新・闘わないプログラマ No.213

GUIを超えるもの?


さて、今週は何をネタにして駄文をでっちあげようかなあ、と思いつつ、郵便受けを覗いたら、「日経バイト」が送られてきていました。
かなり前から定期購読してた「日経バイト」、もうほとんど読んでもいないのですけど、何故かまだ送られて来ます。お金は前納でかなり前に払った記憶しかないのですけど、まだ購読期間内なんでしょうね、送られてきているってことは。いや、もう今度購読延長のお知らせが来ても、定期購読は止めますけど。どうせろくに見てないし。
昔と違って、別に雑誌を購読しておかないと世間…って、どこの「世間」か分かりませんが、とにかく世間の情勢に疎くなる、って事も無いわけでして、しかも、昔の「日経バイト」は結構鋭い記事とかあったような気がするのですが、今はねえ…いまいち読みたいと思わせるような記事がありません。
と思いつつ、何かネタになるようなものは無いか、と送られてきた「日経バイト」をパラパラとめくってみると、「新春特集 GUIを超えるもの」という特集記事が…。
ネタが無いときには、雑誌の記事にでもいちゃもんを付けて駄文をでっちあげる、とこれが一番ラクだったりするわけで、今回もそのパターンで行こうかなと ←やな性格。

この特集、タイトルこそ「GUIを超えるもの」と大きく出てますけど、まあそれほどすごいことが書いてあるわけではなくて、いまいち突っ込みが足らんというか(他人のことは言えんか)、喰い足りなさを感じる記事です。というか、最近の「日経バイト」、こういう記事が多いですね。
とりあえず今回のネタは、その中で、現在のGUIの問題点としてMacintoshとWindowsを例にいろいろ書いてある部分です。(以下、引用はすべて「日経バイト」2002年2月号 日経BP社発行より)

問題点1 Macintosh/Windows
本来は不要なダブル・クリック
「ダブル・クリック」は、パソコン初心者がつまづく操作の代表としてよく例に出される。家電などパソコン以外の機器ではダブル・クリックを使うことはないため、不慣れなユーザにとってはうまくできないことがあるからだ。(中略)
Mac以前のGUIシステムで使うマウスは3個程度の複数ボタンを持っており、操作が複雑だった。そこでAppleはLisaとMacではシンプルな1ボタン方式を採用したのである。その結果、一つのボタンに選択と実行という二つの機能を割り当てるため、必然的にダブル・クリックが生まれた。
(54ページより引用)

いや、Windowsの場合は知らないですけど、Macintoshの場合は、「実行」(というか「ファイルを開く」)という操作の基本は、Finderで「選択」しておいて「ファイル」メニューから「開く」、だったと思うんですけど。もしくは、「ファイル」→「開く」のショートカットとして「Command + O」。いやもちろん、今のようにデスクトップが広くなっちゃうと、メニューバーまで遠いわけで、わざわざFinderのメニューから「開く」をする人はほとんどいないとは思うのですが、もともとの原則としてはダブルクリックではない、と思うのですが。
ところで、このダブルクリックで開く、という操作、初期のMacintoshから導入されていたんでしょうか。昔のは使ったことが無いので(私がはじめて使ったのはSystem 6の頃)知らないのです。
Windowsの場合でも、Explorer上ならメニューから開けますし、デスクトップ上ならメニューが無いけど右ボタンからやることは出来ますね。まあ、これもやるケースがどれだけあるかは疑問ですが…あ、でも選択しておいて「Enter」キーで実行、ってのはよくやるなあ。

問題点2 Macintosh/Windows
アプリ起動に複数の方法がある
今日のOSでは、ある結果を実現するための方法が複数用意されていることも混乱の元になっている。その一つがアプリケーションの起動方法である。(中略)
Windowsではアプリケーションを起動する方法は大きく二つある。デスクトップ上のショートカット・アイコンをダブル・クリックする方法と、スタート・メニューから選択する方法である。(中略)
一方現在のMacintoshでは、デスクトップのエイリアス(Windowsのショートカットに相当)から起動するのが基本だ。これに加えアップル・メニューに登録した項目はそのメニュー選択でも起動できる。
(55ページより引用)

と言うか、特にMacintoshの場合、「アプリケーションを起動する」という概念は出来るだけ表に出ないように設計されていると思うのですが(もちろん、理想と現実のギャップはどこにでもあって、必ずしも設計思想どおりには話は進まない、というのはここでもあてはまりますが)。
「アプリケーションを起動する」というより「ドキュメントを開く」ですね。アプリケーションは単なる道具(鉛筆とか定規とか…)に過ぎないわけで、開きたいのは「ドキュメント」であって、それを操作するために道具であるアプリケーションが必要になる、という考え方。
私自身、Macintoshを数年間にわたってメインで使ってきましたけど、アプリケーションを直接起動する、という使い方はそれほど多くなかったような印象があります。まあ、これはMacintoshのファイルに「クリエータ」という属性(このファイルを操作するためのアプリケーションは何であるか、という属性)がある、というのもありますから、ドキュメントファイルを開けば、それに付随してアプリケーションが起動するわけでして。
あとは、アプリケーションを起動するための方法として、これはMacintoshでもWindowsでもよくやるのに、開きたいファイルをアプリケーションのアイコン(エイリアスやショートカットの場合も)にドラッグ・ドロップする、ってのがありますね。
とにかく、「アプリ起動に複数の方法がある」というより、エイリアスやショートカットの無原則な使用が混乱の元、というだけのような気もします。結局、エイリアスやショートカットをどこに置くかにより、それを開く方法が異なっているだけのような気もするわけです。
ところで、「アプリケーション」のことを「アプリ」って表記するのは、この手の雑誌でも当たり前に使われるほど一般的になったんでしょうか?

