パークへ  サンダル・トレイル
 ナバホ・ナショナル・モニュメント  ベタタキン
 アナサジ  キート・シール

ナバホ・ナショナル・モニュメント Navajo National Monument はアリゾナ州北部のナバホ・ネーション内部に位置するが、ナショナル・パーク・サービスの管理する公園だ。 グランド・キャニオン方面からモニュメント・バレーへ向かう場合、またはペイジからモニュメント・バレーへ向かう際にこの公園への道標を見た方も多いだろう。
グランド・キャニオンからだとAZ64からUS89に出、そのUS89を北に16マイルほど行ったところをUS160へと東に折れ、そこからケイエンタ Kayenta 方面にチュバ・シティー Cuba City を通り54マイルほどで公園に向かうAZ564に接続する。 そのAZ564を北に10マイルほど入ったところにビジター・センターはある。 このパークの入園料は無料である。
US160に入って10マイルほどのチュバ・シティーから20マイルほど走ると、左にブラック・メーサ・アンド・レイク・パウエル鉄道 Black Mesa & Rail Powel Railroad を見ながら20マイルほど走ることになる。 この鉄道はナバホ・ネーションの鉄道で、公園近くのブラック・メーサで採掘される石炭をペイジ近くのナバホ・パワープラント Navajo Power Plant へ運ぶためのもので電化されている。 下の写真はナバホ・ジェネレーション・プラント近くの州道98号線から撮影したものだが、電気機関車4両とそれに引かれる延々と続く貨車は圧倒的だ。Black Mesa & Lake Powel Railroad near Navajo Power Plant
その鉄道に出会って5マイルほどすると北からペイジからくるAZ98が合流する。 そこから公園に続くAZ564への分岐へは15マイルほどである。 ちなみにケイエンタからだと15マイルほどでAZ564への分岐だ。

ナバホ・ナショナル・モニュメント

ナバホ・ナショナル・モニュメントはツェギ・キャニオン Tsugi Canyon と、その崖に作られたアナサジの住居跡を中心とした公園である。
この谷の壁の自然が作ったアーチの下にアナサジ達は西暦1250年ごろ村々を築き、谷底で農耕を行った。 しかしそれも50年ほどのことで、西暦1300年ごろには彼らはこの地を去っていったと言う。 その理由として多くの要素が挙げられている。 すなわちアーチの崩壊による被害、旱魃あるいは農耕の困難性の増大、山林伐採、人口の増えすぎ、宗教的理由などなどである。 おそらくこれらの理由が複合し村を去ることになったのだろうが、有力な説としては農耕の困難性がある。 すなわち村が作られた当時は谷底に肥沃な沖積土が堆積し、また川の流れが灌漑に適した地を形成していた。 しかし1200年代半ばにこの川の侵食が進み川底の位置が大幅に下がってしまい、農耕に適さなくなってしまったということである。
遺跡の中で規模の大きく良く保存されているものは、ビジターセンターからも比較的近いサンダル・トレイルのビューポイントから遠望できるベタタキンと、丸1日もしくは途中で1泊するハイキングをしないとたどり着けないキート・シール、そして現在公開されていないインスクリプション・ハウスがある。
アナサジの住居跡を中心とする公園であるので「アナサジ・ナショナル・モニュメント」とでもすべきところではないかと思うが、これらの遺跡がナバホ族により発見されたことから「ナバホ・ナショナル・モニュメント」と命名された。

アナサジ

ところで「アナサジ」と言う語の意味をご存知ですか。 アナサジとはナバホ語で「古代の人」または「他部族の祖先」と言う意味。 ホピ語では Hisatsinom と言い、これも「大昔の人」と言う意味でそうである。
ちなみにナバホ族は1800年代になって初めてこの地に達したのに対し、ホピ族はこれらの石造の住居祉との関連から、現在ホピ族の人々がこの地のアナサジの子孫だと考えられている。

