愚行連鎖

■私的オートキャンプ論 序-4-

スタイルとファッション -II-

 だが、ここで私が言いたい「スタイルとファッション」とは、服装雑誌等で使う同語とは、少々意味あいが異なる。
 ブームの中“ファッショナブルなアウトドア”ばかりが強調されて本質を見失う事だけは避けたいと思う。
 いままでは汗臭さとダサい風体で、弊衣破帽貴しのごとき禁欲的な固定層が殆どであった野外生活者(山屋サン、ごめん!)が、このブームによるファッション化で多くの、それまでは縁の無かった人々を、快き享楽的なアウトドアに連れ出したことは歓迎できる現象である。遊びは本質的に楽しくなければなんの意味もないことも確かなのだ。
 険しい眼差しで山頂を眺めていた「山と渓谷」達は、キャピキャピ嬉しげにフィールドを駈け巡る「ビーパリスト」の大群に駆逐されたかのようでもある。
    ※これを創刊10年にして確立した「ビーパル現象」と名付けたい。
       (注:原文は“ビーパル創刊10年”頃書いたものです)

 それはまた、野外生活を実践する中で自然と人とのかかわり合いについて、一人でも多くの人が直接的に自分の問題として考える場が与えられたと言うことでもあり、少なからず評価すべき事実でもある。

 しかし、一過性のブームは過ぎ去ればただそれだけのものになってしまう。

 かつてJ.デンバーの歌声を背に猫も杓子も大きなフレームザックを背負いたがったことがあった。そして、こぞってアルミフレームの背の高いザックを背負った若者達には、しかしどこにも行くところがなかった。アメリカで生まれたバックパッキングがただファッションとしてわが国に紹介されてしまった事による悲しさである。
 アメリカにおけるバックパッキングムーブメントは単なるファッションや流行ではなくて、一つの主張・思想であったはずなのだ。

       (注:想えばJ.デンバーも本当の星になってしまった…)


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