問題点3 Macintosh/Windows
ディスクによってごみ箱の動作が違う
(中略)
ファイルをごみ箱にドラグ・ドロップした場合の動作が、ファイルがもともとあったディスクの種類によって異なる点だ。ハード・ディスク上のファイルの場合はすぐに削除されないのに対し、リムーバブル・メディアでは即座に削除されてしまい回復できない。本来は、リムーバブル・ディスクであっても削除したファイルを復活できるようにしておくべきである。
ただし、このような実装を実現するのは非常に困難だと考えられる。
(56ページより引用)

って、Macintoshの場合、リムーバブルメディアでも、ちゃんとごみ箱に入るんですけど…もしかして今のバージョンは違うのかと不安になったので、試して見てしまったではないですか。なぜ「このような実装を実現するのは非常に困難」と思ったのでしょうか? 何か不可視のフォルダを1個作っておいて、そこに入れればいいだけのような…Macintoshの場合の実装はそうですし。
まあ、私の場合、ごみ箱に捨てたファイルが入るのが鬱陶しくて嫌いなので、Windowsの場合、即座に消えるように設定しています。Macintoshはこの設定が出来なかったような…今でもそうなのかな?
そうそう、話はずれますがWindowsの場合には、デスクトップは起動ドライブの持ち物(というか、デスクトップにファイルを作ると、それは起動ドライブのあるディレクトリに作成される)なのに対して、Macintoshの場合には、どのボリュームのファイルでもデスクトップに置くことが出来ますね。これもMacintoshの場合、「Desktop」という名の不可視フォルダが各ボリュームにあるおかげですが。

問題点7 Macintosh/Windows
ウインドウを「閉じて」いいのか
ユーザの操作を回復する方法がない場合も問題になる。代表的なのがウインドウを「閉じる」という操作である。(中略)
「閉じる」代わりに「最小化」を積極的に活用すれば、操作の不可逆性は回避できる。
(58ページより引用)

すいません、これ長くなるので省略してしまったのですが、ここまで読んだだけでは何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。省略した部分を読んでも。
で、もう少し読み進めてみると、

現に「閉じる」という概念がないOSもある。Palm OSだ。起動時にすべてのアプリケーションをあらかじめメモリに展開しておき、それを必要に応じて切り替えている。

Palm OSが実際にこういう動きなのかどうかは使ったことが無いので知りませんが(アプリケーションが多くなってメモリに乗らなくなったらどうするんだろう? とか)、それはそれとして、ここでいう「閉じる」というのは、ようするにアプリケーションを終了させる、っていう話なんですね。私はてっきりドキュメントのウインドウを閉じるときの話を思っていました。
だって、MacintoshとWindowsの双方に共通する話題として取りあげているので。そもそも、Macintoshにはアプリケーションを表すウインドウは存在しないわけで、「閉じる」と言ったら、ドキュメントのウィンドウしか無いですから。
Macintoshの場合は、メモリさえ空いていれば、別にアプリケーションを終了させることなしにどんどん使っていくことも可能で、Windowsのようなアプリケーション・ウインドウは無いですから、別に鬱陶しくなることもほとんど無いのではないか、と思うのですが。
まあ、MacOS(≠MacOS X)ではメモリ管理がタコ(というか古すぎ)なもんで、どんどんアプリケーションを起動して終了させないまま使っていく、ってことが現実問題としては難しわけですけど。

まあ、いろいろ他にもあるのですが、長くなってきたので、今回はこの辺で止めておきます。
私の場合、Windowsのユーザーインターフェースは、不満もいろいろありますけどもう慣れちゃったので、別にそれほど不満というわけでも無くなってしまいました。ただ一つだけ不満を述べさせて貰うなら…人があるウインドウ上で操作しているときに、その上に別のウインドウを出さないで欲しい。あれすごく鬱陶しいんです。
それに、いきなりポップアップウインドウが出てきたタイミングで「Enter]キーを押しちゃって、ポップアップが閉じて結局何のメッセージだったかわからず仕舞い、なんてこともよくあったりするわけで…そのせいで、この間などアンチウイルスソフトのポップアップを見損なって、あやうくウイルスを駆除しそこねるところだったではないか。

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