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最高のオペラ劇場と多くの人々が賞賛するテアトロ・アッラ・スカラであるが、この場合の「劇場」とは上演されるオペラの質のことを言っているわけで、入れ物である劇場そのものを言っているわけではない。
ちなみにこの劇場のアクースティックについてはあまり良い評価が得られておらず、2002年から3年間かけて行われるリノベーションではさらにそれが悪くなるのではないかという声も強い。
この劇場のシーズンはミラノの守護聖人、聖アンブローズの祝日である12月7日に始まる。 |
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ミラノにはテアトロ・レージョ・デュカーレ Teatro Region Ducale という劇場がドゥオーモの近くにありオペラを上演していたが、この劇場が1776年に火災に見舞われた。 この劇場のボックス席
parchi は個人の所有となっていて、その所有者90人がオーストリア皇子フェルディナンド一世に新しい劇場建設を請う手紙を書き送り、プロジェクトは動き出した。 建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ
Giuseppe Piermarini の第一案は却下されたが、その第2案はオーストリアのマリア・テレジア
Maria Theresia に支持され、その建設場所はサンタ・マリーア・アッラ・スカラ
Santa Maria alla Scala 教会の立っている場所に決定した。 テアトロ・アッラ・スカラの名称はここからきたものだ。 教会の解体を行い、ネオクラシックのファサードを持つ劇場が1778年に完成し、8月3日にはサリエリ
Antonio Salieri の「L'Europa riconosciuta」でこけら落としされた。 この建築費はボックス席の販売でまかなったため、これらのボックス席は完全に個人の所有に帰すものとなった。
テアトロ・アッラ・スカラの開場初期にはパイジェッロ Giovanni Paisiello やチマローザ
Domenico Cimaroza のオペラ・ブッファを中心に上演していたが、徐々にフランス趣味のものやバレーの上演開始を経て世紀が変わるとやがてロッシーニそしてドニゼッティとベッリーニ全盛の時代となっていく。 1816年にはモーツアルトの「魔笛」が上演された。 この間1821年にはロウソクによる照明からオイル・ランプのシャンデリアによる照明に変わったが、火災に備え数百の防火バケツが配置されていたという。 1860年にはそれがガスに変わり、次いで1883年にはステージもサラ内部もすべて電気照明となる。
1898年から1903年トスカニーニは芸術監督としてスカラの大胆な改革を行った。 彼は交響曲をスカラのオーケストラ・レパートリーに加えたり、ワーグナーの作品の定期上演も始めた。 その後1906年から1908年そして1920年から1929年にも彼は芸術監督を務めている。
第二次世界大戦中の1943年にスカラは爆撃を受け破壊された。 大戦が終結すると、スカラは1946年5月11日にトスカニーニによるコンサートにより公演を再開した。
1970年にはリッカルド・ムーティ Riccardo Muti がシンフォニーの指揮者としてスカラでのデビューをはたし、1972年にはクラウディオ・アッバードがスカラ座オーケストラの指揮者に任命された。 ムーティはその後1986年に音楽監督に任命され現在に至っている。
テアトロ・アッラ・スカラは全面的な改修工事のため2001年12月30日の「オテロ」公演を持って閉鎖された。 テアトロ・アッラ・スカラでの公演は2004年12月7日の2004−2005シーズンから再開される予定で、この間はミラノ北部のアルチンボルディ劇場での公演となる。
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このシーズンは2001年12月7日の「オテロ」で始まった。 この日はタイトルロールを歌ったドミンゴに対し盛大なスタンディング・オベーションがあり、すばらしいシーズン幕開けとなった。
しかし12日の公演では第二幕途中でドミンゴが「Scusate non ce la faccio
più. (申し訳ございませんがこれ以上続けられません。)」と言って舞台から姿を消してしまった。 指揮者のムーティが彼と話して状況をつかみ、聴衆にドミンゴの状態が少し良くなったことを報じた。 さらにムーティは説得を続け、ついにドミンゴは舞台に戻らせることに成功し、ドミンゴは最後まで歌って賞賛を得た。
2001−2002シーズンの演目は次の通り。
作曲 |
タイトル |
指揮者 |
主な出演者 |
主な公演月 |
Verdi |
Othello |
Muti/Brignoli |
Domingo ・ Barbara Frittoli |
Dec 0/ul 02 |
Verdi |
La Traviata |
Muti/Brignoli |
Inva Mula ・Marcelo Arvarez |
Jan 02/Oct 02 |
Saint Saâns |
Samson et Dalila |
Gary Bertini |
Domingo ・ Olga Bolodina |
Feb 02 |
R. Strauss |
Salome |
Ulf Schirmer |
Silvie Valayre ・ Alan Titus |
Mar 02 |
Musorgskij |
Boris Godunov |
V. Gergiev |
Feruccio Furlanctto |
Apr 02 |
Mozart |
Le Nozze di Figaro |
R. Muti |
Ildebrando D'Arcangelo |
May 02 |
Puccini |
Madama Butterfly |
Carlo Rizzi |
Daniela Dessi ・ F. Armiliato |
Jun 02 |
Rossini |
Il barbiere di Siviglia |
C. Rovaris |
L Nucci ・Vesselina Kasalova |
Jun 02/Jul 02 |
Thaikovski |
Iolante |
Y. Temirkanov |
Tatiana Pavroskaya |
Jul 02 |
Verdi |
Oberto |
N. Luisotti |
Giovanni Battista Parodi |
Sep 02 |
Donizetti |
Lucrezia Borgia |
R. Palumbo |
Mariella Devia |
Oct 02 |
Verdi |
Rigoletto |
Rizzi Brignoli |
Leo Nucci ・ Inva Mula |
Oct 02/Nov 02 |
A. Colla |
Il Processo |
E. Mazzola |
George C. Moslay |
Oct 02 |
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ミラノにはかなりの回数行っているはずだが、テアトロ・アッラ・スカラで見た公演は次の1回のみである。 なおこのほかにスカラ座オーケストラの公演を聴いたことがあった。
1974年3月23日 ワーグナー 「ワルキューレ」 |
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Siegmund |
Jon Andrew |
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Sieglinde |
Marita Napier |
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Wotan |
Donald McIntyre |
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Brunhilde |
Ingrid Bioner |
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指揮 |
Wolfgang Sawallish |
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演出 |
Luca Ronconi |
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美術・衣装 |
Pier Luigi Pizzi |
この公演については残念ながらまったく印象が薄れてしまって思い出せない。 と言うことは感銘を受けた公演ではなかったと言うことだろう。
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