サンダル・トレイル

ビジター・センター裏手からサンダル・トレイル Sandal Trail という舗装された半マイルほどのトレイルがこのキャニオンのオーバールックへと続いている。 往復30分から1時間ほどであるので、この公園を訪れたらまず最初に行くべき場所だ。 オーバールックへつくとツェギ・キャニオンの谷底と、対岸の壁のすばらしい眺め(下写真)が一望できる。
Tsegi Canyon from the Overlookこの谷はこの地点ではおおむね東西に伸びており、谷の北壁には良く日があたっている。

Betatakin

ベタタキン

上写真中央部、谷底の少し上部にある凹みがお分かりいただけるだろうか。 その部分を望遠でとったのが右写真である。 ビュー・ポイントから見るとケシ粒のように小さいが、幅110m、高さ136m、奥行き46mという巨大なアーチだ。
さらに下の写真を見ていただくと、家屋のようなものがごらんいただけるだろう。 これがベタタキン Betatakin である。 「ベタタキン」とはナバホ語で「岩だなの家 ledge house」と言う意味で、ホピ語では Talastima という。
西暦1250年ごろから少人数のアナサジの人々がこの場所を時折利用するようになった。 その後1267年までにはここに少なくとも3棟の石壁の住居が建造され、人々が定住し農耕を開始した。 彼らはトウモロコシや豆類などを栽培し、村の規模も次第に大きくなっていった。 この巨大なアーチは奥行きも十分あることから風雨を防いでくれるし、南向きであるため冬にも十分日光が差し込み暖かい。 最後の住居は1286年ごろに建造され、住民も100人ほどに達した。
ところが先に述べたように、ここは西暦1300年には打ち捨てられてしまうのである。

Betatakin

14世紀以降ベタタキンではしばしば崩落が発生したが、現在でも2つのキバ Kivas が確認されている。 キバというのは儀式をつかさどる建造物である。 またベタタキン近くの岩肌には動物や物語を描いている壁画が見られる。
ホピ族がキバで宗教儀式を行うこと、そしてその壁画にはホピ族の氏族のシンボルとして認識できるものがある点からも、アナサジとホピとの関係は濃密と言えよう。
ベタタキンに訪れるには6月から9月の間催される1日1回パーク・レンジャーが同行する Max 25名のベタタキン・ツアーに参加するのが唯一の方法だ。 往復5マイル、その間合計7,300フィートの高低差のある約5時間のツアーで、現在その古代都市の中にも入れるそうだ。

キート・シール

キート・シール Keet Seel はツェギ・キャニオン最大のアナサジの村である。このキート・シールと言うのはナバホ語で「四角い家の遺跡」と言った意味で、ホピ語では Kawastima と呼ばれる。
ここはベタタキンと異なり西暦950年ごろに人が住みついたことが発見された陶器により知られている。 しかしその住居跡は現在全く発見されていない。
そして西暦1250年ごろ第2回目の村が作られる。 これまたベタタキンと異なり、キート・シールにはかなりの人数が一時に移住してきたようだ。 そして1272年ごろにはこの村が大きく変わった。 新しいタイプの陶器が発見されていることから、一群の異なったグループが移住してきたと考えられている。 このようにして異なったグループがここに2つの村を築き、その最盛期には150名を擁したと言う。 その後何らかの理由で徐々に人々はこの地を去ってゆき、最後の人々も1300年ごろには姿を消した。 しかしここの場合にはトウモロコシが陶器の中に貯蔵されたままになっており、最後にこの地を去っていった人々はここへ戻ってくるつもりだったと推測されている。
キート・シールへは6月から8月に、1日20名に限定されているキート・シール・パーミッツを予約して往復17マイルの道を歩く必要がある。 キート・シールにはレンジャーが常駐しており、レンジャーのガイデッド・ツアーにより内部を見学できる。

旅行日 : 2003年9月17日(水) 歩いたのはサンダル・トレイルのみ