新・闘わないプログラマ No.168

モラル


ちょっと古いネタですけど、「日経コンピュータ」(日経BP刊)の2001年2月12日号の特集に「IT業界のモラルハザード 責任感、倫理観の欠如が企業を窮地に」という記事があって、私のまわりでは結構話題になりました。
内容は、と言うと、

「頻発する問題プロジェクト IT業界の常識は“世間の非常識”」
「『できないものは仕方がない』『仕様です』で押し通すベンダー」
「どうやっても仕様をクリアできず やむを得ずテスト結果を“加工”」
「開発現場の実態 崩れ去る技術者の責任感と倫理観」
「使い物にならないプログラムが納品されるという話は非常に多いですね」
「よくこれだけしか問題が顕在化しないなあと逆に驚いていますよ」
「構築期間が長引けば収入が増えるのではベンダーのモラルは下がります」
「実現性のない製品を発表、ブームに乗って投資家を欺く」

ちょっと目に付いたフレーズを挙げてみたのですけど、なんかよく聞く話とでも言うか、身に覚えがあるとでも言うか、まあそんな内容の記事だったりします。
「日経コンピュータ」と言えば、あの有名な連載記事「動かないコンピュータ」(もう連載は終わってしまいましたが)がすぐに思い起こされるわけですが(←というか、あの連載のために日経コンピュータを読んでいた、という人も多いはず ←私もその1人ですが)、(日経BP社の雑誌としては)過激な記事がたまに載っていたりするので、目が離せません。
かなり前ですけど、あの悪名高きΣプロジェクトの暴露記事を書いたり、マイクロソフト批判を、雑誌の記事としてはわりと初期の段階でやったり… ←と言う割には、私自身、普段は目次をパラパラと見る程度ですが。

「動かないコンピュータ」と言えば、これは結構経験がある人が多いようですけど、何か自分がいまやっている仕事のプロジェクトがうまく行かないときなんかに、
「おい、このプロジェクトさあ、『日経コンピュータ』の編集部にチクったら、『動かないコンピュータ』に載るかなあ」
「お、それいいなあ。こっそりメールでも出してみるか」
「うーん、でもどうかなあ。いまいち弱いんじゃないか? もうちょっとこう、何ていうか、すごい売りが無いとなあ」
「んじゃあ、お前、なんかとんでもないミスを犯してくれよ」
「おいおい」
なんていう会話が影で囁かれたりして…ね、ね、同じような会話、経験ありますよね?

さてさて、話を件の記事(「日経コンピュータ」2001年2月12日号 50ページ〜「IT業界のモラルハザード」)に戻します。
こんなことが書いてあります(51ページ)。

ある大手通信機器メーカーは2000年初めに、こんなトラブルに遭遇した。新機種の開発に当たって、同社は組み込み型のプログラムの一部を外注。ところが期限になって納品されたのは仕様を満たしていないどころか、全く違ったプログラムだったというのだ。
外注先に調べさせたところ、プログラマが実質的に何の作業もしていなかったことが判明。納品されたのはコメント部分を適当に書き換えた、全く別のプログラムだった。結局、この通信機器メーカーは当該プログラムで実現するはずの機能を外して、製品を発売せざるを得なかった――。

ここまですごいのは、私自身はさすがに経験が無いですけど、でもあっても不思議は無いだろうなあ、というか、当然そういうこともあるだろうなあ、と思わせるような事件(?)だと感じました。
まあ、これをもってチェック体制が云々、管理をもっと強化しないと云々、などと言うのはたやすいことなのですけど、仕事の質に対する評価というものが欠けている現状においては、起こるべくして起こった事例じゃないかな、とも思うわけです。
確かに、この実例自体はあまりにも論外な事件なのですけど、とりあえずプログラムというモノさえあれば、それがどんな質のものであろうと、だまってそれが通用してしまう、というのは結構ありがちなことでして、それが極端になると、このような事態になっちゃうのではないか、とも思うわけです。
なんか分かりづらい書き方ですみません。つまり、プログラムの質が評価の対象にならないなら、手を抜いて質の悪いプログラムを作る人間は当然いるだろう、ということです。
ただ単に、プログラマのプライドやモラルに期待(正当に評価しなくても、安いカネで質のいいプログラムを作ってくれるだろうという期待)するのはかなりムシのいい話じゃないかな、とも思います。
かと言って、プログラマなどの仕事に対する正当で合理的な評価というのはどうやったら出来るのか、と言えば…うーん、むずかしいですね ←おい。

もう一つ、引用してみます(64ページ)。

90年代半ば以降にはパッケージ・ソフトの普及が進み、システムを構成するすべてのソフトに関して、ベンダー1社が責任を持てないという問題も生まれた。「他社のソフトを使う開発では、バグがあっても責任はとれない。無責任と言われればその通りだが、ユーザーが勝手に選んだパッケージの採用を押しつけてくることにも問題がある」。ある大手コンピュータ・メーカーのエンジニアは、こう打ち明ける。

これはねえ、なんと言っても一番難しい問題ですよね。みんな困っているところではあります。
なんと言っても、パッケージソフトのバグまでは責任が持てないというと無責任なようですけど、バグが見つかったとして、そのバグを開発元が直してくれるのか、またいつまでに直してくれるのか、となると全く見えませんからね。
で、仕方なく、見つかったバグを顕在化させないように、こっちで作るプログラムで回避するようにしたりするわけですが、それにも限界がありますし。
みんな、実績や実例にこだわるのは、パッケージソフトの「人柱」になりたくない、ってことだったりするわけですね。
だから、私が先週の駄文で書いたような、チャレンジ精神が旺盛、と言えば聞こえがいいですが、なんのことは無い、要するに「人柱」にされるのはちょっと…。

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