Introducing "G.I.M."


Introducing KUDRYAVKA

According to the text-work you're reading.




 ソフトハウス、クドリャフカが現在準備中のゲーム・エンタテインメントのひとつを、オンライン小説の形式を模して紹介・提供いたします。以下のストーリーは、ほぼそのゲームの進行に即したものであり、機軸を来るべき製品版ゲームと一にするものであります。またそのゲームでは、まさにあなたが今ここにこの文面を目にしているのとまさしく同じ様態で、オンラインで情報にアクセスすることそのものが一つのテーマ系の要をなすものとなっています。その語の深い意味において、ここにお届けするオンライン小説が近く提供される問題のゲームのシミュレーションとなっていることをお含みおきください。

 したがって以下の小説における主人公が二人称をもって名指されていることは、語りの技法上の配慮を意味するのではなく、もっぱらゲームのシミュレーションとしての効果を念頭に置いた措置であります。これは小説作法上の実験としての意味合いを何ら含んではおりません。そのような実験なら、洋の東西を問わずかつてカルヴィーノによってあるいは倉橋によって、いやさ枚挙に暇もない先人たちによって繰り返されてきたものに過ぎません。いっかな新奇なものではない。

 ただしこの小説およびその基盤をなすゲームのもつ二人称に何か新奇なものがあるとすれば、それはこんなことです。これらのテクストの主人公は文字どおりの意味であなたなのだということです。そこでは主人公はいかなる固有の属性ももってはおりません。通常ゲームのなかではしばしばそうであるように、あなたが感情移入する対象は、どこか異世界の勇者でも達意の探偵でもありません。と言うよりもあなたはだれに対しても「感情移入」する必要はない。これらのテクスト上に展開する物語の主人公の唯一の属性は、モニターに向かってテクストそのものと交歓しているということにほかならない。つまり、ここで主人公はあなただという物言いをしているのは比喩でも何でもない。所与の状況に対して画面上のキャラクターではなく、画面のこちら側(というかそちら側)にいる他ならぬあなたがどう動くかが、われわれのテクストの主要なテーマであり、いやむしろ関心事なのです。

 とすれば、いまあなたに提供されようとしている小説は後続するべきゲームに対して若干劣っていることは止むを得ない。この小説のなかの「君」はあなたの意志を必ずしも反映しませんから。しかしともあれ以下に掲げる小説が、問題となっているゲームの核心を保っていることもまた本当です。この小説は問題のゲームがどんなものであるか、仮にそれが面白いものであるとして如何なる意味で面白いのか、それを充分伝えてくれることでしょう。なによりも、問題のゲームの主要な特徴となる生の現実と画面の中の「現実」との動揺・振幅をも、以下の小説は含んでいるはずです。

 もちろん、これに加えて願わくば、以下の小説がその成立の如何、背景の如何や他のテクストとの交通の如何にかかわらず、独立した物語として興味深いものであれば...

 どうも韜晦というか、前置きが長くなりました。そろそろ本題にはいるも潮時でしょう。どんなものであれ我々は初めのページを開かねばならない。ともかくも話が始まるためには。しかし通常われわれは話が始まる前にも当の話の題名ぐらいは知っているものです。このテクスト(小説=ゲーム)のタイトルをお伝えするのをすっかり失念しておりました。



 この物語のタイトルは...


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