Recently My favorite things.
遊佐未森
檸檬
- 青空
- 月がとっても青いから
- 南の花嫁さん
- アラビアの唄
- ゴンドラの唄
- 小さな喫茶店
- 夜来香
- 蘇州夜曲
- 森の小径
昨年(2005.8.23.)に書いて忘れていた…
2002年のリリースのようです。
大正から昭和初期にかけての流行歌をカバーしたアルバム。
タイトルは梶井基次郎の檸檬から取ったと言うことで…
遊佐未森:Vo./B.G.Vox(2.7.8.9.)
篠崎正嗣Strings:Strings(3.5.)
Chika Strings:Strings(8.)
渡辺等:G./Mandolin/Banjo/B.(3.5.7.)
朝川朋之:Harp(5.)
柴山洋:Oboe(5.)
小松亮太:Bandneon(6.)
菅原裕紀:Perc.(3.5.)
伊藤直樹:Perc.(7.)
梯郁夫:Perc.(8.)
清水ひろたか:E.G.(1.4.)
小松勝:Gut-G.(6.)
田代耕一郎:Mandolin/Portugal G./Kantere(8.)
鹿島達也:W.B.(1.4.)
松永考義:W.B.(6.)
山河浩正(The BOOM):W.B.(8.)
上田禎:Pf.(1.4.)
小松真知子:Pf.(6.)
鶴来正基:P./Programing(7.)
岡村美央:V.(1.4.)
会田桃子:V.(6.)
平山織絵:Vc.(1.4.)
YASSY:Tb./Eupo.(1.4.)
村田陽一:Tb.(7.)
大熊ワタル:Cl./B.Cl.(8.)
CHACO:Ds.(1.4.)
nino trinca with mimo:B.G.Vo.(1.)
斎藤仁:Programing(3.5.)
Morgan Fisher:Programing(8.)
全体的に「凄く綺麗」ですね。
その分、逆にインパクトには欠けるような気もします。
一人アカペラ・コーラスが数曲入っていますが、一人の多重録音はやはり音質が揃って綺麗です。
雰囲気は悪くないし、決して嫌いではないですが…
ううむ…
幾つ位の人なんでしょう?
若々しい雰囲気が伝わってきますが、その若さがこの古い歌達をただ綺麗なメロディに止めてしまっているのではないかなどと思ってしまったりします。
確かに上手いし、雰囲気も良いし、アレンジも悪くないし、綺麗なんですけどねぇ…
いや、ホントに悪くないんですよ。買っても損はないとは思うんですよ…
…そうだよねぇ、最初に名前聞いたのがかれこれ10年や20年前だしなぁ。
どんなふうに歌っているのか…極めて素直に唄っています。アレンジも素直です。
好き嫌いと言うよりも、インパクトに欠けるってのが正直な所なんですね。
悪くないんだけど…
>『ゆさみもり』さんですが…。
そうそう、漢字字面では昔から知ってたんですが、なんて読むか分からなかった。
Shopの店員さんに訊いたら、二人出てきて“う”の所を探して、「今在庫してません」って言ったんですよねぇ。
最後の曲、「森の小径」は…
あぁ、聴いたことはあるな、位のイメージの曲だった。
恐らく、原曲とは全く異なるアレンジなのだろう。
(元歌はあの灰田勝彦だしね)
ものすごく愛らしいアレンジである。
可愛くてシンプルで綺麗なのだ。
アルバムリリース当時のインタビューを見つけた。
(http://www.excite.co.jp/music/story/6969/ :既にデータはないようだ)
『「森の小径」だけが資料として聴いたCDの中で引っ掛かってきたもので、今回初めて知って歌ったものです。』
ふむ、この人も知らない曲だったんだ…
『昭和15年に灰田勝彦さんという歌手の方が歌ってヒットした曲です。これは彼のお兄さんが作曲しているんですが、そのお兄さんが友達の家に遊びに行ったときに譜面をポロッと落としたらしいんですね。それで、その友達が拾って「あっ、曲だ」と思って歌詞をつけて出来上がったという、そんなエピソードのある曲です。とても短くてシンプルな曲で、すごく美しい歌曲なので今回歌ってみたんですが、実はこの曲は戦争中に特攻隊の人達が出撃する前の晩にお酒を飲みながらずっと歌っていたという歌なんですね。淡い恋の歌ですけど、それも相まってとてもせつない歌になっています。』
特攻隊のエピソード。
確かに、死に行く若者が唄うには
「貴様と俺とは」やら「勝って来るぞと勇ましく」
等という、無意味に死ぬことを美化した軍歌よりもずっと似つかわしい。
そして、そう言う背景を知った上で、このアレンジで唄ったのだとしたら…
この人は凄いのかも知れない。(アレンジは遊佐未森本人)
戦争中に特攻基地を慰問した灰田勝彦は、「明日は死ぬ」という彼らが酒を酌み交わしてこの歌を夜更けまで歌っていたのを胸が痛くなる思いで聴いていたという。
ライナーノーツより
恐らくいま、これを読んでいる方に(私も含めて)日本が経験した「実体験としての戦争」の時代を知る人は少ないでしょう。
多分ネットワーカーの中では高齢といえるであろう私の、その親世代でもギリギリでしょう。
私のおやじは軍隊には行っていますが、年齢が低かったので(実際の)戦争はやっていません。
海軍でしたから、戦争末期に入隊したところで船も飛行機もないのですから、国内を転々とした工員や土木作業員と変わらない生活だったようです。
そう言う連中は軍隊のことを思い出話として語りますが、既に亡くなっている一番上の伯父貴などは、絶対に当時の話をしませんでした。
北支(北支那…満州、現在の中国北東部ですね)戦線に一歩兵として送り込まれ、泥まみれ、氷雪まみれの中、混乱の内に部隊とはぐれ、行方不明。
戦死公報が届き、墓も出来た敗戦数年後にボロボロの姿でひょっこり帰ってきたそうです。
捕虜にもならず、数年間、中国の奥地で人を捨てた生活をしていたのだと思います。
とても口になどは出せない、人に非ずの行為などもあったはずです…
とても私を可愛がってくれた、穏和な田舎の農夫という風情の伯父貴でした。
戦争で死んだ人も不幸ですが、そうした(恐らく人間としての自分を否定した)日々を送ってきた、そしてそれを自分の胸だけにしまってあの世へ旅立っていった人間もいます。
幸せな時代です。
歌が歌えます。好きな歌が。
そんな時代を、次の世代から奪っては、絶対にいけないのだと思います。
そもそも10,000mの高空から無尽蔵に火の玉を振らせるような連中相手に、女子供(いえ、語弊があるのは知った上の表現です)に竹槍持たせて迎え撃たせようなどと言う発想が出てくる世の中には絶対になってはイケナイと思うのです。
女子供を盾にしてどうする!
女子供無くして社会が成り立つか!
未来が来るか!
一つには女性に発言権がなかったこの国は、その時代はとんでもない時代です。
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