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支那の夜:蘇州夜曲

支那の夜

監  督 伏水修
音  楽 服部良一
主  演 長谷川一夫/李香蘭(山口淑子
製 作 年 1940/日本、中華民国(満州国)
シナリオ 小国英雄



コントラバスの弓を買った
どうやらMingxing弓工房(明星琴弓)と言うところで作られたようだ。
サイトにはSuzhou Mingxingbowとある。

漢字表記もあるが、ロゴ・グラフィックの漢字は崩してあって形が分からない…
English版と中文版があるサイトの中文版を覗いてみたが…フォントがないから肝心の部分が文字ヌケになっている…

Suzhou…?
土地の名?
調べた。

中国語 スージョウ(Suzhou)は、中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市(地区クラスの市)。
古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。
長江(揚子江)下流南側に位置し、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。 4,000年の古きから江南の主要都市として栄え、約2,500年前(紀元前514年)頃、春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。
街中に張り巡らされた運河や水路は北京へ続く大運河に繋がる、古くから栄え、マルコポーロをして「東洋のベニス」と言わしめた美しい水の都。

日本語で表記すると…

蘇州(そしゅう)

あぁ…この弓は憧れの地から来たんだ…

☆蘇州夜曲(作詞:西条八十、作曲:服部良一)

映画「支那の夜」(1940年)の挿入歌。
録音としては霧島昇・渡辺はま子版がオリジナルとして有名だが、劇中では李香蘭(山口淑子)が歌っており、作曲者服部良一は『あの作品は伏水修監督に頼まれて李香蘭(山口淑子)のために一生懸命作ったものだ』(山口淑子・藤原作弥著“李香蘭私の半生”より)と李香蘭に直接語ったそうである。

坂本九、雪村いづみ、おおたか静流、内田勘太郎(Inst.)、山本潤子、飛鳥涼、美空ひばり、テレサ・テン、遊佐未森、EPO、木村弓、戸川純、八代亜紀、川中美幸、上々颱風、夏川りみ、庄野真代、Ann Sally、平原綾香、鈴木重子、小田和正…等々多くの歌手にカバーされ、1990年代にサントリー烏龍茶のCMで使われた中国語バージョンも有名。

幼い頃から、母親が口ずさみ、この美しいメロディがとにかく好きだった。
しかし、中国では“蘇州夜曲”を「日中戦争時代の歌だから」という理由で嫌悪する事があるそうだ。
映画本編中にも「中国人にとっては屈辱的」(戦前の人間とってには何の不思議もない表現なのだが…)だとされる表現がある。
中国人(張照翔)による歌唱もあるし、中国人奏者であっても二胡のアルバムには取り上げられることが多いのだが…

1931年、満州事変が勃発し、1932年から1945年まで、大日本帝国は満州国をでっち上げる。
満州国には多くの日本人が移住し、その傀儡国家、満州の国策映画会社である満州映画会社(満映)も作られた。
その満映が東宝に撮影協力し、当時の人気スター長谷川一夫と李香蘭(山口淑子)を主演として日中戦争さなかの日本と中国に向けての国策映画として上海を舞台にした、この“支那の夜”という映画が作られた。

“蘇州夜曲”は映画“支那の夜”の主題歌の一つだった。
映画の中では李香蘭が“蘇州夜曲”を歌うが、作曲者である服部良一はコロムビア、李香蘭はテイチク専属だったためコロムビアからは発売出来なかった。
“蘇州夜曲”のレコードは、映画“支那の夜”公開と同時に、霧島昇、渡辺はま子により発売され、大ヒットした。

そうした時代背景を考えると、この曲に対して嫌悪を抱く人がいると言うことは念頭に置くべきなのかも知れない。

音楽に罪はないのに。

事実、中国人・日本人とも分け隔てなく接した李香蘭(山口淑子)は、この映画に出演したことを中国人達から非難されたそうである。

服部良一のメロディも西條八十の歌詞もただただ美しいものではあるが…
確かに、当時の占領征服者のロマンチシズムがない、とは言い切れない…
しかし、冷静に“支那の夜”を最後まで観れば、軍人主導の国策映画の中に、映画人の自由と平和への隠されたメッセージを読めなくはないのだけれど。
映画題名の「支那」は中国に対する蔑称とされるため(じゃぁなんで英語の“China”は平気なんだ??)、中国では“上海之夜”として上映され、戦後は“蘇州夜曲”と改題されている。

そもそも「支那」という言葉は、秦王朝の秦(チン)がインドに伝わって「チーナスターン」となり、それが漢訳仏典の形で逆輸入される時に「支那(シナ)」等と音訳されるようになった。英語の“China”や、仏語の“Chine”も同源だという。
(諸説合って、どれが真実かは判らないが…)
チノパンツなんてのも日本語にしたら支那綿長袴だな。

で、本来、蔑称・差別用語ではないけれど、差別的に使用された時代があったため、蔑称・差別語とみなされる場合が多い。
多くの人が「嫌だ」といったら、それは明らかに蔑称となってしまう。

私も取り立てて、中国=支那と言い換えるつもりは全くないが…

歴史的な流れの中での呼称や芸術作品のタイトルや内容の文言まで訂正するのは明らかに言葉狩りだろう。
先にも書いたが、英語や仏語が同源の“China”、“Chine”を用いていることについて、中国国民や社会が非難をしない状況が“支那”と言う名詞の持つ異常性と問題を表していると思う。

そもそも、近代化の中で、自分達の国名を「中国」とか「中華」にしたかったのを、勝ち戦で思い上がった日本人が「おまえ等みたいな下等な奴らがそんな“世界の中心”みたいな名乗りは許さん!“シナ”で充分だろ!」と無理矢理押しつけたという経緯は忘れる訳にはいかないが…

しかし、その前から“China”とか“Chine”と呼んでた連中は「東洋の黄色い猿なんか犬以下だもんねぇ〜」っと力ずくで押し入って甘い汁吸ってたんだけれどね…

やはり、同じ肌の色をして同じ様な顔をしたのに言われるのだけは許せないんだろうな…

正直なところ、多くの中国国民が本当の事実を知って拒絶しているかどうかは判らない。
ここの国民には罪はないと思うが、なにしろ、ああいう国だから。

ただ、殊更に「支那」と言い換えたがる日本人も腹に隠した何かが見え隠れして胡散臭いのは確かである。

私の場合、パープーであるからして…

支那そばとシナチクと支那服の姑娘と美しい風景のイメージしかないのだが…
(と、こういう事を書くと「過去を誤魔化す」とか怒られるんだよね、多分)
支那そばとかシナチクにまで文句付けられる謂われはないが。


当時の国策という縛りの中で作られた映画については論評を避けよう。私はこの映画で使われた音楽が好きなのであって、政治論争をする気はないのだから…
しかし、蘇州夜曲は作曲家、服部良一の代表作でもあり、作曲者自身ももっとも気に入っていた言うこの曲は、誰がなんと言おうと昭和歌謡史に燦然と輝く名作中の名作と言って過言でないと思う。


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