのの設定が必要らしい。(中略)
週末を潰して、四苦八苦してインストールして思った事は、Windowsと比較してインストールが非常に面倒であるということ。設定だって、コントロールパネルから簡単に出来るWindowsと違って、なにやらファイルを書き換える必要がある。何かやろうとしても、Windowsのようにメニューをクリックする、なんていう風に簡単には行かず、コマンドを入力しなければならない。今時、こんな時代遅れのやり方をしているのが不思議である。
私が使ってみての印象は、はっきり言って、なんでこんなOSがWindowsの対抗になり得るのか、どう考えても理解不能である、ということである。結局は、アンチマイクロソフトのマニアたちがありがたがっているに過ぎないのだ、ということがよく分かった。

まあ、インストールや設定に関しては、Slackwareを入れた、というのが一番の敗因でしょうね。Red HatとかTurboLinuxとか入れていればもうちょっと愛想がよかったような気もしますけど……って、架空の人物に向かって何を言っているんだか。
しかし、この手の話、最近よく目にするのですが、一般マスコミの無責任な報道……だって、現在Windows95/98を使っている個人ユーザーが、今すぐWindowsを捨ててLinuxにしたら、ほとんど全てのユーザーが困るでしょうね……によるところが多いのかも知れません。煽るだけ煽っておいて、なんだ、結局使えないじゃん、となるのが落ちですね、そんなことでは。
で、最初の話に戻るわけですけど、結局のところ「自分の経験の範囲が世界の全てだ」と勘違いして、変な事を言い出す人間が出てくるわけですね。いや、別に「Slackwareのインストールは面倒だったし、デスクトップOSとしては使い勝手が悪かった」という意見はそれはそれで重要で、そういう意見を表明する事は何ら問題は無いのですが、そこから、上の例の最後の結論を導き出してしまうところが、なんだかな〜、なわけです。

そういえば、以前どこかの掲示板で、MS-DOSはUNIXより優れている、と主張している人物がいたのを見かけた事があります。いや、もちろん全ての評価基準でMS-DOSの方が劣っているとは思いませんけど(例えば、MS-DOSの方が少ないメモリーで動作する、とか)、その人物の評価基準が凄い。
カレントディレクトリにある、拡張子が「txt」の全てのファイルの拡張子を「bak」に変えるのに、MS-DOSなら、

  REN *.txt *.bak

の一発で出来るのに、UNIXの場合には簡単に行かない、だからMS-DOSの方が優れている、って言うんですね。確かにこれはそのとおりですが。UNIXでCシェルだったら、こんな感じかな(Bシェルだとどう書くんだったっけ、最近使っていないから忘れた)

  foreach a (*.txt)
  mv $a $a:r.bak
  end

確かに面倒です。でも、それにはそれなりの意味があるし、だからこそ、そうなっているわけです。これが面倒だって言うのなら、シェルスクリプトを作っておけばいいだけの話だし、そんなのUNIXとMS-DOSの優劣とは関係の無い話、というか、突き詰めていけば「REN *.txt *.bak」という書き方を許さないUNIXのシェルの方が優れている、という結論に達するはずです。
これなんかも、自分の経験の範囲でしか物を見ていないのの典型的な例ですね、その先に自分の知らない世界があるということを考えもしない。

しかし、こういう物の見方をする人物、職場にも沢山居たりします、とくに偉い人なんかに。
偉い人の場合、本人がバリバリのプログラマだったころというのは、メインフレーム全盛の時代で、その時の仕事のやり方がすべてだ、と思っている人が多いのですね。こういう人たちから見ると、Linuxをはじめとするオープンソースのフリーウェアのようなソフトウェアは、とても仕事で使えるようなものでは無い、という考えに凝り固まっていたりします。でも笑えるのは、WindowsNTはオープンソースでもフリーウェアでも無いから信頼できる、なんて思っていたりするところだったりするのですが。
こういう人物を説得するというのは、骨が折れる、というか、時間の無駄、という気もしないでもありません。

というわけで、よく知りもしないのに偉そうなことを書くと、本人が恥をかいたりするわけですが、こういう言葉って、結局、自分の方に帰って来そうで……
間違いがあったらこっそり教えて下さいね。

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